横田夫妻とウンギョンさん面会の舞台裏

 中国の人権抑圧は、娘の葬儀に親が出ることすら阻むところまできている

 中国の人権派弁護士、唐吉田氏の一人娘、正琪さん20日午後、留学先の日本で27歳で死去した中国当局は唐氏の出国を阻止し続け、意識不明の重体となっていた娘を見舞うことも叶わず、3月2日にいとなまれた告別式にも参列できなかった。

2日に告別式がとり行われた(23日報道特集より)

 支援してきた東京大学阿古智子教授によると、正琪さんは大学進学を目指して2019年から東京に留学していたが、21年4月に自宅で倒れ、髄膜炎と診断。以降、意識が戻らない状態が続き、20日夕、肺炎のために亡くなった。

 唐氏は正琪さんに会うために複数回出国を試みたが、当局は「国家の安全」などを理由に妨害した。唐氏は10年に弁護士資格を剝奪され、出国を禁じられている。空港で使えない搭乗券を手に「娘に会うのがなぜ国家の安全を害することになるのか」と涙する唐氏の映像が流れたが、親の情を思うとやりきれない。

人権派弁護士として、立ち退きを強いられた市民や宗教活動を制限されたと訴える人などを弁護してきた(報道特集より)

 正琪さん死亡の知らせには唐氏から返信があったが、現在は日本から連絡が取れない状態だという。

 阿古教授は「娘に会いたい、葬儀に参加したいという親の素朴な願いも聴き入れられないのは理解しがたい。『(出国禁止の理由になった)国家の安全』は政権の論理で、国民のことを考えたものではない」と中国当局の対応を非難した。

 ここまでやるのか中国。
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 2014年3月の横田夫妻とめぐみさんの娘で夫妻の孫にあたるキム・ウンギョンさんとの面会から10年共同通信が実現にいたる舞台裏を記事にした。情報源は「政府関係者が明かした」としている。

金恩京(キムウンギョン)さんと、ひ孫の智恩(チオニ)ちゃんを抱く早紀江さん

 日本政府は当初、北朝鮮にスイスを打診したが、北朝鮮はウンギョンさんに娘が生まれ長距離移動が困難として断った。中国も候補地に上ったが当局の監視を警戒し見送られたという。

 「北朝鮮は当時、日本に歩み寄りを見せ、面会から2カ月後の5月、拉致被害者の再調査で合意した。いずれも神戸市出身の拉致被害者田中実さん=失踪時(28)=と、拉致の可能性を排除できない金田龍光さん=同(26)=の入国情報も伝達。だが他の被害者の新たな情報は得られず、協議は頓挫した。

 横田夫妻の孫との面会実現の過程で北朝鮮が「歩み寄り」を見せて、5月には北朝鮮が日本人についての調査をし直すとするストックホルム合意が成立した。その結果、田中実さんと金田龍光さんについての情報が寄せられた。これは北朝鮮がもう誰も拉致被害者はいないと言ってきたのをくつがえして、実は2人いると認めた点で画期的だった。

 しかし、日本政府は「他の被害者の新たな情報」が得られないとして、この情報自体を握りつぶしたのである。つまり、日本側は、一挙に拉致被害者全員(何人なのかもはっきりしないが)の情報を出さない限り対応しないという方針だった。その結果、拉致問題進展の得難いチャンスをつぶし、田中さん、金田さんに日本政府は面会も追加の調査もせず完全に見捨てたのである。

 救う会・家族会はいまだに「全拉致被害者の即時一括帰国」を交渉の入り口に置いている。

昨年11月の集会に出た岸田総理(内閣府HPより)

 家族の方々の気持ちは痛いほど分るが、この方針を政府が共有するなら今後の展開については残念ながら悲観的にならざるを得ない。少しづつでも、一人づつでも実態解明と救出を進め、膠着した事態を打開するしかないと思うのだが。

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寺越友枝さんの逝去によせて~「封印された拉致」と母の苦悩

 寺越友枝さんが2月25日、92歳で亡くなった。

 能登半島沖で行方不明となり、その後北朝鮮で生存が判明した石川県志賀町出身の寺越武志さん(74)の母親である。友枝さんは1987年から訪朝して武志さんとの面会を繰り返してきた。

寺越友枝さん(右)と武志さん(中日新聞より)

 寺越武志さんは実際は北朝鮮に拉致されたのだが、自分が拉致されたことは否定したままで、政府も武志さんを拉致被害者とは認めていない。これは「封印された拉致事件であり、北朝鮮による拉致を考えるうえできわめて重要な出来事だった。

 事件が起きたのは1963年5月。

 寺越武志さん(当時13歳)は叔父の寺越昭二さん(同36歳)、外雄さん(同24歳)とともに「清丸」という小さな漁船で漁に出かけ帰ってこなかった

寺越武志さん(以下写真は、寺越友恵『北朝鮮にいる息子よ わが胸に帰れ』(徳間書店)より)

 漁といっても、夜、岸から数百メートルのところに刺し網をして、いつもなら朝戻ってくる。その夜は風のないベタなぎで遭難は考えられない。捜索すると、数キロさきに空っぽの船だけが漂っていた。船の前方に何かにぶつかったような大きな破損個所があった。真相が分からないまま3人の葬式も済ませた。武志さんは中学2年でわずか13歳。横田めぐみさんが失踪した歳と同じである。

