中村哲医師の「共に生きる」哲学

昨夜の放送を皮切りに、いろんな機会に取材成果を発表していきたいので、よろしくお願いします。

 FBでは中村哲さんの哲学についてさらに語っている。

・・・・・・・・・・・

11月24日(木)。アフガニスタン11日目。

 朝7時45分、中村哲医師が率いたPMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス=平和医療団・日本)のスタッフがホテルに迎えに来る。

 「ワールドカップで日本がドイツに勝ちましたね」とPMSスタッフ。ネットニュースも見ておらず、知らなかった。日本では騒いでいるだろうな。

 彼らと同じバンに乗って出発。10月1日に始まったばかりの新たなプロジェクトを見に行く。場所はジャララバードの南東60キロの地区で、同行のジャーナリスト、遠藤正雄さんによれば、この辺は以前からタリバンとIS(イスラム国)の支配地域で、米軍の前哨基地が3カ所に置かれ、2016年まで激しい戦闘が行われていたという。

タリバンの護衛2人が先導する。正面にスピンガー山系。右に歩く女性たちは目も見せないすっぽりと被るチャドルで身を覆う。

(家々は白いタリバンの旗を掲げている。昔からタリバンが強かったところである)


 途中、タリバンのチェックポイントが7カ所ほどあったが、一昨日の経済省とのやりとりでタリバン兵2人が私たちの護衛で先導してくれているので、旅券を見せる必要もなくパス。

 田舎道に入っていくと、家々にタリバンの旗が立っている。
 実はきのう、PMSの診療所を訪ね、医師や患者にインタビューした。しばらく撮影していると、タリバンの情報局がやってきて取り調べを受けた。取材する私たちを見た患者の誰かがタリバンに通報したのだろう。

 タリバンとは何者かについて―
 激しいゲリラ戦でソ連軍を撤退させたあと、アフガニスタンはムジャヒディーンの軍閥、地方ボスが割拠して互いに抗争。匪賊と化して「通行税」として人々から金を巻き上げ、略奪、暴行、誘拐を繰り返して治安は乱れた。
 アムネスティ・インターナショナルによれば、「強姦を含めた拷問が、政府管理下の拘置所やムジャヒディーン各派による施設で常態化していた」(94年リポート)という。
 この無秩序状態に武装蜂起したパシュトゥン人の集団がタリバンで、94年、2人の少女を誘拐して強姦したある軍閥指令官を討伐して死体をさらしたのが起源だという。(青木健太『タリバン台頭』より)
 タリバンはその後、悪事を働く軍閥司令官の成敗で民衆の支持を得、96年にはカブールに入城して第一次タリバン政権ができた。
 勧善懲悪を掲げながらも、パシュトゥン人の民族的な偏向も見られ、ウズベク人やシーア派のハザラ人(日本人と顔立ちが似ている)に対して容赦ない報復、虐殺を行っている。

 タリバンとは、世界各地に展開するアルカイダなどとは全く違い、土着の政治勢力で、思想的には大きく二つのルーツがあるといわれる。
 一つはイスラム教の復古的な解釈、もう一つはパシュトゥン・ワリーと言われるパシュトゥン人の伝統的な慣習法である。

 PMSが活動しているアフガニスタン南東部はパシュトゥン人の多いところで、中村哲さんはパシュトゥン・ワリ―について、興味深い言及をしている。

 ここは、きのう紹介した、中村さんが「農村の後進性」に「倫理の神髄」を見たことにつながるので、ちょっと掘り下げてみたい。

 中村さんは、パシュトゥンワリーを「アフガン農村社会を律する共通の掟」と捉える。代表的なものとして「メルマスティア(客人接待)」とバダル(復讐法)」の二つを挙げ、「これは、外国人の想像を超える強固な農村社会の掟である」という。

 タリバン政権が、「テロリストのビンラディンを引き渡せ」とのアメリカの要求を蹴ったのは、前者の「客人接待」にあたる。
 当時、「客人を理由なく売り渡さない」というタリバンの不文律が一般大衆に説得力を持っていたと中村さんはいう。
 このビンラディン身柄引渡し拒否こそがアメリカの侵略を招いたのだから、民衆が米軍に敵意を持つのは当然である。

 バダル(復讐法)については、中村さんはこう書いている。以下、ちょっと長いが、『天、共に在り』より引用。
・・・・・・
 バダルとは、「目には目を、歯には歯を」で知られる報復である。危害を加える敵に対して、同様の報いを与えるもので、中世・近世日本の「仇討ち」に近い。「ドシュマーン(敵)」という言葉は、現地で独特のひびきがあって、これも外国人が理解しにくい慣習の一つである。家族同士の代々の抗争のこともあれば、理不尽な仕打ちに対する正当な抵抗のこともある。わがPMSのアフガン職員でも、「家の事情」で突然の休暇をとる場合、この「敵」の対処に絡むことが珍しくない。(略)

 誰の目にも理不尽な仕打ちの場合、「仇討ち」を賞賛する。例えば、悪徳有力者が弱い者を殺(あや)め、やられた側に成人男子がいない場合、母親がわが子を復讐要員として育てる。宴席に招いて毒殺という例もあった。数年後「めでたく」本懐を遂げると、人々は「あっぱれ」と賞賛する。現地の新聞は「少年による殺人事件」という記事に事欠かない。ほとんどが「仇討ち」で、人々は美談として受け取る向きが多い。

 最近日本で見られるような「家庭内殺人」とは異なる。ある現地ジャーナリストが日本に来て、「親殺し」や「児童虐待」のニュースを聞いて大いに驚き、「こんなひどい話は初めてだ。日本の治安は最悪」と述べたという話を聞いたが、同じ「殺人」であっても、アフガニスタンの方が納得できる気がする。日本でさえ「赤穂浪士」は美談であるから、まんざら理解できぬことではない。いわゆる家庭内暴力や自殺も、人権思想が浸透しているはずの先進国で圧倒的に多いのは皮肉である。健全な倫理感覚と権利意識とは、案外反比例するのかもしれない。

 現地の人と長く付き合っていると、美点も欠点もコインの裏表のようなもので、気に入ったところだけを積み上げて愛するというわけにはいかない。いや、美点・欠点を判断する「ものさし」そのものが、自分の都合や好みで彩られていることが多い。「共に生きる」とは美醜・善悪・好き嫌いの彼岸にある本源的な人との関係だと私は思っている。
・・・・・
 中村さんは「私は思っている」と結ぶが、これは同時に私たちにも突き付けられているような迫力を感じる。

 異文化との共生、多様性の尊重・・流行り言葉のようにカジュアルに耳にするが、ほんとうに「共に生きる」には、自らの善悪の基準自体への問いかけまでもが必要なのだと気づかされる。そのためには、自分が身を置く「近代」の正体を見極める目を持たなければならない。

 中村哲さんの問題提起をそんなふうに受け止めたが、みなさんはどうだろうか。

ジャララバードの朝

干ばつが毎年のように襲ってくる。このあたりにもかつて緑があったという。根本には温暖化の問題がある。