原発政策の転換に怒る被災者たち

 日本の原子力政策が大きな転換点を迎えている。

 8月の脱炭素社会実現に向けた政策を検討する「グリーントランスフォーメーション(GX)実行会議」あたりから急に原発回帰に舵を切り始めた岸田政権だが、「最長60年」だった原発の運転期間を延長し、廃炉になる原発の建て替え推進にまで踏み込んでいる。

 岸田文雄という人、正体が分からなくなった。
 宏池会ということもあって、いくらなんでも安倍・菅政権よりはマシだろうと期待したのは私だけではないと思うのだが、統一協会にしろ防衛政策にしろ、国の“おおもと”にかかわるところで有害無益な対応を繰り返している。“聞く耳”がどうのこうのと言っていたのに、国民の声をこれほど無視して悪政を続けるとは・・。
 岸田内閣打倒!のスローガンに共鳴する。

 先日、テレビのニュースに懐かしい人が出ていた。
 山本三起子さん。原発事故で被災した大熊町の人で、会津若松市に避難生活を送っている。

山本三起子さん(NHKニュース)

 岸田首相の原発政策について、新橋駅あたりでインタビューされたサラリーマンの「使えるもの(原発)は使った方がいいんじゃないすか」とのとぼけた感想に続いて、山本さんが「納得出来ません」とNOの立場から意見を言っていた。

《当時、福島第一原発が立地する福島県大熊町で暮らしていた山本三起子さん(72)は、原発事故のあと、120キロ以上離れた会津若松市に避難しました。自宅があった地域は、ことしの夏、ようやく避難指示が解除されましたが、生活の基盤が整わないことなどから今も家族とともにふるさとを離れて暮らしています。

 原発事故によって元あった暮らしを失った立場から、原発の新設・増設などへ舵を切った政府の方針には納得できないといいます
 山本さんは「本当に想定外の話です。今も事故で避難している人がいる中でなぜこうなるのか。政府の原子力政策がころころ変わり、電源喪失や水素爆発のことも忘れてしまっている。デブリの取り出しも何も解決しておらず、再稼働には納得できません。私たちの気持ちと政府の方針がかみ合わず理解してもらえていない」と胸の内を明かしました。 

 そのうえで「ウクライナでの戦争に伴うエネルギー事情は理解できますが万が一、事故が起きた場合の代償は大きい。福島はもちろん、全国の原発立地地域の人たちはもっと怒りの声を上げていいのではないか」と話していました》(NHKニュースより)

www3.nhk.or.jp

 

 山本三起子さんを『ガイアの夜明け』で取材したのは2013年。
 大熊町で「これ以上の幸せはない」という暮らしをしていた彼女、「原発事故で、天国から地獄に落ちたのよ」と語っていた。
 彼女のことはかつて匿名で書いた。

takase.hatenablog.jp

《避難してしばらくすると、味覚がおかしいことに気づいた。味がわからなくなったのだ。ついで、耳が聞えなくなった。視覚異常も出てきたある日、急に立てなくなった。車椅子で病院に運ばれ、脳のスキャンを受けたが異常なし。結局、「うつ病」の一種という診断で、今も治療中だ。とても元気に受け答えをする人で、一見「うつ病」とは無縁に思うが、それは「薬を飲んでるから」だという。》

 原発事故は、避難した後がむしろ大変で、あれから10年以上たった今も被災者たちの苦しみが続いていることを忘れないようにしたい。

 それにしても山本三起子さんのお顔を拝見できてよかった。お元気に見えたが、いまもうつ病の薬を飲んでいるのだろうか。