清丸の舳先には大きな破損個所があった

遺体は上がらなかったが葬儀を済ませた(2列目中央が友枝さん)

 ところがそれから24年が経った87年、突然、外雄さんから武志さんと北朝鮮で元気でいるとの手紙が届く。昭二さんはすでに亡くなり、外雄さんと武志さんは亀城(クソン)という地方で北朝鮮人と結婚して家族を持ち、旋盤工として働きながら暮らしているという。武志さんからも手紙が届き、その内容から本人に間違いないことが分かる。

武志さんからの手紙。「昔、バスが組合の前で停まり、そこを降りて、・・道を登ります。一軒家がありましたが、その前に祖母の田んぼがありました。そこに柿の木が四本、びわが一本ありました。・・」と本人であることを証明しようとしている。

 武志さんの母、友枝さんは、当時の社会党の代議士のつてで北朝鮮にわたり、武志さんと劇的な再会をとげる。そして、63年の失踪事件は遭難していた武志さんたちを通りかかった北朝鮮の船が救助したという「美談」に、母子の再会は北朝鮮の配慮のもとでの感動話とされた。友枝さんは救助話に半信半疑ながらも、北朝鮮当局に感謝せざるをえなかった。

美談が演出された母子の再会

 97年2月、ジン・ネット取材班は横田めぐみさんの目撃証言を報じ、これも一つのきっかけになって北朝鮮による拉致疑惑が大きな社会問題に浮上した。この証言は、元北朝鮮工作員によるものだったが、実は彼のインタビューでは、別の拉致事件をも証言していた。

工作員養成所の教官から聞いた話です。工作船が日本に近づいたとき、小さい船がしつこく追いかけてきた。そこで、秘密がもれるのを恐れて、乗組員3人を拉致して、船は始末した。ノトという場所だった」

 その時私たちは「清丸事件」を全く知らなかったので、そんな拉致もあるのかと興味深く聞いただけだった。その後、「現代コリア研究所」の荒木和博さん(現・特定失踪者問題調査会代表)に会う機会があり、元工作員からこんな話を聞きましたよと「ノト」の事件を話した。荒木さんは強い関心を示した。荒木さんはちょうど「清丸事件」の検証を始めていたところだったのだ。そこで荒木さんの協力も得て、すぐにジン・ネットスタッフのNディレクターが石川県に飛び本格的な取材に入った。

 取材を始めると、これは美談などではなく、どこから見ても「拉致」であるのは明らかだった。最も可能性が高いのは「遭遇拉致」。つまり夜、日本の領海に侵入してきた工作船が「清丸」にぶつかった。事態発覚を恐れた乗組員たちが武志さんたちを拉致したと思われた。Nは武志さんの戸籍を復活させる手続きを支援するなど友枝さんを精神的にも支えつつ取材を深めていった。

 97年4月、荒木和博さんが5月初め発売の『正論』6月号に「封印された拉致事件」と題する記事を載せ、私たちは5月10日、テレビ朝日ザ・スクープ」で「清丸事件」を北朝鮮による拉致事件の一つとして放送した。

 これに対する北朝鮮側のリアクションは予想を超えた。北朝鮮はメディアを通じて、反動勢力の嘘と激しく反論したうえ、武志さん本人に拉致を否定する談話を発表させ、さらには武志さんを地方の旋盤工からいきなり平壌市職業総同盟副委員長という要職に出世させ、一家を平壌の高級幹部のみが棲む高層マンションに移したのだった。

 当時は、拉致だと日本で騒ぐと、拉致被害者が危害を加えられたりするのではないかと危惧する声があったが、私たちは武志さんの身の上に起きたことから、「むしろ日本側が拉致だと騒いだ方が、被害者たちは大事にされる」と反論したものだった。武志さんはその後、2002年に北朝鮮の訪日副団長として一時帰国を果たす。

 97年3月に横田めぐみさんの両親、滋さんや早紀江さんらが拉致被害者家族連絡会」を結成すると、寺越友枝さんはこれに加わり、一緒に活動した。ところが武志さんが友枝さんの言動に強く反対する。武志さんは北朝鮮に家族がおり、これからもそこで暮らしていかねばならない。日本に帰りたいとは言えず、ましてや「拉致」などと言えるはずがない。「おかあさん、後ろを振り返らないで、前だけを見ていこう」と武志さんに訴えられ、友枝さんは運動から手を引いた。

寺越友枝さんが書いた『北朝鮮にいる息子よ わが胸に帰れ』(徳間書店)。ここでは「拉致」と言えなくなった事情も率直に書かれている。この本の最後の「解説」は私が書いた。

 めぐみさんも武志さんも、13歳という若さで北朝鮮に拉致された。しかし、その後の運命は大きく異なり、めぐみさんがいまだ消息が分からないのに対して、武志さんは日本の家族と再会し、友枝さんは2018年まで66回も北朝鮮を訪れ武志さんやその家族と会ってきた。

 友枝さんの夫(武志さんの父)の寺越太左エ門さん(1921年生まれ)は01年7月に訪朝した際そのまま北朝鮮に留まり、武志さん一家と生活し08年1月、平壌市の武志さん宅にて86歳で死去している。本人、そして友枝さんら家族が拉致を否定した「清丸事件」は、政府認定の拉致事案にはいまも含まれていない。

