カンボジアに「まつり」を撮影に行ってきた。
村への途上のお決まりの光景。水牛や牛、アヒルなどが道路を横切るたびに車は徐行を迫られる。
目指すは、出たばかりの本、『自由に生きていいんだよ〜お金にしばられずに生きる“奇跡の村”にようこそ』(旬報社)のあの村。3月11日、12日に行われた「蚕まつり」を撮影に行ったのだ。
もう暑季で、ブーゲンビリアが美しい。
「蚕まつり」というのは、森本喜久男さんが、生糸をとるために命を奪う蚕を供養する儀式をはじめ、それにファッションショーが合わさって、村を挙げてのにぎやかな祭となった。
ファッションショーのモデルたちはみな村の住民で、村で作られた布をまとってポーズをつける。工房で糸をきれいにしているおばさんから4歳か5歳の小さな子もいる。
私は動画を撮影していたので、ショーの最中は写真を撮れなかった。蚕供養の儀式と合わせ、森本さんのフェイスブックでご覧ください。
https://www.facebook.com/kikuo.morimoto?fref=ts
若い日本人が10人近くやってきて、村人にメイクをしていた。美容師の卵たちがボランティアで毎年日本から駆けつけるのだという。集合写真で森本さんの周りにいるのが彼らだ。いい活動をしているな。
挨拶に立った森本さん、こみ上げるものがあったのだろう、話し始めるとすぐ、下を向いて声を詰まらせた。それを見ていた多くの人がもらい泣きした。去年のこの時期、森本さんは体調を崩して日本におり、祭は森本さん抜きで行なわれた。それだけに森本さんも、村の人たちも、今年、一緒に祭を迎えられたことは感慨深かっただろう。
祭のあと、村を回る。
日本では蚕が繭を作るのは年に一度だが、村で飼っているカンボウジュ種という蚕は、一年に八回繭を作る。今は、卵が孵化して十日ほど。まだ小さいが旺盛な食欲でみるみる大きくなっていく。繭になると、約100個を次世代用に羽化させてカイコ蛾にし、大多数は繭の状態で茹でて糸をとる。中のサナギはもちろん死ぬ。羽化した蛾は、飛ぶ機能を失っており、食べるための器官もない。生殖がすめば死んでいく。
この蚕のサイクルを知ると、確かに供養したくなる。日本には、クジラ供養などに見られるように、ヒトがいただく動物の命を供養する考え方がある。蚕供養の儀式は、森本さんが持ち込んだ日本的なもので、それが祭となってこの地に根付いている。こうやって文化は融合していくのか。