谷川俊太郎の死によせて(3)

 畑の大根を抜いて洗ってみたら・・・びっくり!




 三日前のことだが、谷川俊太郎にふさわしいような気がして、なんだか一日中うれしかった。

 谷川俊太郎は92歳で亡くなったが、近年のインタビューでは死についてよく語っていた

 その中でこんな発言をしている。

「死は人生のダークサイドだって思われがちですが 、死の先に何かが開けている」

「最近、宇宙は目に見えない、ビッグバンのエネルギーに満ちているように見えてきた。僕は今、死んでも宇宙のエネルギーと一体になれると思う」

 おお、これは私の考えるコスモロジーとほとんど同じだ。とすると、前回の「芝生」という詩で、「私の細胞」が記憶していたのは138億年の宇宙の歴史となるのではないか。ますます彼の詩がおもしろくなってきた。

 朝日新聞の17日付朝刊に「感謝」という詩が載った。


 谷川俊太郎の書き下ろしの詩を毎月第三日曜に掲載する「どこからか言葉が」というコーナーで、彼が13日に亡くなったあとにこの詩は発表された。説明はないが、彼自身が「最後の詩はこれにしてほしい」と指定していたのかもしれない。そう思っても不自然ではない詩である。

 

感謝

 

目が覚める

庭の紅葉が見える

昨日を思い出す

まだ生きてるんだ

 

今日は昨日のつづき

だけでいいと思う

何かをする気はない

 

どこも痛くない

痒くもないのに感謝

いったい誰に

 

神に?

世界に? 宇宙に?

分からないが

感謝の念だけは残る

 

 私も感謝の念をもって死んでいきたいものだ。