 武志さんには金英浩(キムヨンホ)名の『人情の海』という自伝がある。武志さんが奴隷の言葉でどんなことを書かされたのか、関心のある方は邦訳がネットにあるので参照されたい。http://araki.way-nifty.com/araki/files/terakoshi.pdf
 
https://takase.hatenablog.jp/entry/20161115

 18年の最後の武志さんとの面会を、友枝さんはこう振り返っている。

「5年ぶりに武志に会ったら年老いて、頭も白髪になって、歯も傷んで。孫からハラボジ(おじいちゃん)と呼ばれとる。けど、日本に帰ってきて思い浮かぶのは、13歳のくりくり坊主頭の武志の姿や。武志がじいちゃんになっても、私にとってはいつまでも子どもやさかい。そんな武志が『お母さん、年をとりましたね。より愛おしいです』と言うんや。かわいくて、かわいくて、今度こそ子離れしようと思うとったが、できんかった」(女性自身より)
https://jisin.jp/domestic/1658956/

 内心では「拉致」だと確信しながらも、そのことを口にすることができずに、北朝鮮に頭を下げながら母子の交流を続けた友枝さん。まさに「封印された拉致」に翻弄された一生だったと思う。

 友枝さん、長いことほんとうにごくろうさまでした。ご冥福をお祈りします。

ウクライナ戦争:勝利と平和のあいだで5

 12月下旬に発売された中村哲という希望』旬報社)が、おかげさまで好評のようで、1月下旬に重版になっていたのが、先日、再度の重版が決まった。中村先生の名前のおかげで売れているのだろう。

 実は、佐高信さんと対談しながら、話があんまり噛み合ってないなと感じていた。例えば佐高さんが中村さんを左翼陣営に囲い込もうとするのを、私が政治的な右左という観点から中村さんを見ない方がいいとあらがったりした。本を読んだ人からは、対談のちぐはぐさが、かえっておもしろいと言われた。

 たくさんの人に本が読まれて、中村哲という人物のすばらしさに触れ、自らの生き方を考えるきっかけにしてもらえたらうれしい。

 また、みなさんの最寄りの図書館に購入希望を出していただければと思います。
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 2月27日、予定通り、ウクライナのボランティア、マックスと日本とをZOOMで結んで交流会を行った

34人が参加してZOOM交流会が行われた

質問に答えるマックス

 はじめての試みで、翻訳字幕を使ってウクライナ語と日本語で会話をやってみた。意味不明の翻訳が流れて首をかしげる場面もあったが、和やかに語り合えた。

 小学生が「こわくないんですか?」と質問したり、日本からも武器の支援を望むかなど実際の支援政策について議論したりと充実した2時間だった。

 この1月で21歳になったマックスは、2年前からITを学んでいた大学を休学してボランティア活動に注力している。戦争がさらに長引いたら、自分の将来をどう展望するのかという質問があった。彼は、戦争が終らない限りボランティアをやり続けるだろうと答えた。

 マックスをふくめウクライナの人々が、世界第2位の軍事大国ロシアに抵抗し続けられるのはなぜか。交流会のあとでメールで聞いてみた。

 マックスの答えは以下。

「戦う理由はいくつかあります。

 第一に、私たちの将来、私たちの子どもたちと若者の将来のために戦っています。

 第二に、私たちの自由のために戦います。なぜなら自由こそがすべてのウクライナ人の人生にとって最重要だからです。

 第三に、私たちの国土に倒れたすべての兵士たちのために戦います。この戦争で犠牲になることは名誉なことです。

 第四に、私たちが生まれた大事な郷里、郷土のために戦います。強盗や殺人者が自分の家に押し入ってきたら、全力で抵抗しなければなりません。」

 マックスはあくまで抵抗を続けるつもりだが、ウクライナが現在不利な状況にあることを認めている。また、兵役を逃れようとする人が増えていることにも理解を示す。

 「前線には武器弾薬がありません。誰だってそんな戦場に送られたくはないでしょう」。

 ウクライナが戦場で不利に立たされているのは、外国からの軍事支援が滞っているためだ。支援が約束された量の火砲や砲弾がウクライナに届いていない。最大の軍事支援国のアメリカは党派対立から支援のための予算採択が見通せない。武器弾薬が尽きればロシアの蹂躙を止められない。ウクライナの命運が外国の政府に左右されることに深く同情する。

 そもそも欧米の軍事支援は、はじめから腰の引けたものだった。欧米はウクライナに「核戦争にならぬよう、ロシアを過度に刺激するな」とロシア本土への攻撃を禁じた。そのため、長距離ミサイルや新鋭の戦闘機を供与してこなかった。アメリカがF16戦闘機の供与を公表したのはようやく昨年夏で、オランダ、ノルウエー、ベルギー、デンマークから中古のF16が送られることになったのだが、まだウクライナの実戦には投入されていない。

 プーチンの核の脅しが効いている。しかし、核で脅して無理が通るとなれば、今後ますます核兵器を持とうとする国が増え、保有国は核という力で何でもできることになる。核の脅しに怯えてはならないのだ。

 これに関して、国際政治学者の東孝之氏が以下のように論じている。

《国連は機能不全に陥っているが、今日の世界平和の基礎はやはり国連憲章にある。国連憲章は加盟国の主権平等の原則に基礎をおき、武力による威嚇または行使を禁じている。ロシアはこの国連憲章の基本原則を踏みにじったが、これを看過すれば、将来の戦争の種を蒔くことになろう。

