やった!遠藤正雄さんが、日本のジャーナリストとしてアフガニスタンの首都カブールに一番乗りした!文句なしの大スクープ!
知り合いのジャーナリストたちからは「さすが遠藤さん!」と感嘆の声が上がった。
遠藤さんは、ベトナム戦争からはじまって世界各国の危険地を取材してきた歴戦のジャーナリストだ。
とりわけアフガン情勢にはくわしい。ソ連支配下、タリバン時代、米軍統治下と様々な時期にアフガニスタンを取材しており、2001年11月のタリバン政権崩壊直後にはカブールに一番乗りし、NHKに現地からレポートを送ったこともあった。
どこでどうやってタリバンに接触して取材ビザ、取材許可をもらうのか、世界各国のジャーナリストたちが苦戦するなかアフガン入りを果たしたのだから、それだけですごい。
一流のジャーナリストは、取材内容だけでなく、取材にたどりつくまでのお膳立てが抜きんでていることを思い知らされる。
そのスクープ取材は、きょうのTBS「報道特集」で放送されたが、金平キャスターが「見ると聞くとでは大違い」と表現したとおり、遠藤さんの取材ならではのすばらしい内容だった。
まず意外だったのは、首都カブールの治安が米軍統治下よりはるかに良いこと。
タリバン兵も街の人たちも気軽にインタビューに応じていて、少なくとも街頭での取材制限や言論統制は感じられない。
ただ、遠藤さんは中継で、タリバン兵が一般市民に危害を加えることはないが、デモは厳しく取り締まられ、取材中の現地メディアも暴行を受けたと報告していた。
また、故中村哲先生の「ペシャワール会」は、カブール陥落直後は作業を止めて様子を見たが、今はオペレーションを再開したという。治安が確保されているのは確かのようだ。
ただ、街に女性の姿は少なく、市場や商店に活気が見られないという。タリバン政権になって失業した人も多く、生活の苦しさを吐露する声が多かった。公園には地方の戦乱を避けて首都に逃げ込んで来た人たちのテントが並び、窮状を訴えていた。
国境は閉鎖され、品不足で物価が高騰している。両替市場にいくと、アフガンへの送金停止でドル不足になり、通貨アフガニの価値が日増しに下がっている。
そもそも、これまでアフガニスタンは政府予算の4分の3以上を海外からの援助で賄っていた。その中の相当部分は日本からのお金だ。これが急にストップするわけで、これから経済をどう回して人々の暮らしをどう支えていくのか、新政権の最大の課題になるだろう。
遠藤さんの取材に応じたタリバンの広報担当は、率直に日本からの支援に期待していた。
日本から見て邪悪な政権やグループであっても、ジャーナリストたちは取材のために接触していく。賢明な政府であれば、ジャーナリストを通じた交渉パイプを築くのだって可能だ。
ところが日本では、ジャーナリストの安田純平さんがシリアで拘束された問題で、「自己責任」論がネットを中心に高まり、政府は危険なところに日本のジャーナリストが行くことはまかりならんと安田さんの旅券をいまだに発行しないでいる。
ジャーナリストの常岡浩介さんの旅券も取り上げられたままだ。
危険地の情報は、外国の通信社の配信ニュースか現地からのSNSで得ればいいではないか、という意見が一般の市民からも聞かれた。
しかし、今回の遠藤さんの取材を見れば、独自に現地に入って取材することがどれだけ必要かがわかる。陥落したカブールについてのこれまでの情報が、いかに断片的で偏っていたことか。
いまカブールのタリバン政権に関する情報は、日本はじめ世界各国が今後の対応を考えるうえで喉から手が出るほどほしがっている。この世界情勢の焦点に日本からのジャーナリストがいて情報を発信することの意義を、遠藤レポートは見せつけてくれた。
今回、遠藤さんに同行しているのは、撮影兼ディレクターをつとめる新田義貴さんだ。去年ジン・ネットをたたむまでの3年ほどは、遠藤=新田のコンビで「報道特集」のためにイラク、シリア、イランの取材を私がプロデュースしていた。
新田さんは、Nスペ「戦慄の記録 インパール」など多くのドキュメンタリーを制作してきた凄腕のディレクターで、紛争地取材の経験も豊富だ。なお彼は新田義貞の子孫だそうだ。
二人には資金が続く限り長く滞在して、アフガン情勢を伝えてほしいと願っている。
遠藤さんは自分の仕事のほかに、取材中に命を落としたジャーナリスト仲間の「骨を拾ってあげたい」と、1988年10月 にアフガンで地雷を踏んで亡くなった南條直子さん(フォトグラファー)や、シリアでISに殺害された後藤健二さんの遺骨さがしを自費で行っている。
こうした情に篤いところも、多くのジャーナリスト仲間に尊敬されるゆえんである。