すごい冒険家たち2

takase222011-10-03

石川直樹さんは、エベレスト登頂自体が目的ではないという。
まず、山の魅力について聞いた。
「山では、一瞬が大切になる。漫然と時間が過ぎるわけじゃない。町にいるとぼんやりしていても時間がすぎる。でも山では、生きようと思う、明日のために食事をとろう、ちゃんと呼吸しよう、と一瞬一瞬を大事にしていかないと生きていけない。それが山が好きな理由だ」
極限のなかにいることの不安と喜び、そこで感じる生の実感ということか。
石川さんの肩書きは何ですか。
「肩書きはなし。強いて言えば、7〜8割、写真家」
なぜエベレストに登るのかをさらに聞くと。
「自分が旅好きで、それでびっくりするものを撮る。びっくりするものがあれば、山じゃなくてもいい。隣町でもいい。雄大な自然だけには興味ない。そこに生きる人間に興味がある」。
北極点やエベレストに到達した、太平洋をヨットで横断した、など大きなニュースになる冒険はほとんど姿を消した。未踏の場所がなくなっていき、冒険というものの質が変わってきた。今の冒険は、もっと人の生き方にひきつけられたものになっているのだろう。
さて、きのうの「海のグレートジャーニー」の問題。
木炭と航海との関係だが、今回のプロジェクトはゼロから手作りするということに意味がある。関野さんの説明を聞こう。
《2007年秋、今回のカヌー作りを始めるにあたって、ムサビ(武蔵野美術大学)の大教室に学生、卒業生に集まってもらいました。200名ほど集まった若者に、「インドネシアから日本列島まで、海を航海してやって来た初期人類がいるはずだ。そのためのカヌーを手作りにして、日本まで航海してくるつもりだけど、そのカヌーを一緒に作って見ないかい」と呼びかけました。
 そのカヌー制作のコンセプトは「自然からすべての素材をとって来て、自分たちで作る」というものでした。ムサビは造形学部に11学科があるモノづくりの大学です。しかし、そのような経験をしたことがないので、若者たちはコンセプトに共感してくれ、熱気が感じられました。
 早速始めたのは、九十九里海岸での砂鉄集めでした。たたら製鉄をして、インドネシアで木を切り、穿つ道具を自分たちで作るためです。120kgの砂鉄を集め、岩手で杉浦銀二さんの指導のもとで200kgの炭を焼きました。永田和宏さんの指導で、ムサビの金工の工房でたたら製鉄をして、奈良の刀鍛治河内國平さんと野鍛冶の大川さんの協力で、斧、ナタ、チョウナ、ノミが完成しました。それをインドネシアに持っていき、大木を伐り、二隻のカヌーを作りました。
 インドネシアではスラウェシ島のマンダール人に協力してもらい、半年がかりでカヌーが完成しました。船体、帆、アウトリガー、ロープ、紐、塗装すべてに、自然からとってきたものを利用しました。》
船を形るために木を切り倒す。そのためにはオノやナタなど、鉄の道具が必要だ。そのための製鉄には燃料が要る。それで木炭づくりから始めたというのだ。ここまで徹底した手作りは聞いたことがない。
航海には男子学生2人が加わったが、その他にたくさんの学生がカヌーの製作過程にかかわったという。肉や野菜などの食物も、衣類もカバンも、自分で作ったものなどない今の時代で、これは得がたい経験になっただろう。
図書館には、海岸で砂鉄を集めている女子学生たちや、砂鉄を溶かすために大きなフイゴを汗だくで踏む男子学生たちの写真が展示されていた。みな、笑顔で嬉々として作業している。
どんな旅だったのか。
インドネシアスラウェシ島から沖縄の石垣島までおよそ4,400kmを3年がかりで航海しました。1年で終えるつもりでしたが、風任せ、潮任せの旅でカヌーは思うように進みませんでした。
 島々に寄って、薪、水を補給しながら航海を続けました。素焼きの窯で、薪に火をつけて、釣った魚や米を料理して胃袋を満たしました。
 今回の旅では島影と星を頼りに、コンパス、GPSやチャート(海図)を使いませんでした。五感だけを利用してナビゲーションした太古の人々に思いを馳せながら航海をしたかったからです》
関野さんは93年から、アフリカにはじまる人類の拡散のルートをたどる「グレートジャーニー」をやっている。
関野さんの奥さんが「ばかな人だと思ってたけど、そこまでばかだと思わなかった」と言ったというのは有名な話だが、偉大な「ばか」は社会を元気付けるのである。
世の「ばか」たちよ、がんばれ!