「ありがとう」が存在しない社会

 8月に入ってきょう、関東でようやく梅雨明け宣言。今年は梅雨が長かったし、豪雨被害も酷かった。山形県では最上川が氾濫した地域が、いま後始末で大変だという。お見舞い申し上げます。

 明日は猛暑になるらしい。もう節季はとっくに「大暑」だ。

 7月22日から初候「桐始結花」(きり、はじめてはなをむすぶ)。27日から次候「土潤溽暑」(つち、うるおうてむしあつし)。あす8月2日からが末候「大雨時行」(たいう、ときどきにふる)。

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近所の畑では里芋の大きな葉がゆれている

 近くの公園で、セミ時雨のなかケヤキ林を散歩した。夜は素麺にしよう。

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 連日、記録を更新。どこまでいくのか。
 《東京都は1日、新型コロナウイルスの感染者が新たに472人報告されたと発表した。7月31日の463人を上回り、過去最多を3日連続で更新した。都内の累積の患者数は1万3163人となった。》(東京新聞

 全国ではきのう今日と1500人超えだ。

 愛犬とコーヒ―飲んでないで、国会でしっかり議論してくれ。

国会に休業要請してないぜ (東京都 升田嘉勝)

聞き飽きた緊張感持ち注視する (東京都 塩田泰之)

 安倍首相がついにアベノマスク以外のマスクをしたことがニュースになっていたが、もっとまともなことで注目されてほしいものだ。
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 香港の立法会の議員選挙が延期されることになった。

 30日には民主派の候補12人が政治的立場を理由に選挙への立候補を取り消されたばかりで、今後激しい選挙妨害があるだろうと予想されていたが、ついに当局は選挙そのものをやめるという挙に出た。

 林鄭月娥行政長官は31日夜、記者会見し、ことし9月6日に予定されていた立法会の議員選挙について「新型コロナウイルスの感染が広がっており、市民の安全を守るため」として1年間延期すると発表した。

 コロナ禍のなかでも、イスラエル(3月2日)、韓国(4月15日)、シンガポール(7月10日)と各国で総選挙をやっているのだから、「コロナ」云々は口実にすぎない。

 香港当局はまた、米国籍の人を指名手配するという、これまた尋常でない措置を採ってきた。
 《香港警察が国家安全維持法(国安法)違反の疑いで、米国籍を持つ香港出身の民主活動家、朱牧民(サミュエル・チュー)氏を指名手配したことが分かった。国安法は、容疑者の国籍や犯罪を行った場所を問わずに適用すると規定しており、この規定の初適用とみられる。
 香港メディアによると香港警察は、朱氏をはじめ海外に住む香港出身の民主活動家ら6人を国安法違反の疑いで指名手配した。2014年の香港大規模民主化デモ「雨傘運動」のリーダーの一人で、現在は英国在住の羅冠聡氏も含まれる。
 報道によると、指名手配された6人は、国家分裂扇動罪や外国勢力と結託して国家の安全に危害を加えた罪が適用され、香港に戻れば逮捕されるという。》(共同)

 国安法の第38条である。施行直後、条文を読んで私は「まさか!?」と仰天したのだったが、なんと実際に適用したのだ。

takase.hatenablog.jp

 自由を徹底して封殺する、なりふりかまわぬ姿勢。我々の世界への挑戦である。
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 先日、挨拶にも近代化の前の「文化基層」が見られるという話を書いたが、世界の共通語とされる「ありがとう」にもまた、さまざまなバリエーションが見られる。

takase.hatenablog.jp

 そもそも「ありがとう」を言わない人々がいる
 そう言うのは、「グレートジャーニー」で知られる探検家、関野吉晴さんだ。

 《もともと僕は採集狩猟民に興味があって旅を続けてきたけれど、彼らの何に自分が引きつけられているのかといったら、「平等社会」なんですね。男女の分業はあるけれど、「お前は弓矢だけ作っていればいい」「お前は畑だけやっていればいい」ということが起こらない。逆を言えば、肉や魚を採っても、焼き畑でイモやバナナをつくっても、腐ってしまうから蓄えることができない環境なんです。

 蓄えないということは、人を囲い込むことができませんよね。余剰がなければ貯め込む人間がいないわけで、持つ者と持たざる者が生まれない平等な社会が成り立つ。モノは必要な人に渡っていくし、なおかつ「この土地はオレのもの」と言い出す人間もいません。

 アフリカのエチオピア南西部から、ケニアトゥルカナ湖に流れる全長760kmのオモ川の河原で生活する、ある部族の村に行ったことがあります。彼らは牛飼いをしている他の部族との争いに生き残れなかったような人たちで、彼らが暮らす河原にはツェツェバエという眠り病を媒介するハエがいる。牛にも病気を引き起こすから、牛飼いの部族の干渉を受けずに生活できているわけです。

 河原に肥沃な土壌が生まれる乾季には稗の仲間の種を蒔いて農業をして、雨季の半年間は小動物や魚を採って、かろうじて暮らしているんだけど、彼らも蓄えられないから、完璧な平等社会なんですよ。

 そこで面白かったのが、青空診療所を始めたらたくさんの村人が来たんだけど、誰一人としてまったく感謝がないというか、「ありがとう」という言葉すらないんです。南米では診療のお礼に鶏や羊を持ってこられたこともあったから不思議に思っていたけれど、考えてみれば、モノだけではなく技術や知恵も惜しみなく出すのが彼らの社会で、僕は普通のことをやっているだけだったんですね。だから、「オレの薬はどうした?」と威張る人もいたくらい(笑)。》

epilogi.dr-10.com

 関野吉晴対論集『人類滅亡を避ける道』(P144)から補足すると、これはコエグという民族で、集団のなかでは必要な時助け合う"ベルモ"という義兄弟の契りのような関係があり、助け合いが当然のことなので「ありがとう」という言葉がないのだという。
(つづく)