きょう、国と熊本県は水俣病認定に関する大阪地裁の判決を不服として控訴した。これ以上患者を苦しめてどうしようというのか。
9月27日、大阪地裁は、特別措置法の基準外でも水俣病にり患する可能性があるとする、初めての司法判断を示して原告全員を水俣病と認定。国と熊本県、チッソに合わせておよそ3億5000万円の賠償を命じる判決を言い渡した。
特別措置法は水俣病に認定されていない人を救済するはずだったが、昭和30年代から40年代にかけて熊本県や鹿児島県に住み、その後、関西などに移り住んだ128人が、その法律で、住んでいた「地域」や「年代」によって救済の対象外とされたのは不当だとして国と熊本県、それに原因企業のチッソに賠償を求めた裁判だ。原告となった人々は、全面勝訴でやっとおしまいになったと安堵したやさき、今月4日になってチッソが控訴。これに続いて国と県が大阪高等裁判所に控訴したのだ。
水俣病の公式確認から67年も過ぎているのに、いまだに水俣病の定義がはっきりしないのは、チッソと国が、患者を狭く解釈しようとし続けてきたからだ。
「メチル水銀が流された不知火海に魚をたくさん食べ、水俣病特有の症状がみられる人」という被害者側のシンプルな定義に対し、国が「複数の症状の組み合わせがいる」「水銀染を証明する昔の毛髪やへその緒が必要」などとハードルを上げて、被害者側に厳しい立証責任を求めてきた。
被害者に対するこうした冷酷な態度は、現在の福島の原発事故処理での東電や国にもみられる。昔の帳簿や領収書を持ってこいなどと被災者に立証責任を負わせるやり方はうり二つ。あらゆる姑息な方法で救済の道を狭くしようとする汚いやり口に、多くの被災者が打ちひしがれている。
弱きをくじく国や企業に未来はないことを知るべきだ。
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関東大震災時の朝鮮人虐殺について、いま憂うるのは、政府や自治体、政治家がこの事実を認めようとしないことだ。
安倍政権時代になって、あったことをなかったことにし(記録を破棄する、または「記憶にない」ことにする)、逆になかったことをあったことにする(記録を改ざんする)という、最低限のモラルさえ否定する風潮がまかり通るようになった。それは森友・加計問題で全面展開するが、朝鮮人虐殺問題でも繰り返されている。
「事実関係を把握できる記録が、政府内に見当たらない」と松野博一官房長官は言うが、記録は山ほどある。裁判記録もあれば、不十分ながら当時の政府がまとめた資料もある。そもそも内閣府ホームページの「防災情報のページ」に載っている「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成20年3月 1923 関東大震災【第2編】」では朝鮮人虐殺が明確に指摘されている。
https://takase.hatenablog.jp/entry/20200915
警視庁楠官房長は「政府として調査した限り、事実関係を把握できる記録は見当たらず、仮に指摘の資料を確認しても、内容を評価することは困難」と言い、かりにあったとしても本当かどうか分かりませんと逃げる。あくまで認めたくないのだ。
https://takase.hatenablog.jp/entry/20230929
深刻なのは、政治の世界でのこうした対応が、ヘイトスピーチや排外的な雰囲気を社会に一気に広めていることだ。5月の参議院内閣委員会で追求した杉尾秀哉議員(立憲)は言う。
「被害者遺族への謝罪や補償につながるのを恐れるあまりの言い逃れだろう。そしてそんな答弁が『虐殺なんかなかった』というネット上の虚偽を増長させている」。(朝日新聞8日付「日曜に想う」より)
想起されるのは、小池百合子都知事の「朝鮮人犠牲者追悼碑」への追悼文送付取りやめとその影響だ。
1973年に墨田区横網町公園に碑が建立されて以来、9月1日の追悼式典には歴代都知事(石原、猪瀬、舛添、小池)から追悼文が寄せられてきた。2016年には小池都知事は追悼文を送り、「極度の混乱の中、多くの在日朝鮮人が言われのない被害を受け、犠牲になられたという事件は、わが国の歴史の中でも稀に見る、誠に痛ましい出来事でした」として「哀悼の念」を表明していた。
ところが翌2017年は、「東京都慰霊堂で開かれる大法要で全ての震災犠牲者追悼の意を表しているので個別の対応はしないことにした」(知事発言)として追悼文を送るのを止めた。
震災という自然災害で亡くなった人と、震災を生き延びて助かったあとで虐殺された人を同一視して、虐殺の事実を覆い隠そうとしている。
するとさっそく、この年の9月1日から毎年、同じ横網町公園で、「朝鮮人被害者追悼式典」を妨害する目的でヘイト集会が開かれるようになった。この団体は、朝鮮人虐殺を否定し、各地の朝鮮人慰霊碑の撤去を求めて活動している。
去年8月から東京都人権プラザの主催事業として開催されていた企画展での映像作品”In-Mates”の上映が不許可とされる事件が起きた。その理由が朝鮮人虐殺に関するものであることが、東京都人権部から送られたメールに記されている。
「インタビュー内で『日本人が朝鮮人を殺したのは事実』(東京大・外村大)と言っています。これに対して都ではこの歴史認識について言及をしていません・・都知事がこうした立場(朝鮮人追悼式典への追悼文不送付)をとっているにも関わらず、朝鮮人虐殺を『事実』と発言する動画を使用することに懸念があります」
都知事が虐殺を認めないから東京都の関連イベントでは虐殺に触れることを許さないというのだ。ここは民主国家なのか? ぞっとする危ない地点までこの国は来てしまっているのではないか。
朝鮮人虐殺をめぐる動きは、日本の民主主義を見極める一つの大事な指標だ。注意して見守り、行政などの不条理な対応にはしっかり声を上げていこう。
関東大震災における朝鮮人虐殺についての連載はとりあえずここで一段落とする。
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最後におことわりです。
海外取材のため、ブログはしばらく更新できなくなります。ご了承ください。