香港の「リンゴ日報」は、どうやら明日にも発行を停止するらしい。
「会社としてのリンゴ日報も起訴されていて、警察は、リンゴ日報とグループ2社の資金合わせて1800万香港ドル、日本円でおよそ2億5000万円余りを凍結しています。
(略)警察に資金の凍結解除を求め、解除されなかった場合、事業の継続は困難だとして、今月26日の朝刊を最後に新聞の発行を停止するほか、インターネットでの記事の配信も停止するということです」(NHK)というのが昨日段階のニュースだったが、記者たちが次々に辞職し、26日を待たずに新聞は消えるという。これはひどい。
政府に批判的なメディアを狙い撃ちして会社自体をつぶしてしまう中国共産党の行為は、一国二制度のもとで保障されてきた香港の「言論の自由」をあからさまに否定している。
日本政府も非難の声を挙げよ。
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夜9時からのZOOMイベント「焚き火のある風人塾『138億年を生きる』」をいま終えてほっと一息。
今回は、最終回で「なぜ人を殺してはいけないのか」への答えにも挑戦するということで、準備でいろいろ考えることが多かった。最後は、「人間は宇宙の自己覚醒器官」という結論で、「覚り」の話まで突っ走ったが、おもしろがってもらえたようで、よかった。
宇宙史への気づきから新しいコスモロジーをつくりたいという思いは、若い人たちの自己肯定感の低さや自殺の多さなどに触発されてきた。
若い人をどう勇気づけたらいいのか、どんな言葉で語りかけたらいいのか。
とてもつらい経験をした人の本を読んだりもした。その中に、仁藤夢乃さんの『難民高校生―絶望時代を生き抜く「私たち」のリアル』もある。この本にはいろいろ教えられた。
仁藤さんといえば、いまは「女子高生サポートセンターColabo」代表の社会活動家で、TBS「サンデーモーニング」の常連コメンテーターとしても活躍している。
私は取材で彼女の運営するシェルターを訪ね、話を聴いたことがある。とても明るく聡明な人だが、実はかつては自身、「高校時代、私は渋谷で月25日を過ごす“難民高校生”だった」という。
「家族との仲は悪く、先生も嫌いで学校にはろくに行かず、家にも帰らない生活を送っていた。髪を明るく染め、膝上15センチの超ミニスカートで毎日渋谷をふらついていた」(本書p3)。
彼女を何とかしようと、母親がむりやりカウンセリングに連れていったときのこと。
女性のカウンセラーは部屋に二人きりになって、仁藤さんに「あなたのことを知りたいな」という態度でいろいろと語りかけてきたという。
「私が『あなたとお話しすることなんてありません』と言っても彼女は諦めず、なんとか私の心を開かせようと他愛もない話をしはじめて、私は腹が立った。私は質問に答えず、『これ、何分までやらなきゃいけないの?私ここにいたくないんだけど』と言うと、母の予約したカウンセリングは30分だと教えられた。そんなに長い時間この人の質問を受けなきゃいけないのか、と思った私は、『あーだる、死にてー』とつぶやいた。すると、カウンセラーは『死にてー』という一言に反応し、穏やかな口調で説教してきた。
『あなたが死んだら悲しむ人がいっぱいいるのよ。あなたのお母さんも、あなたのことを心配してここに連れてきてくれたの。あなたがここに生きていることは素晴らしいことなのよ。あなたのお父さんとお母さんが何億人もの人がいる中で出会い、お父さんのたくさんの精子の中から一匹がお母さんの卵子と結びついて、奇跡的な確率であなたはここに生まれたのよ。それにあなたは五体満足で生まれて、何の不自由もなく生活できているのに、そんなことを言ったら障がいのある人に失礼だと思う。外国には貧しくてご飯が食べられなかったり、学校に行きたくても行けなかったりする子どもがたくさんいるし、今も一分に何人もの子が餓死していて、生きたくても生きられない人がたくさんいるの。あなたは幸せ者なのよ』
私はこの言葉を聞いて、頭の血管が切れそうなほど腹が立った。
『この人は本当に何もわかっていない。誰かと比べる幸せなんて幸せじゃないし、今の発言は障がい者や貧しい国の子どもたちのこともバカにしている』
そう思った私は、こういう人がカウンセラーとして働いていることにも絶望した」(P76-77)
そして仁藤さんは「あんなカウンセラーのことを母は信じているのかと思うと、どうしようもなく悲しい気持ちになった」と書いている。
カウンセラーのコメントがケチョンケチョンに罵倒されているが、こんな内容は私も若い人に語ったことがあるなあ、と反省させられた。言ってることの一つ一つは間違っていないのだが、まったく仁藤さんの心に響いていない。
もっと「刺さる」言葉をどうやって見つけていこうか。
というわけで、きょうのGLIM SPANKY はSunrise Journey(サンライズ・ジャーニー)。これは若い人の心に届くだろう。
♪僕らは何度つまづいたっていいんだよ。
のんびり行こうぜ いつかはたどりつけるさ
松尾レミはバスに乗ることを人生にたとえ、バスを待っていたら、遅れてきたぼろぼろのバスが自分の乗るべき車だと感じたと歌う。そしてその選択は自分の独りよがりではなく、時代の要請でもあるのだと。
♪鞄に荷物詰め込んで背負ってきたけれど
軽くして行こうぜこれからは でこぼこ道だから・・
他人と比べずに自分のペースでやりな、最後には笑えるから・・
こんな風に言ってくれたら、励まされ、うれしくなる。