なし崩しで集団安保までOK

今年も「世界報道写真展」に行ってきた。
5754人のプロの写真家から、9万8671点の応募があったそうだ。

 その狭き門をくぐり抜けて今回選ばれたのは53人の写真家の作品。

大賞には米国のジョン・スタンマイヤー氏が、アフリカ・ジブチ共和国の出稼ぎ労働者を撮影した作品が選ばれた。ジブチはアフリカから欧州や中東への出稼ぎ労働者の通過点。夜、海岸で、携帯を空に突き上げて、微弱な電波を捉え家族と連絡を取ろうとする移民たちの切ない姿だ。
 そのほかの入選作品のテーマには、
 フィリピンの台風被災地、シリア内戦、パレスチナの人々、アフリカの精神障害者バングラデシュでのアパレル工場ビル倒壊、中央アフリカの内戦、イラク内戦など今年のトピックも含まれ見ごたえがある。
 明るい、ユーモラスなテーマもあるのだが、世界はまだまだ悲惨に覆われていると感じる。これは何とかしないといけないなと思わされた。日常の暮らしのなかで、世界へのアンテナが鈍りがちなので、よい刺激になった。

 ところで、写真でもドキュメンタリー映画でも、こうしたコンテストでは、どういう基準で作品を選ぶのか。
前から疑問に思っていたが、報道写真展の今年の審査委員長ゲイリー・ナイトGary Knight がこんなコメントをしている。

 《賞を与える写真のテーマには序列があるべきか?あるならどんなテーマだろう?(略)
 写真としては平凡でも、受賞に値するテーマや事件があるだろうか。

 それとも、テーマには重要性を感じなくても、質の高い写真に賞を与えるべきか?
 個人への人権侵害と、大集団に関わる出来事は比べられるか?
 中東やアフリカの戦争は、アフガニスタンや米国の異性への暴力より重要だろうか?
 ヨーロッパの市民的不服従は、高潮に悩む東アジアの村より重大なのか?》
 こう根本的な問題提起をしたうえで、以下のような結論を下している。
 《私たちは、審査対象はテーマや出来事を表現する「写真」であり、テーマではないと決めました。問題を論じるのは写真を載せた媒体と撮影者であり、審査員にその特権はないというのが私たちの見解です。この重大決定が、私たちを無益な議論から解放しました。テーマが何であれ、撮影者が被写体や社会により重要だと考える問題をいかに効果的に表現しているか、その達成度への審査に一致して臨むことができました。この基準に沿い、偏見や先入観、不毛な議論とは無縁の審査を行いました。
 評価の決定要因は、審美的要素とジャーナリズム的観点の両方です。また、鑑賞者を長く惹きつける力も重要視し、対話の終点ではなく始まりとなる写真、そして被写体について深く考えさせる作品を高く評価しました。また、あるジャンルを進化させそうな写真や前例に囚われない作品に注目し、固定観念に挑む作品に賞を与えました。一方で見慣れた印象のもの、何人もが同じように撮っているなど独自性に欠ける写真は選外にしました》
 なるほど。納得。
・・・・・・
 来週早々にも集団的自衛権行使を認める閣議決定を行うという。
しかも、なし崩しの拡大解釈が露呈した。

 集団安保で武力行使容認 政府想定問答、首相答弁と矛盾(朝日)
 《憲法の解釈を変えて集団的自衛権を使えるようにする閣議決定に関し、政府が、国会などで説明するための想定問答をまとめていた。国連決議に基づいて侵略国などを制裁する集団安全保障での武力行使について、公明党の反発で閣議決定案には盛り込まないとしたが、想定問答には「憲法上の武力行使は許容される」と明記。自衛隊が海外で何をすることができるかをより具体的に記している。》(リード)
 以下は他紙の見出し。
 集団安全保障を容認 政府、想定問答集に明記(東京)
 想定問答集:政府、集団安保容認を明記 「限定」方針逸脱(毎日)
 (読売や産経は問題にしていない)

 安倍晋三首相は「武力行使を目的として湾岸戦争イラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してない」と明言していた。その後、中東ペルシャ湾などを念頭に、武力行使に該当する機雷除去は行うと言い、今度は集団安保でもOKというわけだ。

 これほど乱暴なことをやる内閣はこれまであったろうか。
 火曜には決着させることを狙っているらしい。
 やめさせる手はないものか。