北朝鮮体制の打倒は憲法の要請


 ドクダミが花をつけた。
 白い花が可憐だ。ただ、この白い部分は実はガクなのだそうだ。
 ドクダミというと祖母を思い出す。子どもの頃住んでいた家の石垣がドクダミで覆われていて、嫌な臭いが漂っていた。そのドクダミの葉を祖母が摘んで、当時はハイカラな電器だったジューサーで、ニンジンやキャベツなどと一緒にジュースを作って飲んでいた。お前も飲んでみろと言われれて一度口にしたが、恐ろしくまずく吐きそうになった。こんなものを飲んでまで長生きしたいのか・・。祖母の生への執着を、子ども心に不思議に思ったことだった。
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 たばこでは異論噴出自民党(千葉県 白井幸男) 朝日川柳17日

 15日、受動喫煙対策の法改正をめぐって自民党は意見対立により方針を集約できなかった。「妥協案も白紙に追い込まれ、改正法案の今国会提出は厳しい情勢となった」という。
 共謀罪法案はじめ、重要問題では異論が出ず、安倍内閣にそろってひれ伏している感のある自民党。安倍首相が「これでやれ」と指示しない問題になると、こうなるのか。情けない。
 それでも、いよいよ国会が緊迫するかと思う記事の見出しが続いた。
 《「新学部、首相の意向」文科省に文書 加計学園計画、民進指摘》
 《深さ3メートルより下にごみなし=業者メール、従来説明と食い違い−森友用地》
 《「共謀罪」法案、与党が17日衆院委採決の構え》
 加計学園の問題は、金額も大きく、安倍首相の直接の関与が疑われるケースで、国会でしっかり追及してほしい。
 すると、突然の眞子さまの婚約話。で、朝からテレビはこのニュース一色に。国会とメディア、大丈夫だろうな。
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 きのう、北朝鮮の脅威について触れたが、これに関して先日のある評論が印象に残った。
 保守派の論客、佐伯啓思(さえきけいし)氏が安倍首相の9条改正宣言にを論じた「憲法9条の矛盾 平和のため戦わねば」(朝日新聞5日付)である。
 「実際には、今日ほどこの憲法の存在が問われているときはないだろう。最大の理由はいうまでもなく、朝鮮半島有事の可能性が現実味を帯びてきたからである。北朝鮮と米国との間に戦闘が勃発すれば、日本も戦闘状態にはいる。また、韓国にいる日本人の安全も確保しなければばらない。果たしてこうしたことを憲法の枠組みのなかで対応できるのか、という厳しい現実を突きつけられているからである。」
として、野党が朝鮮半島情勢に無関心であることを指摘する。
 ここは私も同感だ。いわゆるリベラル派は、日本の軍事的拡大を避けようという意図からだろう、北朝鮮の脅威を過小評価するきらいがある。まるで国防に触れない方が(そして何があっても「話し合いで解決しましょう」と言う方が)リベラルであるかのように考えているのではないか。リベラル派の政治勢力が国民の信頼を得て政権につくこが困難である一つの要因に、国防、安全保障の政策の不備があると思う。
 「もしかりに米国と北朝鮮が戦争状態にでも突入すれば、われわれはいったい何をすべきなのか、それさえも国会でほとんど議論されていないありさまである。米国がすべて問題を処理してくれるとでも思っているのであろうか。」
 自衛権主権国家の固有の権利である。(略)
 もしもわれわれが他国によって侵略や攻撃の危機にさらされれば、これに対して断固として自衛の戦いをすることは、平和国家と矛盾するものではなかろう。いや、平和を守るためにも、戦わなければならないであろう。」
 「仮に護憲派の人たちのいうように、『平和こそは崇高な理念』だとするなら、この崇高な理念を守るためには、その侵害者に対して身命を賭して戦うことは、それこそ『普遍的な政治道徳の法則』ではないだろうか。それどころか、世界中で生じる平和への脅威に対して」われわれは積極的に働きかけるべきではなかろうか。私は護憲派でもなければ、憲法前文をよしとするものではないが、そう解さなければ、『全世界の国民』の平和を実現するために、『いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない』という憲法前文さえも死文になってしまうであろう。」朝日新聞5日付「異論のススメ」)
 基本的に、平和への脅威と積極的に戦えとする点をふくめ、佐伯氏の考えに同意する。
 安倍首相の「積極的平和主義」とは、米国に追随して自衛隊を海外に出すことを意味しているようだが、私の解釈は以前「金正日体制は平和的に打倒すべきである」という論文の末尾で憲法前文を引いてこう書いている。
 
 《「東アジアの平和が人権なき平和であっていいのか」
 いくら平和がいいといっても、拉致や強制収容所を座視してすまされるわけはない。それは、日本国憲法の精神でもあると私は思う。
 憲法前文にはこうある。
 「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
 金正日体制がもたらすような「恐怖と欠乏」から、全世界が解放されていなければ真の平和とは言えないのではないだろうか。
 日本政府と国民が、拉致問題を解決しようと努力し、そのことが同時に平和的に北朝鮮民主化する闘いに寄与するならば、我々は、憲法前文にあるこの願いに近づくことになるだろう。
 「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」》(『アリエス』2004年10月)
【4月のパレードに登場した火星12号】

 平和と憲法について、タブーなき真摯な議論が交わされることをのぞむ。