大手百貨店そごう・西武の労働組合は30日、ストライキを実施することを決めた。ストは31日に西武池袋本店(東京都豊島区)で実施し、午前10時の開店から終日を予定。そごう・西武は終日全館休業にする。
これに対して「そんな暴力的なやり方は反対」との街の声。隔世の感がある。
大手百貨店でのストは1962年の阪神百貨店以来約60年ぶりだそうだが、今回のストは池袋本店のみで明日1日だけ。それなのに「消費者の迷惑を考えない勝手な行動」と普通の市民が非難するとは・・。ストライキは労働者の正当な権利行使だというイロハが通じない国になったのかと愕然とする。学校でもちゃんと教えてほしい。
フランスでは、年金の支給を開始する年齢を現在の62歳から64歳に引き上げる改革案に反対するデモが100万人規模で行われ、さまざまな組合、団体によるストライキが頻発している。今の日本の政治の状況をフランス人に話したら、「なんで革命が起きないか不思議」だって。
どんなに酷い政策が施行され、会社に理不尽な仕打ちをされても、「長いものには巻かれろ」で卑屈に奴隷根性で生きているのが我々日本人なのではないか。
今回のストライキを機に、立ち止まって考えたい。
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8月はメディアでも戦争関係の多くの特集が組まれ、戦争について考える月になっている。月末にあたり、私が考えを深めていくきっかけになりそうだと思った発言や文章のいくつかを紹介したい。
関東軍で柳条湖事件や満洲事変を起こした陸軍中将、石原莞爾が『朝日新聞』の社長に「戦争反対」を主張せよと働きかけたことがあったという。
東条英樹と対立し日米開戦前に予備役に左遷されていた石原が、1943年2月に、朝日新聞出版局編集部員の所武雄に託した村山社長への言伝が8月22日朝刊に紹介されている。ミッドウェー海戦で日本軍が大敗を喫して8カ月後、ガダルカナル島からも撤退したが、まだ東京への大規模な空襲は始まっていないころだった。
「東京はやがて焼野原になるぞ、一木一草なくなるね」
「この戦争はだね、このまま行ったら必ず負ける。止めるならまず今のうちだよ。どうだね。朝日新聞は(紙面)全面を埋めて戦争反対をやらんかね。(中略)全面をつぶして戦争反対をやってみろ。歴史上の村山(長挙(ながたか)=当時の朝日社長)になるよ。そうおれが言ったと伝えてくれよ」
所が「そんなことをしたら、朝日新聞は潰されてしまいますよ」と言うと、石原は―
「なあに、そら潰されるさ、潰されたって、戦争が終わってみろ。いずれ負け戦さ。朝日新聞は復活するよ。作業員は帰って来る。堂々とした朝日新聞になる。どうだ。そう伝えてほしいな」と言った。
所は重役に伝えたが、「口をつぐんだきり何も言わなかった」という。このエピソードは所武雄『狂った時代』(1955年刊)に記されている。
ここまでの露骨なやりとりがあったとは驚きだが、もはや後戻りはできなかった。軍幹部らは早くから敗戦を信じながらも戦争を続け、新聞もそれを知りながら国民を破局に駆り立てていったのだ。
敗戦後、朝日新聞は「自らを罪するの弁」を掲載、社内で幹部の責任が追及され、45年10月、役員、編集幹部が総辞職した。この社説および総辞職社告は以下参照。https://www.maesaka-toshiyuki.com/war/11206.html
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井上ひさしが、これまで「9条を守れ」と声をあげ「戦争をしない、交戦権は使わない」という否定路線では、それを100%守っても現状維持で先に進まない。そこで「守れ」から「する」に転換したいと、一つ具体的に挙げたのが、ジュネーブ諸条約に基づく「無防備地域宣言」の条例制定運動。
無防備地域の考え方は憲法9条の非武装平和主義にうながされてできたという。兵隊がいない、固定された基地は封印する、市民に戦う意思がないなどの条件を満たす「無防備地域」であることを宣言した場合、国際条約によって攻撃を禁止している。国際的に認められた特別の平和地域だ。この国際条約は日本政府も2005年3月に批准している。こうした平和地域を日本全国のあちこちに誕生させたいという。
