大津の病院で森本さんを見舞ったあと、京都に出て、新幹線で帰ってきたのだが、大津と京都が電車で10分という近さなのに驚いた。
時間がちょっとあったので、清水寺近く東山五条の、陶芸家、河井寛次郎の記念館を訪れた。ここは、狭い路地のごくふつうの町屋。登り窯などで陶芸家としての仕事をしのぶこともできるが、なにより、庭と部屋のやさしいたたずまいにほっとされられる。ずっと、この空間でぼうっとしていたい。
おすすめです。
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7日にヌスラ戦線が身柄を解放したスペイン人ジャーナリストが、安田純平氏について語った。拘束中の彼にかんして公になる初めての直接証言だ。
3人のスペイン人ジャーナリストのケースは、政府主導で作られた救済委員会が解決に当たったとされる。スペイン政府はトルコとカタールの国名を挙げて、3人の解放に決定的な貢献をしたと言っており、背後で相当な交渉、駆け引きがあったと思われる。身代金を支払ったかどうかを含め、解放の経緯は伏せられるはずで、3人は少なくとも当分は取材に応えないだろう。
帰国した直後の空港での写真と、スペインの通信社EFEによる取材などわずかな情報が公開された。安田氏の消息、置かれた状況を想像するうえ役に立つ情報はないかと、パズルのピースを拾うような気持ちで英字新聞の記事を読んだ。
《EFE通信社の短いインタビューによれば、ジャーナリストたちが拘束された場所は少なくとも6カ所あったという。その一人、ロペス氏は、監禁3カ月を過ぎたころ、仲間のパンプリガ氏は別の場所に連れて行かれたと語る。3人が再会したのは、解放された土曜日のことだった。
拘束されていた部屋は小さく、中で体操するのがやっとの大きさだったと彼らは語る。拘束期間中、ずっと(誘拐された)アレッポにいたのかどうかは分からないという。
シリア人権監視団によれば、3人のベテランのフリージャーナリストは、去年7月13日、バンに乗ってアレッポを移動中に行方不明になった。シリア人通訳も拘束されたが、まもなく解放された。
一時期、3人は、同じころ誘拐された日本人ジャーナリスト安田純平氏と一緒に拘束されていた。》
http://www.telegraph.co.uk/news/2016/05/07/three-spanish-journalists-released-in-syria-by-al-qaeda-group-af/
安田氏がスペイン人ジャーナリストと一時期一緒にいたこと、安田氏自身、何度か居場所を変えられたことなどを私は別ルートで聞いていたが、解放されたスペイン人の証言で確認された。
安田氏を救出するうえでは、彼らの解放を可能にした方法をしりたい。
ヌスラ戦線による外国人「人質」拘束事件については、自称「交渉人」が登場することがある。例えば、3月に安田氏の動画を公開した人物だ。こういう「交渉人」には、どう対応したらよいのか。
(つづく)