ゆうべは会社の新年会。お世話になっている人とささやかな宴会を開いた。
ディレクターのNさんが毎年、自分で仕込んで作ったビールを差し入れしてくれるが、これがうまい!究極のプライベートブランド。
法的には密造になるらしい。免許無しにアルコール分を1%以上含むものを造ることは酒税法で禁止されている。要は税金を取りたいから。
宴もたけなわになったころ、ものすごい音量のバグパイプのメロディーが空気を揺るがした。スコットランドの民族服に身をつつんだ加藤健二郎さんが演奏しながら部屋に入ってきたのだ。
とてもいい景気づけになった。今年一年、元気にがんばろう!
この加藤さん、チェチェン、コソボ、中南米、イラクなど危険な場所の取材歴のある元戦場ジャーナリスト。『戦場のハローワーク』『戦場へのパスポート』、『ホントに強いぞ自衛隊!』『意外と強いぞ自衛隊!』などの著作がある。
演奏依頼は「東長崎機関」まで。http://www.higashi-nagasaki.com/
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森本喜久男さんの放送、12日のNHKBS1「エルムンド」と20日のテレ東「世界ナゼそこに?日本人」を観た。
「エルムンド」では、森本さんがスタジオに出て、機械ではなく人の手で作られる布の素晴らしさを語った。森本さんは広大な荒地に村を作り、一時は絶滅寸前だった伝統の「黄金の繭」を手で紡ぎ、草木で染め、手だれの織り手が布にしている。
「絹ってツルンとしていると思われているが、それは機械で繭から糸を引いて織った風合なんです。
手で繭から糸を引くと、人間の体は呼吸しているからリズムがある。体のリズムが糸の中に入っていく。だから糸は波打っているんです。波打った人間の鼓動が入った糸はぬくもりのある布になる。」
(ここで森本さん、肩から垂らしていたストールの右の端をさっと左の肩にはねあげて)
「こうやって肩にかけても、ツルンと落ちてこない。(接触している布の)波の糸がお互い重なる。
『布を纏(まと)う』という言葉は今は死語になっている。昔はこうやって『纏えた』。布が落ちてこなかった」
テラテラ光る絹のイメージは機械紡績による均等な太さの糸によるもので、人の手で紡いだ糸の布はツルツルしておらず体に纏ったときに布同士がくっつきあって落ちないというのだ。それがもともとの「纏う」ということなのだという。辞書をひくと確かに「まとわりつく」という意味がある。
森本さんの話術に引き込まれた。
「体のリズムが糸の中に入っていく」などと話すときの身振りや表情は、もう新興宗教の教祖のようだ。
あの布を纏ってみたいなと思う。
しかし、森本さんの工房の布は通信販売していない。いま日本では、北海道から沖縄の物産をネットで注文できるし、さらに世界中の名産を買う事もできるのに。
地元で作ったものを地元で手に入れるという原則を曲げたくないと森本さんはいう。ますます「鼓動の入った布」がほしくなる。
シェムリアップの工房には、布を求めて世界中から人がやってくるという。これこそ最先端の売り方なのかもしれない。
森本さんについて以前書いた日記 http://d.hatena.ne.jp/takase22/20140109