「無防備地域宣言」は有権者の50分の1の署名を集めて自治体に条例制定を直接請求できる。これまで大阪市など全国で約20の市町村で直接請求が行われたが、すべての議会で否決されている。
井上ひさしは、戦争を起こす主体は常に政府であって国民ではない、だから権力と主権者の国民を分けるという発想に基づいてこの提案をしている。(広岩近広編『わたしの平和と戦争』より)
これが実際に運動化されていたのは知らなかったが、もし非武装中立路線で行くなら、具体策として興味深い。
私自身は、今のところ、「沖縄の基地引き受け」運動の方にシンパシーを感じるが。
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終戦の日のNHKスペシャルで「Z世代と戦争」というスタジオトーク番組があった。
3000人アンケートについては以下。
https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/blog/bl/pVv2mGav4V/bp/pGLkkEboVQ/
日本では多くの若者が、戦争になったら戦わないで逃げると答えるのに対し、ウクライナ人のNHKディレクター、ノヴィツカ・カテリーナさんが、彼女の友人たちの「抵抗する道を選んだのは政府ではなく、私たち自身」という発言を紹介した。
これは6月のブログで紹介した3人の女友達の言葉で、ウクライナでは国民が自ら立ち上がり、武器を取れない者は武力抵抗を支援するボランティア活動(資金集め、食糧配布など)を買って出ている。
この発言は、先の井上ひさしの「戦争の主体は常に政府であって国民ではない」という主張をくつがえしている。
これと関連するが、パックンは「反戦」の定義が日米で違うことを指摘した。
「不正な戦争に反対するのはアメリカの一般常識なんです。日本では「戦争はダメ」と言って加害者、被害者、どっちが悪いかを置いといて、とりあえず戦いをやめなさいという。戦って守ることも結局「戦い」だから嫌だという。「日本版反戦意識」が僕にとって新鮮なんです。」
「新鮮なんです」と客観性を装って言っているが、パックンの父親は元米空軍士官でもあり、彼自身は「正しい戦争」もあるという立場だろう。
保阪正康氏(ノンフィクション作家)は、過去の日本はウクライナ戦争でいうと「ロシア的な立場」だったと指摘。つまり侵略する側。だから私たち日本人は、ウクライナ人たちの身を守るための武力抵抗=防衛の戦いについては想像力を働かせるしかない。
難民支援などで活動してきた長有紀枝氏(立教大教授)は、ウクライナ戦争で人々の意識が大きく変わったと指摘。
「国際社会はもっとちゃんと運営されているかと思いきや、国際社会は実は国内の社会以上に”無法地帯“だと、みんなが目を見開いていないととんでもない方向に行っちゃうんだと肌で感じている」。たしかに。
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ウクライナ戦争で、もし私がウクライナ人だったら、命が惜しいから「投降する」、あるいは「占領されても抵抗しない」と答える日本の若者は少なくない。
実際は、ロシア軍の占領下では、一般のウクライナ市民が拘束、拷問、暴行され、レイプや殺害、財産没収などに晒され、命が守られる保証など全くないのだが。
色平哲郎さんのFBに坂口安吾のマッカーサー評が紹介されていた。
「彼は果敢な実験者であった、、、共産党も公認したし、農地も解放した。憲法も改めた。農地解放は実質上の無血大革命のようなものだが、日本の農民も、農民の指導者たる政党も、その受けとり方がテンヤワンヤで、稀有な大改革を全然無意味なものにしてしまった、、、
妙な話だが、日本の政治家が日本のためにはかるよりも、彼が日本のためにはかる方が概ね公正無私で、日本人に利益をもたらすものであったことは一考の必要があるでしょう。占領されることが幸福をもたらすという妙な経験を日本はしたものさ」(坂口)
つまり、戦後の連合軍占領下の方が、その前の軍国日本よりもいい世の中だと国民が受け取ったということだろう。沖縄戦でも、住民は米軍に「投降」した方が日本軍と一緒にいるよりも命が守られたという体験をしている。
この特殊な敗戦体験が、侵略されても怖くない、降参すれば命だけは助けてもらえるだろうという特殊日本的な心情を形成したのかもしれない。