花束少女の謎4

takase222010-07-29

 23日、帝国ホテルでNHKと日本テレビがそれぞれ金賢姫の単独インタビューを行った。
 日本テレビはインタビューで金賢姫に一枚の写真を示した。それは、きのうのブログで紹介した、1972年に読売新聞が撮った花束少女の写真で、韓国の代表団に歓迎の花束を渡す直前の金賢姫が写っていた。彼女は当時中学生だった。
 金賢姫の表情がパッと明るくなって、「はい3番目のこれが私です」と言う。そして、北朝鮮にいたころの写真はこれしかないのです、これこそ私が北朝鮮にいたことを証拠立てる唯一のものですとやや興奮気味に、うれしそうに答えていた。
 金賢姫北朝鮮の人間ではないという謀略説は、これだけで崩れてしまう。
 「本物」が写った花束少女写真を、直接に彼女に見せて確認した取材は、実はこれが初めてなのである。事件からなんと23年も経っている。

 さて昔に戻ると、アメリカが北朝鮮テロ支援国家に指定したのは、大韓航空機爆破事件ゆえであり、83年のラングーン爆破テロ事件とともに、北朝鮮のテロ体質を世界に強烈に印象づけた。北朝鮮側はかたくなに知らぬぞんぜぬを押し通し、反撃につとめた。
 ところが、具体的に反論するほどほころびが出てくる。それは、2002年以降、拉致被害者は5人を除いてみな死亡しているとして、さまざまな材料を出してきたときに繰り返された。
 萩原遼さんが『グラフこんにちは』88年3月6日号で「金賢姫らしい少女」を出したあと、3月15日、北朝鮮と総連は、それはチョンヒソン(鄭喜善)という別の人物だと反論し、2列に並んだ少女らを別角度から写した写真を「証拠」として出してきた。
 萩原さんの写真では俯いていた少女が、顔を上げて写っている(少女4)。これがチョンなのだが、そうすると隣の少女3は金賢姫のはずである。ところがそこにいるのは、全く別の顔の少女だ。
 素人でも分かるお粗末な出来の合成写真である。
 質感が違うし、顔に当たる光線の向きも異なる。
 少女4がチョンであることを論証するために写真は出したものの、金賢姫の顔は絶対に隠し通さねばならなかったのだ。
 萩原さんの写真の少女は、金賢姫ではなかったのだが、北朝鮮はこれに反論しようとして馬脚をあらわしてしまったのである。
 真実が判明した今から当時を振り返ると、まるで喜劇のようだ。