克服すべき他民族への蔑視感情

戦争が老いてゆくなり終戦 (東京都 吉田かずや 朝日川柳12日選)

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 「さきの大戦」の記憶はいやおうなく薄れていくが、どうしたら戦争を防ぐことができるのかを、言論の自由があるうちに考えなくてはならない。
 戦争を防ぐうえで、いまもっとも緊急に手を打つべきは、他民族への蔑視だと思う。
 
へいたいさんへ
 へいたいさん、ごじょうぶですか。(略)
    へいたいさんは、しなじんのやうな、やばんじんとたたかってゐるさうですね。私たちはあのにくいにくいしなじんを早くまかしちやつてくださればよいとばかりかんがへてをります。(略)
 へいたいさん、ではおくにのためにはたらいて下さい。さようなら

 

 これは長野県上田小県(現在の上田市)の小学校尋常科2年の児童が、昭和13年(1938年)はじめごろ、中国戦線の兵士に書いた慰問の手紙だ。(上田小県近現代史研究会『ふるさとで平和と戦争を考える』P13)
 前年に盧溝橋事件で日中戦争がはじまり、昭和13年1月には、吉本興業が、柳家金語楼花菱アチャコ横山エンタツなど花形芸人を含む慰問団「わらわし隊」を中国に送るなど、国民あげての戦争遂行の気運が盛り上がっていた。
 先の慰問の手紙には中国人への蔑視感情が誇らしげに書かれているが、それは時勢によって作られたものだという。日清戦争前の様子を生方敏郎はこう記している。
 《その頃の日本の文明の九分九厘は由来をたずねると皆支那から渡来したものだった。夏祭りには各町から立派な山車が引き出されたが、その高い二の勾欄(こうらん)の上の岩の上に置かれる大きい人形の多くは、支那の英雄だった。(略)子供の頃に、日清戦争以前に映じた支那は、実はこの位立派な、ロマンチックな、そしてヒロイックなものであった。その時まで、私たちが見たもの聞いたもので、支那に敵意を持つか支那を軽んじたものはただ一つもなく、支那は東洋一の大帝国として見られていた。》
 それが日清戦争のころから支那人への憎悪が絵にも唄にも反映してきて、清国や朝鮮半島の人々には「チャンチャン坊主」の蔑称も使われた。欧米に劣等感を抱き、隣国の人々をさげすむ「人権の序列化」が進んでいく。(引用・参照は『ふるさとで平和と戦争を考える』)
 ここまで読んできて思いだしたのは、先日の河野外相の韓国大使に対する態度だ。
 「河野太郎外相が、韓国大使を外務省に呼んだ際、身を乗り出して通訳を遮り、声を大きくして『極めて無礼だ』と韓国の対応を批判したのには驚きました。
    こんな振る舞いをすれば、韓国国民は自分たちの代表が侮辱されたと受けとり、反日ナショナリズムに油を注ぐことになりかねないからです。(略)
    もし相手が欧米の大国だったら、河野外相もこのような態度はとらなかったでしょう」

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通訳をさえぎり大声で「極めて無礼」と河野外相

 こう指摘したのは美根慶樹(みねよしき)さん(平和外交研究所代表)だが、たしかにいくら外交でもめ事があっても、アメリカの駐日大使に「無礼だ」などとは言わないはずだ。河野外相にも、またテレビでこれを見て「溜飲を下げた」我々の中にも韓国に対する蔑視感情があるのではないかと反省させられる。
 美根さんは外務省で北朝鮮との国交正常化交渉などを手がけた外交のベテランだが、今の日韓関係についてこう続ける。
 「安倍晋三首相は当初、半導体関連素材3品目の輸出規制について、徴用工問題にからめて説明していました。しかし、その後日本政府は、安全保障上の輸出管理の問題だと説明を変えました。自由貿易の原則に反するのは確実なため、国際的に支持が得られないと判断したからでしょう。
 輸出規制を巡る両国のやりとりで、象徴的なシーンがあります。話し合いが行われた経済産業省内の部屋で、日本側がわざわざ「事務的説明会」という紙をホワイトボードに貼り付けていたのです。
 日本にとってはあくまで独自に決める国内措置であり、韓国側と「協議」はしない。しかし韓国にとっては、経済に悪影響が及ぶ外交問題です。日本はまずは、韓国との協議に応じるべきです。
 友好国でもある隣国の役人に対し、経産省側がここまで一方的な姿勢を強調するのは、安倍政権への「忖度(そんたく)」にほかなりません。安倍政権下では独裁と言ってもいいほど官邸の力が強まっています。役人は人事で飛ばすと脅され、牙をぬかれているのでしょう。(略)」(8日朝日朝刊「耕論」)
 安倍政権への忖度が官僚の「知恵」をもつぶし、外交を硬直させていくという外交のベテランの意見。敗戦の日に読み直していろいろ考えさせられた。

 明日、千鳥ヶ淵戦没者墓苑に慰霊に行こう。