命はそこにあるだけで意味がある

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 香港では区議会の選挙を24日に控えているが、香港議会にあたる立法会の民主派の議員が逮捕され、区議選の実施が危ぶまれている。
 《香港のデモの発端となった「逃亡犯条例」改正案の審議を妨害したとして、香港当局は9日までに立法会(議会)の民主派議員3人を立法会条例違反の疑いで逮捕、訴追した。厳しい対応を求めた中国政府の指示を踏まえた措置と見られる。当局はさらに4人の民主派議員の逮捕手続きを始め、計7人を訴追する方針だ。香港はデモ拡大から9日で5カ月を迎えたが、前日に死亡した学生の追悼集会に主催者発表で10万人が集まるなど市民の反発は高まっており、再び緊迫の度合いを強めている。
 7人の議員は5月11日、改正案の審議中に親中派の議員らともみ合って議事の進行を妨げたとの疑いが持たれている。7人は民主派議員団(24人)の約3割に相当し、民主派にとっては大きな打撃となりそうだ。
 香港では立法会と区議会の議員の兼職が認められ、7人のうち4人が今月24日の区議会選挙に立候補している。区議選で民主派の伸長が予想されるなか、政府は社会不安などを理由に投票日の先送りを検討している。そのため、民主派議員団は8日の声明で「(7人の逮捕で)市民を怒らせて情勢を混乱に陥れ、区議選を取り消そうとする策略だ」と非難した。》https://www.asahi.com/articles/ASMC94Q6SMC9UHBI01D.html
 民主派としては、当局が情勢の混乱を口実に区議選をキャンセルする事態を避けたいところだが、先日のデモ現場での死亡事故もあり、若者たちがどう動くか。
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 最近心に残った言葉から。
 藤井理恵さん(淀川キリスト教病院チャプレン)は、病院付きの牧師チャプレン(chaplain:教会・寺院に属さずに施設や組織で働く聖職者)を26年つとめてきた。藤井さんが亡くなっていく人々との関わりのなかで何を感じ、考えてきたのかが「それぞれの最終楽章」という朝日新聞の企画で連載されていた。以下に紹介するのはその最終回「命はそこにあるだけで意味がある」。https://www.asahi.com/articles/DA3S14175041.html

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藤井理恵さん

 「たましいの痛み」に苦しむ方々と、どのように関わってきたかを7回にわたりお話ししてきました。
 人は、人間同士の関わり、「水平の関係」の中で生きています。それを「垂直の関係」とでも言いますか、宇宙とか大自然とか「人間を超えた何か」といった絶対的存在との関係の中で命や人生を眺めると、見方が全く変わってくると思います。牧師である私にとって、それは神様です。
 命を与えた存在が「この時代に、この家族のもとでこうした状態で生きるように」と、この世にあなたを置いて下さった。そう受けとめれば、この世に置かれたこと、「生きてここにあること」自体に意味があると気づかされます。「自分の人生に意味がない」などと自己否定しても、あなたの存在は絶対的に肯定されているのです。
 障害を持って生まれた、病気になった。それで他の人が出来ることが出来ない、出来なくなった。だから劣った、かわいそうな存在だという人がいます。確かに生きてゆくのはつらいことが多く、治療の苦しみや痛みを負うのは、かわいそうと言えるかもしれません。でも決して「かわいそうな存在」ではありません。
 生産性、効率性、有用性といった価値観にしばられて「(何かが)できる(do)」から価値のある人生で、「できない」から意味のない人生だ、という考えから距離を置いてほしいのです。人はそこにいる(be)だけ、つまり生きているだけで、意味があると知ってほしいからです。
 同じことを、みなさんもよくご存じのマザー・テレサがこんな言葉で述べています。「私は神様の手の中の鉛筆に過ぎない。神が考え、神が書くのです」。私はそこにあるだけでいい。私を使って下さるのは神様だから、何かを果たせたかどうか、そんなことは私が判断することではない、ということでしょう。
 年を取ると聞こえなくなった、歩けなくなったと不満が出ます。それをマイナスと捉えるのは人の価値観です。そうではなく、自分で得たものではない聴力や歩行能力をちょっとお返しする。いただいて預かったものを手放し、次々に返していって、最後は魂一つになって、神様のもとに帰ってゆくと考えてみるのです。
 「どうすれば自分の死を受けいれることができますか」とよく尋ねられます。死の受容は、人生が「与えられたものである」と了解していくときに可能になっていくのでしょう。与えられた命をもって生まれて、生きて、死んでゆく。そのプロセスの中で死を終点と捉えれば、「自分が無くなってしまう」となりますが、帰るのであれば、その先も続きます。私はそう信じ、ここに希望を見いだしています。(構成・畑川剛毅)

 藤井さんの「神」を「宇宙」と言い換えれば、すべてがすっと心に入ってくる言葉である。