 かつてフランスの哲学者サルトルは、ベトナム戦争に際して、核兵器を「歴史にノーを突きつける兵器」と特徴づけた。そこにこの兵器の特殊性がある。その前に立ち竦むならば、歴史は止まる。ベトナム人の知恵に学んで、立ち竦むのではなく、いかにして核保有国の裏をかいて、抵抗を続けるかを考えるべきだ。》(『世界』3月号P223)

 かつて、ベトナム戦争アメリカは核を使う可能性をちらつかせた。しかし、ベトナムは世界の世論を味方につけ、アメリカに核を使わせないまま撤退に追い込んだ。

 今度はロシア相手に、我々が知恵を絞る番である。

ウクライナ戦争:勝利と平和のあいだで4

 今夜は、ウクライナの市民ボランティア、マックスとのZOOMチャットがある。これをきっかけにして、ウクライナと日本を結んだ交流が広がればいいと思う。

 ウクライナゼレンスキー大統領は25日、侵攻開始から24日で2年を迎えたことを受け首都キーウで記者会見し、ロシアの侵攻によるウクライナ軍兵士の死者が約3万1千人に上ったと明らかにした。ウクライナ政府が公式に自軍兵士の死者数を公表したのは初めて。ロシア軍の死傷者は50万人におよびうち死者は18万人だとも主張したが、確認はされていない。ウクライナ軍の負傷者や不明者の数は明らかにしなかった。

共同通信より(youtube)

 24日には在日ウクライナ人らが渋谷駅前で犠牲者に祈りをささげ、戦火を止めようと抗議した。約100人が黙とうし「歴史や文化を破壊するため、私たちの街にロシアが(攻めて)来た。ロシアを止めよう」と声を上げた。

TBS報道特集24日より

 テレビ取材に応じたウクライナ女性、ユリーヤ・ナウメンコさんは侵攻後に兄のいる日本に避難してきた。「私たちが経験してきたことを、プーチンやロシア人にも感じてほしい」という。

 「ロシア人にも同じ目にあわせたい」、「この苦しみをロシア人にも味わってもらいたい」・・こうした表現をウクライナ人から何度も聞いた。

 ウクライナ側が手足を縛られてロシアと戦っているという戦争の「構造」を市民の立場で示す言葉である。欧米は「ロシアを過剰に刺激するな」とウクライナを牽制し、長距離ミサイルなどロシア領内の基地を叩く兵器を渡さない。戦場はウクライナ国内に限られ、ウクライナ軍がロシア軍に向けて撃つ大砲の弾も自分の国の施設や大地を破壊するのである。つまり、毎日毎日戦争はウクライナだけを破壊しているのだ。

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 だからウクライナ人と異なり、ロシア人は、昼夜分かたぬ空襲で家を直撃されて手足を失ったり、避難のため家族が離れ離れになったり、職場が破壊されて失業したり、警報で不眠症神経症になったりといった戦争による甚大な被害を被らないわけである。
ウクライナ人が「ロシア人にも同じ目にあわせたい」と吐露する所以である。

 

 「ウクライナ人も長引く戦争に疲れている」。メディアで繰り返し流れる侵攻2年のウクライナの状況の描写である。

 調査機関キーウ国際社会学研究所は、①「できるだけ早く平和を達成し、独立を維持するためなら」という条件つきで、「ウクライナは領土の一部を放棄することができる」②「たとえ戦争が長期化し、ウクライナの独立が脅威にさらされるとしても、ウクライナはいかなる状況においても領土を手放すべきではない」のいずれかを選ぶ質問を続けてきたが、最新の12月の結果は、前者の①が19%に達し、その比率は1年間で11ポイント増え、調査開始以来、最高となった。一方後者の②はこれまでで最低の74%になった。

 ウクライナ人もみな生身の人間である。身内の死の恐怖や避難生活の苦悩のなかに2年もいれば「もう譲ってもいいからこの状態から脱したい」と思うのは人情だ。ニュースでは、この世論調査の結果を「戦争疲れ」として紹介するわけだが、私は逆に、2年たっても4人に3人が②を支持することの方に驚いてしまう。なんという覚悟・・・。

 TBSの「報道特集では、旧知のジャーナリスト、新田義貴さんウクライナ・リポートをやっていた。

 首都キーウでは昨年来、兵士の妻たちが兵役の期限を決めて交代させよと定期的にデモを行っている。これもよくウクライナの「厭戦気分」を象徴するものとして取り上げられるのだが、実は彼女らは政府に「戦争をやめよ」と要求しているわけではない

首都キーウのマイダン(広場)でのデモ(報道特集より)

 デモ行進をした妻の一人、ユリア・イフナチョクさんは、インタビューでこう答えている。ユリアさんの夫はロシア侵攻のあと、軍に志願した。

Q:夫が志願したとき止めようとしなかったのは?

