12月5日のBS11の「中村哲医師殺害から3年 今も活きるその偉業とアフガニスタンの最新情勢」は、以下のサイトで2週間、無料で見られます。
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中村哲医師が活動したアフガニスタン東部ナンガルハル州での取材リポーつづき。FBより。
11月25日(金)。アフガニスタン12日目。
ひとつクイズを。
アフガニスタンの暦(アフガン暦)では今年は何年になるでしょうか。?
イスラム暦の1444年だろうと思いきや、正解は1401年。ペルシャ暦とも言われ、イランとその周辺で広く使われている暦だ。
イスラム暦と同じく「ヒジュラ」(預言者ムハンマドがメッカからメディナに移った「聖遷」、西暦622年)を起点にしているのだが、イスラム暦が月の運行にもとづく太陰暦なのに対して、アフガン暦は太陽暦。だから暦のスタートは一緒なのに、どんどんずれていって今では43年の違いになっている。
ちなみに日本の春分の日がアフガン暦の新年、1月1日になる。ここに太陽霊としての合理性を感じる。(西暦の1月1日は太陽の運行と関係ないのに比べて)
いわゆる西暦も使われていて、これは「キリスト教徒暦」と呼ばれる。
毎日テレビニュースのはじめに、きょうは「日の暦」(アフガン暦)では1401年の5月6日、「月の暦」(イスラム暦)では1444年の・・・、「キリスト教徒暦」では2022年の・・・というぐあいに三つの暦を読みあげるそうだ。
三つの暦の換算はとても大変だ。
元号と西暦の換算は年だけですむ。こちらは、年だけでなく月も日も違っているのだ。アフガン暦と西暦は同じ太陽暦だから換算しやすいが、イスラム暦との換算がやっかいらしい。私たちの通訳と運転手がスマホの換算表を見ながら、「こんどの『月の暦』の月末はいつだっけ」などとやり取りしているのを見ると大変だなあと同情する。
日本ではふだん西暦をいちいちキリスト教徒の暦だと思いおこす人はいない。(西暦という言い方で本来の意味が隠れてしまっている)
だがこの国では、用途や会う人によって暦を換算するたびに、自他の宗教を意識せざるを得ないだろう。
タリバン政権になってからイスラム暦が使用される頻度が増えて困っていると、うちの通訳はこぼしていた。
街に流れるアザーン、1日5回の祈り。それだけでなく、宗教はカレンダーにまで大きな存在感をもって暮しに影響を与えている。
中村哲医師が創設し率いてきたPMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス=平和医療団・日本)の施設、プロジェクトを2日にわたって見てまわった。
これらについては、書籍やテレビ番組などで紹介されているので、印象にのこった点だけを報告したい。
PMSは「医療団」であり、今も診療所を運営する。
ジャララバードから1時間ほどのやや山間部に入ったところに診療所はあった。診療を待っていたなかに、かなり遠くからきた人がいた。周辺地域に、国際赤十字などNGOが運営する診療所が2カ所あって、ここは一番遠いのだが、「医療の質が良いから」来ているという。
僻地の診療所というと、「赤ひげ」みたいなのが一人で切り盛り
しているイメージがあるが、多様な病気を診るには、しっかりした体制が必要だ。例えば下痢ならその原因を突き止めてアメーバ性だと分かればそれに応じた治療をしなければならない。この診療所には検査室があり、検査技師が顕微鏡で検体をのぞいていた。ワクチン接種に特化したスタッフもいる。女性患者を診る女医もいて、さすがPMSだけあって「医療の質が高い」と人々が信頼するのもわかる。
24時間態勢で、診療も薬も無料で提供しているとのこと。NGO診療所のなかでは突出した存在なのだろう。
これだけの医療態勢を、政権が変わろうが、近くで戦闘があろうが、長期にわたって日本の一民間団体であるペシャワール会が支えてきたのである。並大抵の苦労ではなかったと思う。
