「伝統の森」は現代文明へのアンチテーゼ

 きょうもカンボジアの村「伝統の森」のお話。 

 蚕祭りの前夜祭の夜、ステージは若い衆のディスコと化した。祭りは、一年の集大成であり、最大の気晴らしでもある。

 祭りの翌日、最年長のおばあさんが糸車を回す。年長者も障害者もそれぞれに「持ち場」がある。

 暑季で連日32〜33℃。ハイビスカスが鮮やかだ。

 村一番の「括り手」=デザイナーのソキアンさんが、10年以上前に自分が括った布を見る。ある人が、以前購入したこの布を日本から持ってきて、この「対面」が実現した。森本さんは、この布の模様がとても色っぽいと感じたという。ちょうど彼女の新婚の時代にあたっている。括り手や織り手のそのときの「思い」が布に現れるのだという。ほんとうだとすると、実に不思議だ。
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 前回書いたブログに、ご意見をいただいた。
 「日本では蚕が繭を作るのは年に一度だが、村で飼っているカンボウジュ種という蚕は、一年に八回繭を作る」と書いたら、養蚕の歴史を調べている長野県在住の桂木恵君からこんな指摘が;
 「日本では養蚕は年に1回という個所です。日本でも、春蚕、夏蚕、夏秋蚕、晩秋産というように3,4回はやっていました。カンボジアとの回数の違いは、桑の葉の繁茂具合の違いでしょう。長野県や東北などが養蚕がさかんだった地域は多くが寒冷地ですので、春にならないと桑の葉が芽吹かないし、晩秋には枯れてしまうから冬場には出来ないのですね。また、養蚕農家といっても多くは米なども作っていますので、田植えや稲刈り時期などは養蚕に労働力を避けないという点からも制約されるわけです。その中で3,4回やっていたのは恐ろしいほどの忙しさになるのですが、それだけ現金収入という魅力があったからです。」
 そうなんです。桑次第だそうで、日本では寒いので1回が多いと聞いていたのをそのまま書いてしまった。蚕の種類によるみたいな誤解を招きかねない表現だった。
 ところで、桂木君、本を10冊も注文してくれてありがとう!
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 普通は取材クルー(班)を送り出すだけで、自分はめったに海外出張などしないのだが、今回は森本さんが旧友だということで、村に3泊する機会をいただいた。
 この村の空気を知ってもらいたいというのが、今回出した本『自由に生きていいんだよ〜お金にしばられずに生きる“奇跡の村”へようこそ』のテーマの一つだった。
 ある同人誌に書いたこの本の紹介から;
 《森本は、中学の卒業式を鑑別所で迎えた「はぐれもの」で、日雇い労働に従事しながら反体制運動に没頭する青年期を過ごした。(略)そんな一人の「バカ」が、奇跡を成し遂げた苦闘の顛末は実におもしろい。困難を乗り越える覚悟、失敗や挫折への向き合い方、情熱を持ち続ける方法など、森本流の人生の知恵は、ぜひ日本の若者に伝えたいと思う。
 そして、70人が住む森本の村を訪れ、そのありようを見たとき、もう一つのテーマを本に盛り込もうと考えた。それは「お金にしばられない生き方」である。お金がすべてと信じこまされ、生き死にの意味を喪失した現代文明へのアンチテーゼをそこに見たからだ。
 きょう、森本さんから、日本から学生たちが村を訪問して、本が2冊売れたという。 
 みなさんも宣伝よろしくお願いします。