「ヌスラ戦線」に拘束された米国人の証言

好きな散歩道。

国分寺崖線」と呼ばれる崖からの湧水が流れる小川に、みごとなカラーの花が咲いていた。
黒塀に白い花が映えて美しい。
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先月の話になるが、4月14日、日テレNews Everyで、「ヌスラ戦線」に2年間拘束されていた米国人男性のインタビューを放送した。このインタビューはその前の月(3月)だったというから、日テレが安田さんの動画を入手したあとすぐに取材に動いたのだろう。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm28637994
特集のリードは《フリージャーナリストの安田純平さんがシリアで武装勢力「ヌスラ戦線」に拘束された映像が公開されてから、約1か月が経過した。「ヌスラ戦線」に2年間拘束されていたアメリカ人男性に話を聞くことができた。この男性は解放後、メディアの取材を拒み続けてきたが、「安田さん解放の手助けになるなら」と初めて重い口を開いた。》


この米国人は、ジャーナリストのピーター・カーティス(Peter Theo Curtis)氏で、実は、このケースは、今後の安田純平氏救出にとって有益な情報を提供してくれる。

そこでまず、News Every特集の内容を紹介しよう。
2012年10月、シリアでの取材を試みようとトルコに行くと、町なかで複数の若者に声をかけられ「シリアのイドリブとアレッポ(いずれも「ヌスラ戦線」の影響力の強い地域)に向かうから一緒に行こう。2日後にトルコに一緒に帰る」と言われた。
彼らについてシリア領に入ると、すぐに手錠や足かせをつけられ拘束された。拘束中、カーティス氏は拷問を受けた。
「私は殴られたり電気ショックを受けたりした。地面にパンを投げ捨て、『食べろ』と言われた」。米国のスパイと疑われ、暴力を振るわれ、「最初は絶対殺されると思った」。

拘束中、2回にわたりカーティス氏の動画がネットに公開され、その中で彼は「私の命はいま大変な危険にさらされている」と訴えている。「米国政府に身代金を送るようメッセージを伝えろ」という明確な目的があり、話す内容を指示された。しかし、解放交渉がはじまると待遇は徐々に改善されていき、解放直前には監禁を解かれ、「ヌスラ戦線」幹部と同じ部屋で過ごすこともあった。
拘束からおよそ2年後の2014年8月、シリア南西部で国連平和維持部隊に身柄を引き渡され米国に帰国した。
「ヌスラ戦線」につながりがあるカタール政府が仲介に動いたとされるが、News Everyでは「身代金支払いについては明らかになっていない」としている。

日テレは、安田氏にかかわる二人にも取材をかけている。
トルコからシリアへの「越境を手助けする人物の仲介役」と「ヌスラ戦線の交渉代理人」を自称する人物。この「代理人」には「昨夜取材した」というから、この取材が出来たのを待って放送したことになる。
代理人」の発言;
「安田さんの健康状態はとても良い。我々は3人のチームで安田さんの解放のため動いている。いつ解放されるのか予測するのは難しい。1か月後かもしれないし10か月後かもしれない。交渉の条件で違ってくる。」
これに続いて、《日本政府の反応はないということですが、安田さんの解放交渉を進めたいと話しています》とナレーションが流れる。

とても興味深い内容だったが、問題もある。
この特集を観た人は、安田氏についても身代金交渉が当然の流れだと印象づけられる。交渉が始まれば拷問されなくなり、待遇も改善されるのではないか、と思いたくなる。
それに向こうは安田氏の解放について交渉したいと言っているではないか・・と。
(つづく)