「今手にしているものからスタートする」(パックン)

 夕方遅くなっても明るいな、と思っていたら、夏至になっていた。冬至と比べると、昼の長さが5時間も長くなるそうだ。

f:id:takase22:20210614140111j:plain

先週の奈良・明日香。田植えがすんだばかりの田んぼの向こうに橘寺

f:id:takase22:20210614135703j:plain

聖徳太子の生誕地との言い伝えがある橘寺の本堂。本尊は聖徳太子。手前に太子の愛馬、黒駒の像。

 夏至は日本ではほとんど特別視されないが、太陽系第三惑星、地球の公転周期の画期なので、この日に祝祭をする民族も多い。北欧では夏至祭があるし、歌や踊りの祭典がこの時期に集中する。

 1982年6月のエストニアでの合唱祭が、私の最初の海外取材だったと思う。(記憶が定かでないが・・たぶん)
 そのときはエストニアラトビアリトアニアバルト三国を3週間訪れた。まだソ連邦の時代である。

 日本の人たちはバルト諸国のことを知っていますかと聞かれ、「日露戦争で日本がバルチック艦隊日本海で戦ったことは有名です」と答えたら、失望した表情で、あれはロシアがやったことで私たちとは全く関係ありませんと返され、座が白けた。私のバカなコメントのせいだが、この地域の人々のロシアへの反発の強さを感じることの多い旅だった。知り合った共産党幹部の子弟の傍若無人の言動や町の人々の表情の暗さなどを見るにつけ、「社会主義って全然良いものじゃないな」と心底思った。

 一つ、強く記憶に残るのが、日用品の乏しさだ。現地で買った歯磨き粉を歯ブラシにつけ、口に入れた瞬間、オエーッともどしそうになった。

 「まずい」のである。歯磨きというものは必ずペパーミントか何かさわやかな香りと甘味があるものと思い込んでいたので、香りも味もないぬるっとした物質(胃のX線検査のとき飲むバリウムみたいな)が口内に広がった瞬間、ありえない事態に体が驚愕したのだ。

 また、幼稚園に歯科クリニックがあり、それが誇るべき福祉だとの触れ込みだったので取材したら、「ここでは麻酔を使いません。感覚を無くすと歯を削りすぎてしまうので」との説明。たぶん医薬品が不足してるのを糊塗する言い訳だろう。しかし、歯医者が大嫌いな私は、ここに住むのはかんぺんしてほしいと思ったことだった。

 社会主義へのイメージがガラガラと崩れた、私の思想的な転機の一つになった旅である。
 ただ、バルト諸国の風景、人情はすばらしかった。また訪れてみたい。

 夏至の初候「乃東枯」(なつかれくさ、かるる)が21日から。26日からが次候「菖蒲華」(あやめ、はなさく)。末候「半夏生」(はんげ、しょうず)が7月2日から。

 きゅうりの露地ものが店に出ている。年中スーパーに並んでいるので季節を忘れるが、安くなっていることで旬を思い出す。
・・・・・・・

 先日、お笑い芸人のパックン、パトリック・ハーランさん朝日新聞に寄稿した文章におもしろいことが書いてあった。

f:id:takase22:20210623124545j:plain

パックン。本人のツイッターより

 私は、彼のハーバード大学卒業という経歴から、ハイソな家庭の出身かと思っていたが、実はとても苦労をした人だと知った。

 幼いころ両親が離婚し、姉が父に、パックンは母親に引き取られて貧困生活を余儀なくされたという。10歳から朝4時に起きて新聞配達、中学でバイトを増やし、高校まで休まず家系を助けた。欲しいものもずっと我慢し続けたという。

 「ただそれに加えて、周囲の友人たちと比較して自分一人だけが貧しいというのが悔しかったですね。これが相対的貧困なのです。みんなが加入していたボーイスカウトに参加できない。アメフト部に入れない。そういう活動は父親のサポートが必要だったし、お金もかかったからです。友人がみんなコンサートに行く、レコードを買う、どれも当時の僕には無理なことでした」

 その体験から、パックンはいまの日本の子どもの貧困問題を深く憂慮している。
 そして、困窮した暮らしの中にいる「あなた」へ、こんなアドバイスをする。

(がんばって乗り越えてきた)「あなた(パックンのこと)はラッキーだったんだ」と反論があるかもしれない。でも、僕も言うよ、「あなただってラッキーじゃないか、考えてもみようよ」と。家族に愛されていますか、屋根がありますか、靴はありますか、教育は受けていますか、治安は守られていますか、字は読めますか。さらに、あなたのことが好きな友だちはいますか、趣味はありますか、マンガは好きですか、映画は見ますか、お笑いは好きですか。
 もし全部「ノー」だったらごめんなさい。これから探してください。自分が持っていないものや苦しんでいることに注意を向けるのではなく、まず今手にしているものからスタートする。それは趣味でも、好きな分野でもいい。やがて関わる仕事かもしれないと思い描けたら幸せです。僕は面白い話をして笑ってもらうことが好きでした。そうしてここにいるんですね。朝日新聞20日「仕事力『現状から抜け出す力を探ろう』①」より)

 きのう、自己肯定感の低い若い人に届く言葉を探しているという話を書いたが、自身の体験からくるパックンの言葉には説得力がある。

 自分に自信をつけるワークショップを何度か体験したことがある。
 自信の第一の要素は「自分は~できる」という自己能力感だという。いま私たちの自己能力感を阻害しているのが、つねに他人と比較させられていることだ。

 例えば、学校で「勉強(あるいは運動)ができる」と言われるには、クラスで3位内くらいになる必要がある。世間では5位くらいでは「できる」に入らないだろう。
 となると自動的に9割以上は「負け組」になってしまう。これでは多くの人が自己能力感を持てなくて当たり前だ。

 でも、だれでも「呼吸する能力」がある。他人との比較で目が曇っていると、そんなものは能力のうちに入らないと思ってしまうが、呼吸は明らかに生命・身体の能力で、それがあるから生きていられる。競争社会では、こうした絶対的な能力には気が付かないのだ。

 ワークショップでは、他人との比較ではなく、現にある自分の能力にきちんと向き合って気づいていく。紙に書き出しましょう、いくつあるかな、と促され、書き始める。
 食べ物を食べることができる、消化することができる、見ることができる、聞くことができる、歩くことができる・・・いくらでも出てきてすぐに20にも30にもなる。ばかばかしいと思いながら書いていくうち、実はそれらが素晴らしい能力であることに気付かされていく。
 この世に、まったく無能な人などいない。無能だったら、とっくに死んでいるはずだろう。みんな「有能」なのだ。

 過去のワークショップを思い出しながら、パックンの、「まず今手にしているものからスタートする」というアドバイスが心に残った。