「食飽未?」(ジャパーボエ)ごはん食べた?

 新型コロナ感染急増を受けた行政の唯一の方針は「連休中は動かないように」。とのことなので、これまで通り、近場の散歩を続けよう。

 国立(くにたち)に、赤い三角屋根の旧駅舎が帰ってきた。

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後ろが高架化後の新駅

 2006年、JR中央線の高架化工事のため、大正15年(1926年)の竣工以来親しまれてきた駅舎が解体された。都内では原宿駅1924年竣工)に次ぐ古い木造駅舎だったそうで、保存を求める住民運動があり、もとの材料を使って市が再築したものだ。

 帰ってきたと言っても、旧駅舎には駅の機能はなく、まちづくりのシンボルのような存在で、中で休んだり、展示イベントなどに利用できる。
 高架化で、駅が倉庫か体育館のような外観になったが、こういうものがあるとほっとする。いま「レトロ」が好まれる世の気分が分かる。

 国立(くにたち)という町は私も一時住んだことがあり、愛着がある。この機会に町の歴史を調べてみよう。

 まず地名だが、《中央線国分寺駅と立川駅の中間にできる新しい駅とこの地区に、両駅から1字ずつ取って「国立」と名付けたことによる》とwikipediaにもあるように、新しい町である。東京以外の人は「こくりつ」と読みたくなる。国立(くにたち)音楽大学も国立大学ではない。今は立川に移転してしまったので、なおさらまぎらわしい。

 さて、この町はそもそもどうやってできたのか。

 この地域はその昔、谷保(やぼ)村と呼ばれ、いまの国立の南部地域、甲州街道沿いの谷保天満宮を中心としたところが「本村」だった。

 きっかけは1923年(大正12年)の関東大震災だった。神田一ツ橋にあった東京商科大学一橋大学)が移転することになり、移転先が谷保村の北部で「ヤマ」と呼ばれた一面雑木林に覆われた地域とされた。
 そこで「くにたち大学町」の構想が持ち上がり、「箱根土地株式会社」がこの一帯を買い占めた。「箱根土地」とは、西武グループの創業者、堤康次郎(つつみ・やすじろう)の会社で、町の設計から造成までを一手に引き受けることになる
 そこだけを見ると、西武資本が造った町と身も蓋もない表現も可能だ。

 まちづくりに強い影響を及ぼしたのは、東京市長後藤新平だった。後藤は台湾総督府民政長官、満鉄(南満州鉄道)総裁を歴任した植民地経営のエキスパートであり、その手法が「くにたち大学町」にも持ち込まれようとしていた。
(つづく)
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 先日(7月22日)の「挨拶」の話。

 私は東南アジアにほぼ10年住んだ。

 長く暮らすうちに気が付いたのが、ガイドブックに載っているような「こんにちは」などの挨拶言葉、たとえばタイの「サワディー」が、その国の人同士ではあまり使われていないことだった。とりわけ田舎ではよそゆきの言葉として、ほとんど使われていない。
 それらの挨拶語はおそらく、外国人向けに近代になってから造られたのではないかと私は推測していた。

 調べると、タイ語の「サワディー」は、1930年代の造語だった。まだ100年経っていない。
 チュラロンコーン大学のシラパサンという人がサンスクリットの「幸福」を意味するスヴァスティから作り、1940年代に近代化のためにタイ政府が広め、普及したという。

 近代化で西洋人と接触するなかで、How are you? とかHow do you do のようなご機嫌うかがい風の挨拶を導入する。あるいはGood morning Good eveningのような一日を時間帯で区切る挨拶(ドイツ語の「グーテン・モルゲン」(よい朝)、ロシア語の「ドーブラヤ・ウートラ」(よい朝)など)を直訳するやり方で、近代挨拶語が造語されたのだろう。

 例えばガイドブックには、フィリピン(タガログ語)の挨拶として「マガンダン・ウマーガ」(美しき朝)、「マガンダン・ハポン」(美しき午後)などが載っているが、フィリピン人同士ではまず聞いたことがない。フィリピン滞在が長くなると、私でもこの挨拶語は「バタ臭い」と感じる。