「夫は私と息子、そして国を守ろうとしていることを分かっていたからです。

 私たちはウクライナの降伏や停戦を呼びかけているわけではありません。この戦いは続けるべきだと考えています。

 ただ最初から戦っている夫たちを、交代させるべきだと訴えているのです。彼がこの国のために戦っている間、夫の権利を訴え続けるつもりです。

ユリアさん(報道特集より)

 ここで夫がそのために戦っている「国」とは「政府」のことではない。「国」のためによりよく戦うためにも、政府に夫たちの「交代」といういわば待遇改善を要求しているのだ。

 ウクライナ人が「国を守る」というとき、それは同胞と郷土、そこに育まれた文化、伝統をひっくるめた「私たちのくに」であり、ゼレンスキー政権ではない。ここがウクライナ戦争を理解する上で、大事なポイントだ。

 私はウクライナ取材で、この戦争はウクライナ国民のレジスタンスだと結論づけた。

 市民ボランティアが汚職まみれの政府をあてにせず、市民の力で直接に前線の兵士を支えようとしているのに大きな感銘を受けたのだった。

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 ベトナムに侵攻したアメリカは撤退して1975年に戦争が終った。

 アフガニスタンに侵攻したソ連は撤退して戦争(1978-1989)が終った。

 その後アフガニスタンに侵攻したアメリカも20年の泥沼の結果、撤退して戦争(2011-2021)が終った。

 ウクライナも同じように、侵攻したロシアが撤退して戦争を終わらせる—実に単純明快な解決法である。それ以外にまともな終わらせ方はない。

 ウクライナに勝利を

ウクライナ戦争:勝利と平和のあいだで3

 ウクライナのゼレンスキー大統領は17日、ドイツで開かれたミュンヘン安全保障会議にロシアによる侵攻後初めて対面で参加。ロシア軍の攻勢でウクライナ軍が押されているなか、欧米諸国からの「人為的な武器不足」の解消を求めた。

 ゼレンスキー氏は「戦争がいつ終わるのかウクライナに問うのではなく、なぜプーチンが戦争を続けられるのかを自問してほしい」とロシアに引き続き対抗するよう訴えた。

これに続けて「自分自身に問いかけて欲しい。なぜプーチンは戦争を続けることができているのかと」と語った。(サンデーモーニング25日より)

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 24日は一昨年のロシアによる侵攻から2年で、新聞もウクライナ関連の記事が数多く載った。立場の異なる顔ぶれも興味ぶかかった。

 24日のブログで紹介した「Ceasefire Now 今こそ停戦を」の呼びかけ人でもある和田春樹氏(東大名誉教授)は「ウクライナ戦争は即時停戦すべきです」と変わらぬ立場を表明。

 同じ24日の紙面に東野篤子氏筑波大学教授)の戦争の行方についてのインタビューが載っていた。これは説得力ある原則的立場。

24日朝刊

《侵攻当初から、この戦争の着地点は、主権を侵害されたウクライナが決めるべきだと訴えてきた。今もその思いは変わっていない。

 現在ロシアに占領されている約2割の領土を諦めて停戦を選ぶのであれば、それも彼らの選択だ。その際、著しく不利な条件を無理やり飲まされるようなことがないように支えるのが国際社会の役割だと思う。

 即時停戦は、当初から指摘されている複数のリスクが残ったままだ。ウクライナを属国化しようとするロシアのプーチン大統領の狙いは変わっていないし、ロシアは停戦違反を行う可能性がある。根本的な問題が何も解決していないのに、外野からウクライナに停戦を迫るのは無責任だ。

23年のウクライナの反転攻勢の失敗の原因は、ウクライナの戦い方以上に欧米の対応にあったと考える欧州連合EU)はウクライナに年間100万発の砲弾を供給する計画を承認したが、実際に供与できた量は約半数にとどまる。欧米は自分たちの軍事的な支援能力を見誤った。》

《現時点では、23年のNATO首脳会議で合意された、日本を含む主要7カ国(G7)各国とウクライナの二国間の「安全の保証」のための取り決めを着実に進めつつ、ウクライナの防衛力を強化する支援を続けるしかないと考える。》(朝日新聞2月24日朝刊)

 そのとおり!

 さらに22年にノーベル平和賞を受賞したウクライナの人権団体「市民自由センター(CCL)」の代表で弁護士でもあるオレクサンドラ・マトビチュクさんが登場。CCLは約6万4千件のロシアによる戦争犯罪を記録してきた。

24日朝刊

 マトビチュクさんは、「法の支配」は武器をとってでも守るべきだと訴えている。

《マトビチュクさんは、ロシアによる14年のクリミア併合の際、国際社会の反応が弱く、プーチン大統領を勢いづかせてしまったと指摘。「独裁者は強さだけを尊重し、弱さに対してはさらなる攻撃を仕掛ける。対話は弱さとみなされる」と述べて、自由や人間の尊厳を守るために戦い続ける必要性を訴えた。》

《(ノーベル平和賞の授賞式のスピーチでは)「攻撃を受けている側が武器を置いても、平和が訪れることはない」と主張。取材では「平和」について「暴力のおそれがなく、長期的な視野を持って暮らせること」と定義し、「武器を使ってでも、法の支配は守らなければならない」と強調した。「占領は戦争の一形態であり、強制移送、拷問、性的暴力、アイデンティティの否定、強制的な養子縁組といった暴力が続いている」》(同)