一つ疑問だったのが「コロナはこの辺では流行っていない」と医師がいったこと。ジャララバードのPMSのスタッフも罹っているのに、そんなはずはないと思うのだが・・。
タリバン政権に対する制裁下でも薬品などの供給が滞ってはいないとのことで、そこは安心した。
中村哲医師が、医療よりも三度のメシを食えるようにすることが大事だとして、医師でありながら用水路建設に集中していく経緯とその成果については、「アフガニスタン10日目」に挙げた吉永小百合のラジオ放送にゆずる。
PMSの灌漑プロジェクトは拡大を続けているが、これまでにカバーした面積は2万2500ヘクタールだという。ネットで調べると大阪市の面積は223平行キロ。ほぼ同じだ。ものすごい広さである。これによって直接恩恵をこうむっている人が65万人もいる。
昔は水争いで集落同士の暴力沙汰もあったが、水が十分に来るようになっていさかいもなくなった、とある長老が言っていた。
中村さんはつねづね、人は家族一緒に三度三度メシをちゃんと食えれば、争いごとなど起こさないと言っていたが、それを裏付ける話である。
砂漠化した土地が緑豊かな耕地になって、もといた人が戻ってきただけでなく、外からどんどん人が移住しているという。道路が拡張され、その沿道にまた人が住み着いて、さらに人口が増えているそうだ。
用水路がもたらした状況の激変を端的に示すのが地価だ。100倍になったところもあるとPMS現地トップのジア医師が言う。
灌漑プロジェクトを他の地域にも広げるために、PMSはトレーニングセンターを建て、全国から人を集めて中村さん自らが教師になって灌漑技術の専門家を養成してきた。アフガニスタン全土でしっかりした農業振興ができれば、強力な平和の基盤になると中村さんは考えていたのだろう。
つい10月1日から用水路をつくる工事がはじまったコット地区を訪ねた。ジャララバードの南東60キロ。行ってみると、急峻な斜面のかなり高いところを通す難工事だと知った。PMSスタッフ22人と村人44人、その他重機7台とオペレーターが作業にあたっていた。
江戸時代に造られた東京の玉川上水について少しだけ調べたことがある。そのとき、用水路が微妙な高低差を計算しながら掘っていくことを知って感動した。
PMSがこれまで掘ってきた用水路は、100メートルあたりわずか10センチの傾斜で水を通している。
用水路は、ただがんばって掘ればいいというものではなく、確かな技術の裏付けが必須である。土木にはまったくの素人の中村さんは、娘さんの数学の教科書を借り、土木工学を一から勉強して自ら設計図を描くに至ったのだ。
その中村哲さんに薫陶を受けたアフガニスタン人の弟子たちがいま難工事に挑んでいる。
中村さん亡き後も、彼の精神と技術を受け継いで前に進んでいる多くのアフガニスタン人がいることを知って感動し、また安心した。
もっとも気になっていた、タリバン政権に変って、活動に支障が出ていないかということについては、中村さんと「緑の大地計画」の立ち上げのときから一緒に活動してきたディダール(Deedar)技師がこう答えた。
「ドクター中村は言っていた。『政府は変る。しかし民衆は変らずにそこにいる。政府がどうであるかに気をとられるな。民衆とともにあればよいのだ』と。この言葉を守って、政府が変わっても私たちは活動を変えません。」
「前の政権も今回の政権もPMSを尊重してくれています」とも言う。
前政権のガニ大統領は、中村さんに勲章を授与して活動を賞賛した。亡くなったとときには、中村さんの遺体をみずから担ぎ、国葬に近い配慮を見せた。
現タリバン政権も、ジャララバードの中心部に、中村さんの記念公園を10月オープンするなど、その偉業を高く評価し、PMSの活動には協力的だという。
それは経済省が私たちのPMS取材にタリバン兵2名を護衛につけてくれたことにも表れていると思う。
中村さんの権力に右顧左眄しない姿勢は、今後もPMSに引き継がれていくだろう。