きょうから大寒。寒いが日中、東京はよく晴れて、日なたにいると太陽エネルギーのありがたみを感じる。近所のモクレンの花芽が、見るたびに大きくなっていくのがうれしい。
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梅原猛さん(哲学者、国際日本文化研究センター(日文研)初代所長)が、1月12日に93歳で亡くなった。アカデミズムでの活動以外にも、スーパー歌舞伎の台本を書いたり、臓器移植に反対したりと広く活躍した。「梅原日本学」と呼ばれる独特な歴史、文化の解釈は多くの論争を呼んだ。
私は梅原さんに影響を受けたことはないが、尊敬する渡辺京二さんの著作で梅原さんのアイヌを「原日本人」とする説に触れた箇所が刺激的だったので印象に残っている。
《自然人類学の知見はアイヌも日本人ももとは縄文人として同一のルーツをもつという事実を示すにすぎないが、一歩進めてアイヌと日本人は神観念を初めとする精神文化を共有するのではないか、いい換えればアイヌ文化には、日本の精神文化の原型がとどめられているのではないかという問題を提起したのは梅原猛である。(略)
日本人というのは民族概念であって、日本人という人種は存在しない。(略)民族(エトノス)とは言語を中核とする文化の共有によって成り立つ歴史的概念で、日本人という民族が成立するのは7、8世紀である。アイヌもあまり遅れずに、日本人から異族とみなされる一民族として自己を形成したのだろう。縄文時代には日本人もアイヌも存在しない。その前身としての縄文人の存在が認められるだけである。だからアイヌが原日本人だというのは、ナンセンスでなければデマゴギーなのだ。今日に通じるような日本文化が形成されたのは室町後期である。同じ意味でのアイヌ文化の成立もほぼ同時代と認められる。だから、アイヌ文化が日本文化の基層をなすこともありえない。アイヌを原日本人とし、アイヌ文化を日本文化の基層とするのは、アイヌとその文化を日本の領域にとりこんでしまうことを意味する。それはけっして日本人や日本文化の領域に、原型あるいは基層としてとりこまれるべき存在ではない。
しかし梅原説は、このような不用意な言辞にこだわらなければ、示唆と妥当性に富む有益な仮設でありうる。梅原説の大筋は縄文人を日本人とアイヌの共通ルーツとし、アイヌ文化が縄文文化の骨格を保ちつつ進化したのに対して、日本文化が大陸の影響によって縄文的性格をかなり失ったとする点にある。だとすると、アイヌの宗教的儀礼や習俗に、日本文化の最古層を読解する鍵を求めようとするのは正当な試みであって、梅原の真意は、日本では衰弱して基底に隠れてしまった縄文的伝統が、アイヌにあってはかなりよく保存されているのを強調することにあったのではなかろうか。梅原の仮説はアイヌを日本にとりこもうとするものではなく、むしろ既成の「日本」像を解体して新しい可能性を望見するものといってよかろう。》(渡辺京二『黒船前夜』洋泉社P132〜)
つまり、同じ縄文人が日本人とアイヌとに民族形成が分かれたので、どっちが「先住民」というわけではないが、弥生以降の大陸からの影響を強く受けた「日本人」よりもアイヌの方が縄文的なものをより強く残しているというのだ。ここからいろんなイメージが広がっていく。
日本人とは何ものかという問題は、ナショナリズムの根幹であり、天皇制やヘイトスピーチ、沖縄といったテーマにつながってくる。アイヌについても勉強しなくては。