 日本では「正義の戦争はない」、「命ほど大事なものはない」としてロシア侵攻の直後からウクライナに銃を置いて降伏せよと求める意見があった。しかし、ロシア軍が約1カ月占領したのちウクライナ軍が解放したブチャの町では、たくさんの民間人の遺体が路上に遺棄されているのが発見され、世界を震撼させた。つまり、ロシアの支配のもとに入ることは、命が助かるどころか、人権も命の保証さえなくなることが明白になったのだ。

 この戦争はロシアによる一方的なウクライナへの侵略である。停戦を要求する相手はロシアであって、ウクライナではないウクライナに停戦を迫ることは、(いやな例えだが)大男にレイプされそうになっている女性に抵抗をやめろというに等しい。

 約2割のウクライナの領土を諦めるとなれば、その占領地の住民の運命をロシアに委ねる、いわば見殺しにすることになる。その深刻な結果を受け入れて停戦を選ぶかどうかはウクライナしか決められない。東野氏が言うように、着地点を「外野から迫るのは無責任」なのである。

ウクライナ戦争:勝利と平和のあいだで2

 ウクライナではロシアの攻撃によって日々人命が失われ、国土が破壊されているが、戦争は科学研究へも甚大な影響を与えている。ITなどの分野で優秀な人材を輩出し続けてきたが、およそ8万人とされる研究者たちがいま窮地に立たされているという。

半導体物理学研究所では戦時下で予算が半額に減らされた。科学は急速に発展しているので、「わずか数か月の停滞でも危険だ」という。(NHK国際報道1月25日)

チョールノビリ(チェルノブイリ原発にある原子力発電所安全問題研究所は一時ロシア兵に占拠され、機材設備などがメチャメチャに破壊されたり無住まれたりした。いまだにごく一部しか修復できていない。

この研究所では、原発事故後の環境中の放射性物資地の影響や拡散状況の変化という重要な研究を行っていた。博士の研究テーマは放射能が微生物の進化に与える影響だという。(国際報道)

20年以上南部の歴史を研究してきた教授。ロシア軍の侵攻で住んでいた町は占領され、数千点の書籍・資料を放置したまま避難した。戦争が長引くほど女性は海外に出て、男性は徴兵される。教授は研究者が失われることを危惧する。

 研究施設などの破壊、資料の散逸さらには人材の流出など二重三重の危機が襲っているという。この分野で日本に何ができるのか、考えたい。
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 ウクライナの戦争を撮影した香港出身のクレ・カオルさんの写真展(2022年夏)を観に行ったときのこと。私は、重傷を負ってベッドに横たわる兵士にレンズを向けた一枚に引き付けられた。この写真のキャプションに《(2022年)5月上旬、ドニプロ。イジューム戦線で、タンク攻撃で負傷した兵士。「あなたにとって平和とは何か」を聞くと、負傷した腕をあげて、перемога!!(勝利!)と答えた》とある。

 これを観ていた私のすぐ横に、中学生と小学高学年と思しき子どもを連れたお母さんがいて、子どもにこう言った。

「日本が攻められたら、お前たちはすぐ逃げていいんだからね」と。

 写真に写る兵士の決然とした表情とお母さんの言葉とのギャップに戸惑ったあの瞬間が、今も鮮明に思い出される。

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 私もこの日本の空気の中で生きているので、そのお母さんの気持ちもわからないではない。しかし、侵略に対して無抵抗が当然と多くの人が考えれば、国の安全保障はそもそもなりたたなくなる。無抵抗と非暴力はまったく異なり、インドのガンディーを例に引くまでもなく、非暴力の激しい抵抗は歴史上にたくさんある

 また、無抵抗でいいというのは、一人の人間の生き方としてどうなのか。どんな理不尽にも声を上げず、奴隷のように屈して生きることでいいのか。
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 さて、ウクライナに即時停戦を要求することが侵略者のロシアを利すると前回書いた。ではパレスチナについてはどうか。これについては私は「即時停戦を」と何度も本ブログで書いている。

 この点について、藤原帰一千葉大学特任教授がウクライナパレスチナを挙げ、「暴力を終わらせるために何ができるだろうか」との問いに以下のように論じている。

《私はウクライナについては、ロシアとウクライナとの停戦ではなく、ウクライナへの軍事・経済支援を強化し、侵攻したロシアを排除することが必要であると考える。他方ガザについては、イスラエルのラファ攻撃だけでなく、ガザ攻撃のすべてとヨルダン川西岸への入植の即時停止が必要だと考える。

 一方では軍事支援、他方では即時停戦を求めるのだから矛盾しているように見える。だが、国家の防衛ではなく、民間人、一般市民の生命を防衛するという視点から見れば、この選択に矛盾はない。

 ロシアによるウクライナ侵攻は主権国家の領土に対する侵略であるとともに、軍人と文民を区別することなく、ロシア軍兵士の犠牲さえ顧慮せずに殺傷する、国際人道法に反する攻撃である。メリトポリでもアウジーイウカでも大量爆撃によって街が廃墟にされてしまった。

 現状では2022年の侵攻開始時よりもロシアの支配地域が拡大した。この状況で停戦を求めるなら、ロシアの勢力拡大ばかりか一般市民に対する攻撃と強圧的支配を容認することになる。ここで必要なのはロシア政府の暴力への反撃であり、侵略者を排除する国際的連帯である。ウクライナへの軍事支援は国家主権の擁護であるとともに、ウクライナに住む一般市民の生命を守る選択である。

