コスモロジーの創造4

 朝、パンが無いので買い物に出て、国分寺市国立市の境にある「たまらん坂」を通ると、たくさんの花が置いてあった。あとで知ったが、5月2日が、忌野清志郎さんの10回忌だった。彼のアパートがこの坂の近くにあり、「多摩蘭坂」という歌も作っている。ここはファンの聖地の一つだという。

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 私は忌野清志郎さんのファンではないが、奇妙なつながりがあって、ご縁を感じている。
https://takase.hatenablog.jp/entry/20090215
 2日の朝日新聞天声人語でも彼にかかわる逸話を書いていた。
 《「十八になる私の子供は内向的でハキハキしません。ギターのプロになるのだと申します。どうしたらよいでしょう」。50年前、本紙の人生相談の欄に投稿が載った。相談者はのちにロックシンガーとなる高校生、忌野(いまわの)清志郎さんの母である・・》https://www.asahi.com/articles/DA3S14000199.html
 10年経ってもなお慕われているのは、彼の自由な生き方が多くの人を勇気づけたからだろうか。アートは人びとのコスモロジーを感覚的に揺さぶる力を持っているようだ。
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 ちょっとおさらいをすると、極微の一点に凝集された莫大なエネルギーから宇宙ははじまった。そして宇宙は拡大する過程で、クオーク、水素原子、星、銀河、そして太陽系第3惑星に生命を、さらには宇宙の進化を認識するヒトを生み出した。宇宙がこうして、138億年もの間、より複雑で高度なものへと進化し続けてきたことは、考えてみると実に不思議だ。
 宇宙を擬人化していうと、単純な構造のままでいた方が楽だろうに、なぜわざわざ複雑な方に、複雑な方にと進化してきたのか。これは宇宙物理学の専門家をも悩ませ、「人間原理」(anthropic principle)という考え方まで唱えられている。
 渡辺京二さんが語る、人は何のために生きるかの答えはこうだ。
 《この宇宙、この自然があなた方に生きなさいと命じているんです。わかるかな。
 リルケという詩人がいますが、彼は人間は何のために存在しているんだろうと考えたのね。人間は一番罪深い存在だと見方も当然一面ではありますが、ごく自然に言って、人間はあらゆる意味で、進化の頂点に立っている。人間は神様が作ったものじゃない。ビッグバンから始まった宇宙の進化が創り出したのが人間という存在である。ではなんのために、この全宇宙は、この世界という全存在は、人間というものを生み出したのであろうか。
 その時に彼は世界が美しいからじゃないかと考えたんです。空を見てごらん。山を見てごらん。木を見てごらん。花を見てごらん。こんなに美しいじゃないか。ものが言えない木や石や花やそういったものは、自分の美しさを認めてほしい。誰かに見てほしい、そのために人間を作った、そうリルケは考えたのね。宇宙は、自然という存在は、自分の美しさを誰かに見てもらいたいために人間を作ったんだというふうに考えたんだねえ。》
 《人間は、この全宇宙、全自然存在、そういうものを含めて、その美しさ、あるいはその崇高さというものに感動する。人間がいなけりゃ、美しく咲いてる花も誰も美しいと見るものがいないじゃないか。だから自然が自分自身を認識して感動するために、人間を創り出したんだ。
 そう思ったら、この世の中に存在意義がない人間なんか一人もいないわけ。全人間がこの生命を受けてきて、この宇宙の中で地球に旅人としてごく僅かの間、何十年か滞在する。その間、毎年毎年花は咲いてくれる、これはすごいことでありまして、たとえばうちの庭の梅の花も、多少時期は何十日か遅れることがあっても、必ず約束したように、毎年毎年咲いてくれます。そういうふうに毎年毎年花を見る、毎年毎年、ああ、暑かった、ああ、寒かったと言って一年を送る、それだけで人間の存在意義はあるんです。》(『女子学生、渡辺京二に会いに行く』(亜紀書房)P223-225)
 以前紹介したフレーズだが、あらためて、まずはこれでよいと思う。「この世の中に存在意義がない人間なんか一人もいない」。さわやかに生きるための支えになる考え方である。https://takase.hatenablog.jp/entry/20120714