 では、どういう挨拶をしているのか。

 私の知るほとんどの民族、地域で使われるカジュアルな挨拶は「メシ食ったか?」だ。田舎や少数民族地域ではとくにそうだった
 
 タガログ語では「クマイン・ナポカヨ?」。相手は「タポス・ナポ」と返す。
 これは「ポ」(丁寧語)がついて「食事をしましたか?」「もう済ませました」という意味だが、実際に食べたかどうかを聞いているのではなく、あくまで挨拶なので「食べたのは2時間前です」などと律儀に返さなくてよい。

 ベトナムでは「アンコム・チュア?」。「アン」は食べる、「コム」は米。

 タイでは「キンカオ・ルーニャン?」。「キン」が食べるで、「カオ」が米。

 米を食べることがイコール食事をするという意味になるのは、日本語の「飯を食う」と同じだ。

 これもご機嫌うかがい風の挨拶である北京語の「你好」(ニーハオ)だが、やはり歴史は浅いという。
 「吃了吗?」(チーラマ)(ご飯食べた?)(「你吃飽了嗎?」(ニーチーパオラマ)とも)
 「没呢。你呢?」(まだ。あなたは?)
 「吃过了。你呢?」(食べたよ。あなたは?)
 これがカジュアルな挨拶だという。

 ある在日中国人のブログにこう書いてあった。
 《外国人が中国人に会った時「你好」(ニーハオ)と言ってもかまわないですが、中国人同士では一般的に使わないです。元々「你好」という言葉はフランス語か英語かから入った言葉という話もあるようです。「你好」は中国人の生活にあまり密着していない言葉だというのは事実です。
 では、中国人はどんな場面で「你好」を使うのかというと、主に初対面の人同士と、正式な場面という2つの場面に使います。》

 韓国語はどうか。
 やはり「밥먹었어?」(パンモゴッソ?)=ご飯食べた、がよく使われる挨拶だという。
 ガイドブックにある「アンニョンハシムニカ、アンニョンハセヨ」(安寧でいらっしゃいますか)はいかにも近代挨拶風である。

 近代化前の共同体の住民同士にとって、「ごきげんいかがですか」風の、あるいは「よい朝ですね」みたいな形式的な挨拶は不要だったに違いない。
 「どさ」「ゆさ」(どこに行く?銭湯へ)でいいわけだ。

 国際イベントやNPOのカレンダーなどに、「世界のこんにちは」を並べてあるのを見るが、ニーハオやサワディーではなく、ぜんぶ「メシ食ったか」のようなカジュアルな(もともと使われていた)現地語を並べた方がよほど親近感が出るし、役に立つと思う。ぜひどこかの団体でやってみてほしい。

 挨拶語についてはこのブログで何度か書いたが、先日、台湾の旅行作家の哈日杏子(ハーリーキョウコ)さんの記事を読んで再び触発されたので、きょうまた書いてみた次第。

 その記事は、日本の「お疲れ様」という挨拶をどう考えるかというテーマでの投稿で、初対面の日本人から書き出しが「お疲れ様」のメールをもらって驚いたエピソードなどを披露したうえで、台湾の挨拶語を紹介していた。

 「現在はお年寄りや家族内、また台湾中南部でよく使われている言葉」として「食飽未?」(ジャパーボエ)がある。「ご飯食べた?」である。
 彼女はご飯をちゃんと食べてるかと気遣う「食飽未?」には優しくて懐かしい響きがあり、「お疲れ様」も、もともとは相手のことを気遣う言葉だっただろう、と好意的に解釈していた。

 あらためて、我々日本人は、どういう挨拶言葉を使ったらいいのか。「おつかれさま」や「どーも」でいいのだろうか。
 挨拶は人と人との関係を築く窓口なのに、いまだに日本ではカジュアルな挨拶語が定着していないように思える。
 日本語には、「いただきます」「ごちそうさま」「いってきます」「ただいま」など、他の国にない挨拶も多々あり、挨拶語がとても豊かな言語であるはずなのに。
 私は、他に思いつかないので「こんにちは」を使うが、ほんとうはあまり居心地がよくない。個人的に気に入っているのは「押忍」(オス!)だが、今から普及するのはとうてい無理だろうな・・


 ところで、旅慣れた人が、「こんにちは」と「ありがとう」はどこの国に行っても親しくなる挨拶だから、これだけ覚えていればいいと言うのをよく聞く。
 「こんにちは」については以上のように、ガイドブックの挨拶は堅苦しいよそゆき言葉であることを踏まえた方がよいが、「ありがとう」の方はどうか。
 実は、「ありがとう」もまた一筋縄ではいかないのだった。
(つづく)