 ではガザについてはどうか。イスラム組織ハマスイスラエル攻撃は一般市民への無差別攻撃であり、まさに排除されるべき暴力である。だが、ネタニヤフ政権によるガザ攻撃は、ハマスの攻撃をはるかに上回る規模における一般市民への殺傷だ。国家主体ではないハマスは国際人道法の適用外だとかガザ攻撃がジェノサイドに該当するかなどという議論は国際法上の概念の問題に過ぎない。イスラエルのガザ攻撃は、文字通り直ちに、停止しなければならない。》

《起こってしまった戦争の終結は難しい。これまでの戦争でもアフガニスタンイラク、そしてシリアで、民間人への無差別攻撃が放置された。だが、過去の誤りを繰り返してはならない。一般市民を犠牲とする戦争を一刻も早く変えなければならない。

 市民の命を守る選択をせよという訴えである。
 ウクライナには支援を!
 イスラエルには停戦を!

 

ウクライナ戦争:勝利と平和のあいだで

 はじめにお知らせです。

 終わりが見えない戦争をウクライナの人たちはどう受け止めているのか。現地とZOOMで結んで直接ウクライナ人の話を聞いてみませんか。

 2月27日(火)よる8時から、去年の取材で知り合ったウクライナの若者、マックスとのZOOM交流会を行います。

 ロシアの侵略時、マックスは19歳、ITを学ぶ大学生でした。衝撃を受け、自分は何をすべきか模索した結果、休学してロシアとの戦いを支援する活動に入りました。

 週2回は砲弾がいつ落ちるか分からない前線近くを回って、避難できずにいる高齢者の生活を支えます。何度も死にそうな目にあいながら、Tik Tokでカンパを訴え活動を続けています。

 なぜ強大なロシアへの抵抗をやめないのか? 死ぬのは怖くないのか? 人生の目的とは? 日本は何ができるのか?・・「何でも聞いて」とマックス。彼とは英語で会話して私が通訳します。希望者は私までご連絡くださればZOOM招待を送ります。なお、ZOOMでは必ず顔出しでご参加ください。 


 ロシアによるウクライナ侵略から2年がたつ。

ロシア軍による大虐殺のあったブチャの最近の映像。当時の地獄のような光景からようやく元に戻った通りを見てほっとさせられた。ただ、こうして再建された地域は街のごく一部で、ほとんどのところは復興に手が付けられていない。(NHKニュースより)

ロシアによる占領で破壊されつくしたブチャ(22年)

 前線に膨大な物量と兵員を投入するロシア軍に対して不利な状況に立たされているウクライナ軍。また、連日さらされる空襲の恐怖、増え続ける命の犠牲、失業や避難生活で進む貧困化で疲れ切った市民たち。この現実を前に「もういいかげんウクライナも矛を納めて停戦すればいいのに、占領された地域はロシアに譲って・・」と停戦を主張する声が高まっているようだ。

 このさい、ウクライナの戦いをどう受け止めればよいのか、原則的な立場を確認しておきたい。

 ロシアの侵略が始まって1カ月半たった一昨年4月10日、NHKがニュースで、日本在住のウクライナの子どもらが語学や文化を学ぶ東京都内の「日曜学校」に、ロシアの侵攻を受けてウクライナから避難してきた人が参加したことを紹介し。その中で、ザポリージャから日本に避難してきたという女性が登場した。彼女の音声つきの映像に「今は大変だけど 平和になるように祈っている」と日本語字幕が付いた

22年4月10日のNHKニュース

 その翻訳がおかしいとクレームが寄せられ、朝日新聞が確認したところ、音声ではロシア語とウクライナ語を交えて私たちが勝つと願っています。ウクライナに栄光あれ」と語っていたという。

 「勝利」を「平和」に変え、ウクライナに栄光あれ」というウクライナ人の愛国的な決まり言葉も削除し、まったく異なるニュアンスのコメントに改ざんしたのである。戦うことはいけないことだから、「平和」を願っていますという発言でないと困る、と番組担当者は思ったのだろう。

 指摘を受けてNHKは、見逃し配信サービスの「NHKプラス」で放送5日後から「翻訳をより的確な表現に改めました」と明記した上で「いまは大変ですが勝利を希望しています ウクライナに栄光を」との字幕に変えた。いかにも日本的な「事件」だった。

 「あらゆる戦争は悪」が絶対の正義と思う日本人は多い。とくにいわゆるリベラル派においては多数派だろう。

 ここに、それに反対するリベラル派を紹介しよう。
 まずは報道写真家の中村梧郎さん。代表作『母は枯葉剤を浴びた』で、ベトナム戦争で米軍が使用した枯葉剤の被害を告発した。九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人を務めているからバリバリの護憲派でもある。私は40年前からお付き合いさせていただいている。

 中村さんは最新刊『記者狙撃~ベトナム戦争ウクライナで、1979年に起きた中国のベトナム侵略の取材中に中国軍による狙撃で『赤旗』特派員・高野功氏が殺された事件を検証している。高野氏と一緒に現場にいた中村さんの筆致はリアルで引き込まれるが、この本ではウクライナ戦争に対する見方もかなりのページを使って論じられている。おそらく護憲派」の人たちの「正義の戦争はない」論にむけてこの部分を書いたと推測する。

