クルド避難民に援助を決めた緒方貞子さん

f:id:takase22:20191030094222j:plain

 近所の柿がいい色になってきた。子どものころから柿は大好きで、固いのも熟してグズグズになったのもうまい。東北では山形や福島で産出量が多い。柿は東アジアの固有種だけあって、日本には多くの品種がある。ヨーロッパにもあるが、これは江戸期に日本から渡っていったものだという。食べたことのない外国人も多いから、勧めてみたら喜ばれるのでは。
・・・・・・・・・・
 昨夜のTBS「ニュース23」で小川彩佳キャスターが、緒方貞子さんについて、学生時代緒方さんの本を何冊も読んで影響を受けたと語っていた。小川さんは真面目な学生だったんだな。私は小川さんがテレ朝「サンデープロジェクト」のMCになった最初の日、2007年10月7日の放送を覚えている。ジン・ネットが「緊急特集 南北首脳会談の裏で-北朝鮮の隠された狙い-」を制作したので、放送スタジオにいたのだ。
 新しいMCとして小川さんが紹介されると、田原総一郎氏が「目力あるね」と言ったのが印象的だった。そのとき小川さんは22歳。2007年4月にテレ朝に入社したばかりだったから、半年で看板報道番組のMCとは異例の抜擢だった。若いのに物おじしない率直なもの言いをするのには感心させられた。
 テレ朝「報道ステーション」からライバルTBSの裏番組に移った小川さんだが、その名を冠した「ニュース23」の視聴率が2%~4%台と振るわないという。小川さんがもっと要人や政治家へのインタビューや直撃で取材に出たり、権力批判のコメントを自由に発するようにすれば、報ステがやや甘くなっているなか、リベラル派を惹きつけられるのではないか。

 さて、緒方貞子さんの功績について触れてみたい。
 緒方さんが日本人初の国連難民高等弁務官をつとめた1991年から2000 年までの約10年間というのは、世界中で大変動が起きた大変な時代だった。
 ユーゴスラビア連邦崩壊に伴うバルカン紛争、ルワンダの大量虐殺から周辺国を巻き込んでコンゴ戦争へと発展する「大湖危機」、ソ連邦崩壊後はアルメニアアゼルバイジャン、タジキスン、チェチェンと各地で次々に紛争が起き、それらの紛争はそれぞれ大量の避難民・難民を生み出した。

f:id:takase22:20191031023156j:plain

「(身長)5フィート(150cm)の巨人」と言われた緒方さん

 緒方さんが国連難民高等弁務官に就任した91年は湾岸戦争が起きている。イラク内で迫害を受けたクルド人勢力がイラクとトルコの国境地帯に滞留した。これが緒方さんの最初に対処しなければならない事態だった。
 そこで緒方さんは画期的な方針を打ち出す。
 故郷の家に住めなくなった人々には、国内を流浪する国内避難民(IDP Internally Displaced Persons)と国境を越えて近隣国に逃げ出したいわゆる難民(refugees)とがいる。国境を越えられたかどうかの違いなのだが、国連難民高等弁務官事務所UNHCRは国際条約上、難民しか保護できない。しかし、緒方さんは、保護任務の対象でない「国内避難民」にも、人道的視点から救援に乗り出すという大きな方針転換を行った。
あるインタビューで緒方さんはこう語っている。


 「ちょうどソビエト連邦ユーゴスラビア連邦などが崩壊して、世界地図が大きく変わった時代でした。
 普通、人々は国家の保護のもとで生活しているものです。ところが国が崩壊してしまうと、拠(よ)り所がなくなってしまいます。そういう方たちの支援をUNHCRがずいぶん手がけました。国境がずたずたにされて、UNHCRが大変忙しい時期になってしまいました。
 私の仕事は、クルド人への支援から始まりました。就任間もない頃でした。国境を越えたら支援する、国境を越えないなら支援しない、ということでは目の前のクルド問題は解決できません。
 UNHCR内で議論を重ねた結果、国内避難民(Internally Displaced Persons )を支援することを決断しました。生命と安全と生活を保障するのは国家ですが、国家がそれを保障してくれない状況になったとき、国家に代わって誰がどのようにその方たちの面倒をみるかを決めたり工夫したりするのがUNHCR の任務でした。UNHCRは「人」を相手にしているわけですから、人々の生命を守るためにはとにかく速く動くことが先決でした。(略)
 命を助けることが最優先です。現代においては情報が動くと、人も動きます。そうなると国境だけで全てを決められなくなり、国内避難民をUNHCRが支援するかどうかという問題が大きくなりました。自分の故郷に住んでいることができず、家族もばらばらになった時、どこか安定したところにせめて自分の子どもや孫だけは連れていきたいという想いは、人間の本能として大切なものです。そうした想いで命がけで避難してきた先で窮している人たちを、国境を越えたら支援する、国境を越えていないなら支援できないという状況は問題でした。クルド問題に直面したとき、このような国内避難民にUNHCRが本格的に対応せざるを得なくなったのです。国連の他機関と協力して国内避難民のコミュニティを政治的・経済的により良くする、ひいては難民の発生を防止するという、本来はUNHCRの仕事ではなかった領域にも踏み込むことになりました。  
 UNHCRの国内避難民対策は私が高等弁務官の時代に進展しました。時代の流れに対応した、ということです。やらなければいけませんでした。」https://www.japanforunhcr.org/archives/3833/
 緒方さんの活動の原動力は何かと聞かれた緒方さん、「怒り」と答えたそうだ。その怒りはもちろん慈悲に裏付けられた激しい義憤だったろう。
 そして信念にもとづく粘り強い努力である。
 「今解決しないと思われていることでも、永遠に解決しないわけではありません。時間はかかるけれど、努力を続けることで解決することもあるのです」(緒方貞子さん)
 緒方さんの後に続く日本人に期待したい。