先月、東中野の「ポレポレ東中野」で中村哲医師の思索と行動を描いた『荒野に希望の灯をともす』のリバイバル上映があった。
去年7月の上映開始から観客動員数が6万人を超えたという。ドキュメンタリー映画は1万人以上が観たらヒット作とされるなか異例の数字だ。私は上映の後のアフタートークが楽しみで2回通ったのだが、監督で友人の谷津賢二さんが披露したエピソードが感動的だった。去年のある上映会で、17歳の高2の女の子が彼に語りかけてきて、こう言ったという。
「私は新聞やテレビなど観たりしても、日本にロクな大人がいないと思ってきました。この映画を観て中村医師のことを知って、私はまだ日本でがんばれると思いました」。
閉塞感で息苦しさが増す日本で、中村哲さんの生き方が人々の心に文字通り「希望の灯」をともしている。中村さんはアフガニスタンだけでなく、ここ日本の人々をも助け励ましているのだなとあらためて思った。
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事故原発から出る汚染水の海水放出を強行したことについて、おおかたのメディアでは、反発する中国を批判する形で事実上承認する論調が多いなか、『信濃毎日新聞』の社説は正面から異議を唱えている。
普通の原発の冷却水と、溶融した炉心のデブリに直接触れた福島の汚染水は別物であること、ALPSで処理したとされた水のなかにトリチウム以外のプルトニウムを含む多くの放射性物質が、しかも基準をはるかに超えて残存していたことなど、政府と東電が触れたがらない事実を指摘、信頼を築くのが先決であり、「原発推進を唱えられる状況なのか、政府は考え直すべきだ」と結んでいる。立派だ。
〈社説〉原発処理水の放出 責任の重み分かっているか
2023/08/28 09:30
漁業者の反対を押し切っての開始である。政府と東電が地元漁協と交わした「関係者の理解なしには処分しない」との約束は、ほごにされた形となった。
岸田文雄政権は漁業者から「一定の理解を得た」とし、風評被害対策や漁業の継続に「責任を持つ」と強調している。
額面通りに受け取ることはできない。放出は今後30年は続く。どう責任を持つのか。政府、東電の方こそ、その重さを理解しているのだろうか。
■信頼の積み上げなく
そう疑問に思わざるを得ないのは、原発について政府と東電がこれまで、不信を招く対応を繰り返してきたからだ。信頼の積み上げが決定的に欠けている。
2011年の事故でメルトダウンした原子炉に地下水や雨水が流れ込み、汚染水が発生してたまり続ける。これは当初から重大な問題と指摘されてきた。
事故から12年、政府と東電は解決にどう取り組んだか。保管するタンクがいずれ満杯となるのは確実なのに、限界が近づくまで実質的に先送りが続いた。
浄化処理して海に流せばよい。トリチウムという放射性物質は除去できないが、各地の原発でも流している―。最初からそんな甘い考えがあったのではないか。
過酷事故を起こした福島第1原発を、他の原発と同じように考えることはできない。
溶け落ちた核燃料の残骸などはデブリと呼ばれ、強烈な放射線を出し続けている。全貌は今も明らかでなく、耳かき一杯分ほどの採取の試みさえ難航している。
そんな物質に触れた水だ。きちんと浄化できるのか。海に流す以外の方法は本当にないのか。疑問がわくのは当然だろう。
政府は委員会を設けて処分方法を探ったものの、議論は海洋放出ありきの感が漂った。
■第三者による監視を
地元住民や漁業者向けに説明会は開いてきた。だが一方的に「理解」を求める内容にとどまり、意見が出ても、それで対応が変わる余地はほぼなかった。
浄化したはずの水に、トリチウム以外の放射性物質も残っていると判明したこともあった。放出前に浄化し直すと釈明したが、情報を分かりやすく伝え、説明する感覚に欠けていた。
有識者の間には今も、海洋放出以外の方法を検討するよう求める声がある。例えば、10キロ離れた福島第2原発の敷地なども使った長期保管だ。トリチウムの半減期は12年。保管しながら放射能の減衰を待つという手もある。
海に流し続ける以上、不安を取り除いていくには、トリチウムなどが海中にどう広がっているかを詳細に追跡し、逐一発信していかねばならない。
政府や東電は、周辺海域の100カ所以上でトリチウム濃度を測定する。国際原子力機関(IAEA)も現地で監視を続ける。
内外の注目が集まる現段階は監視が効いている。問題は放出が日常化していった後だ。緊張感を維持しなくてはならない。
東電は、11年の事故の後もミスや不祥事が止まらない。柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働に向けては、テロ対策の不備などで原発の運転主体としての適格性自体が疑われている。その東電が今後、確実に信頼を積み上げていける保証はない。
処理水の検体を公開し、IAEA以外からも専門家が広く検証に関われる仕組みをつくるなど、監視の目が行き届く態勢をもっと充実させられないのか。
■その場しのぎでは
放出前、岸田首相は、現地視察や漁業団体との面会を慌ただしくこなした。儀式を足早に済ますような対応からにじんだのは、避けがたい当面の難局をどううまく切り抜けるか、という姿勢だ。
「責任を持つ」の言葉が、世代を超えて漁を続けたいと願う漁業者に響かないのも無理もない。
思い出すのは2013年、東京五輪開催を目指す中で、当時の安倍晋三首相がIOC(国際オリンピック委員会)総会で述べた「状況はコントロールされている」との言葉だ。制御下にあるとはとても言えない状況だった。
その場しのぎの対応が、後の政権に代々受け継がれている。処理水の放出に至ったことを重く受け止め、事故が人々にもたらした現実と未来に改めて向き合う。そうあるべき場面ではないか。
忘れてならないのは、処理水の放出が、廃炉に向けて直面する放射性廃棄物処分の、ほんの一歩でしかないということだ。
汚染水の絡みでは浄化の際に生じる汚泥もたまり続けている。敷地には事故で発生したがれきも残る。そして何より、デブリを本当に取り出せるのか、出せたとしてもどう保管するのか。決まっていないことがあまりに多い。
原発推進を唱えられる状況なのか、政府は考え直すべきだ。
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事故後、汚染水の処理が課題になるのが分かっていながら放置してきた日本。
12人の「助言員会」が10年以上、さまざまな案を検討して合意の上決めたスリーマイル島での取り組みのようなことがなぜできなかったのか。今からでも反省し、新たな手を打つべきだろう。