 中村さんはベトナム戦争アメリカの侵略への抵抗戦争と見ており、その同じ構図がロシアの侵略に対するウクライナの戦いにあるとする侵略戦争と防衛戦争を同列に扱うなというのだ。以下、本書から抜粋。

《長期化するウクライナ侵攻について、「ゼレンスキーが武器を要求するから犠牲者が増えるのだ。ウクライナは戦争をやめるべき」と主張する見解も拡がった。それは、とりもなおさずロシアを擁護し、彼らの侵略を免罪する役割を果した。これは、侵略戦争とそれに対する抵抗戦争を同列に扱って「どちらにも反対」という考え方に立っている。だが、侵略を行う側は、自らの軍事的優位を背景に「俺の言うことを聞け」とばかりに軍隊を侵入させる。そして領土の割譲も迫る。防衛する側は必死の抵抗で国と国民を守るしかない。ここで糾弾されるべきは侵略戦争であり、それへの抵抗はあくまで正義の防衛戦争であるということだ。侵略とそれに対する抵抗を同列のものと見てはならない。対等な戦争ではないのだ。

 ウクライナ政府は、家族と国土を守り抜くための武器が欲しいのだ、と一貫して求めてきた。敵国を侵略して占領するための兵器はいらないとも言っている。防衛・抵抗戦争を続ける側のまともな要求である。》

「戦争反対」「平和を守れ」という善意のスローガンは、しばしば戦争をしているどちらも怪しからんという理解に陥りがちだ。だがこうしたケンカ両成敗論は、必死で抵抗戦争を続ける側にあきらめを強い、侵略した側が“やり得”となることにつながってしまうアメリカやNATOが背後でうごめいているにせよ、侵略戦争」には断固反対、「抵抗戦争」は断固支持、の原則に立ち帰って考えなければならないのではないか。攻撃され犠牲となり続けているウクライナの民衆がかわいそうだ、だからすぐに停戦せよ、という善意の運動も起きている。だが、同じ要求を掲げているのがロシアなのである。》

自衛隊統合幕僚学校でも教えている伊勢崎賢治・東京外大名誉教授は、長周新聞2022年12月30日号でこう述べている。

「・・・たった1m、2mの『勝った』『負けた』のために何万人も死ぬわけだ。停戦が一日でも早ければ何千人もの命が救える。こんなちっぽけな領土争いのために、なぜ一般市民が死ななければならないのか。日本の護憲派にこそ、そういう考えを持ってもらいたい」

 つまり、犠牲を減らすために早く停戦に応じよ、わずかな土地だ、占領された地域はそのまま認めればいいではないか、という見解である。

 これはロシアが掲げている要求そのものである。何千人もの一般市民の命が奪われるのはロシアのミサイル攻撃や砲撃によるものだ。それを免罪し、ウクライナ側が停戦に応じないから犠牲者が増える、悪いのはウクライナ側という理屈になっているではないか。日本の護憲派はこうした考えを持て、とも主張していう。》

《国土を奪われ、住民を見境なく殺され続けているウクライナにとって、抵抗戦争の終結は、ロシアが侵略以前の位置に戻ることによってしか実現しないはずである。

 5月半ば、東京新聞ウクライナでの停戦を呼びかける意見広告が出た。戦争そのものに反対し、平和こそ大事だと考える人々が名前を連ねた。善意の広告資金もカンパした。だがなぜか引っかかるのは、この広告の趣旨がロシアの言う代理戦争論に拠っている点である。

 「今やNATO諸国が供与した兵器が戦争の趨勢を左右するに至り、代理戦争の様相を呈している・・・」という説明である。やはり代理戦争論なのだ。東京新聞の「こちら特報部」(6月4日)ではインタビューに答えて「既に中国が停戦を提案している。これにインドはじめ中立の立場をとるグローバルサウスの国々も仲裁に加わることができないか」。「…欧米からのウクライナの兵器供給を停止、あるいは大幅に縮小するとか、大胆な譲歩のカードが必要です」と主張している。これは中国が出した提案と一致している。戦争犠牲者を減らすためにという建前を掲げつつ、ロシア軍の占領地からの撤退は一言も言わず、ウクライナに譲歩せよと求めているのである。この意見広告は、やはりロシアだけが喜ぶ提案となってしまっているのではあるまいか。》(以上P223~230から)

Ceasefire Nowの意見広告

 なお、この意見広告のクラウドファンディング呼びかけ人には、伊勢崎賢治上野千鶴子内田樹加藤登紀子金平茂紀姜尚中高村薫田中優子田原総一朗(ジャーナリスト)/暉峻淑子/西谷修/吉岡忍/和田春樹といった錚々たるリベラル派が並ぶ。酒井啓子氏、田中優子氏など尊敬する人もこれに加わっていたのはちょっとショックだった。大学時代からの友人の水島朝穂の名もあった。
 中村梧郎さんもこれにカンパしてしまったらしい。

 「こちら特報部」のインタビューに答えて上記のコメントをしているのは伊勢崎氏である。

 ベトナム人民の抵抗の実態を現地で取材した中村梧郎さんにとって、侵略者を追い返すことこそが平和を達成する道であることは自明の理なのである。だから、いますぐ停戦をという要求は侵略者側を利することを意味するのだ。

 では、パレスチナの事態はどうなのか。
 「今すぐ停戦を!」は間違っているのか?
 パレスチナウクライナとの違いは何か?

(つづく)