ウクライナではロシアの攻撃によって日々人命が失われ、国土が破壊されているが、戦争は科学研究へも甚大な影響を与えている。ITなどの分野で優秀な人材を輩出し続けてきたが、およそ8万人とされる研究者たちがいま窮地に立たされているという。
研究施設などの破壊、資料の散逸さらには人材の流出など二重三重の危機が襲っているという。この分野で日本に何ができるのか、考えたい。
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ウクライナの戦争を撮影した香港出身のクレ・カオルさんの写真展(2022年夏)を観に行ったときのこと。私は、重傷を負ってベッドに横たわる兵士にレンズを向けた一枚に引き付けられた。この写真のキャプションに《(2022年)5月上旬、ドニプロ。イジューム戦線で、タンク攻撃で負傷した兵士。「あなたにとって平和とは何か」を聞くと、負傷した腕をあげて、перемога!!(勝利!)と答えた》とある。
これを観ていた私のすぐ横に、中学生と小学高学年と思しき子どもを連れたお母さんがいて、子どもにこう言った。
「日本が攻められたら、お前たちはすぐ逃げていいんだからね」と。
写真に写る兵士の決然とした表情とお母さんの言葉とのギャップに戸惑ったあの瞬間が、今も鮮明に思い出される。
私もこの日本の空気の中で生きているので、そのお母さんの気持ちもわからないではない。しかし、侵略に対して無抵抗が当然と多くの人が考えれば、国の安全保障はそもそもなりたたなくなる。無抵抗と非暴力はまったく異なり、インドのガンディーを例に引くまでもなく、非暴力の激しい抵抗は歴史上にたくさんある。
また、無抵抗でいいというのは、一人の人間の生き方としてどうなのか。どんな理不尽にも声を上げず、奴隷のように屈して生きることでいいのか。
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さて、ウクライナに即時停戦を要求することが侵略者のロシアを利すると前回書いた。ではパレスチナについてはどうか。これについては私は「即時停戦を」と何度も本ブログで書いている。
この点について、藤原帰一・千葉大学特任教授がウクライナとパレスチナを挙げ、「暴力を終わらせるために何ができるだろうか」との問いに以下のように論じている。
《私はウクライナについては、ロシアとウクライナとの停戦ではなく、ウクライナへの軍事・経済支援を強化し、侵攻したロシアを排除することが必要であると考える。他方ガザについては、イスラエルのラファ攻撃だけでなく、ガザ攻撃のすべてとヨルダン川西岸への入植の即時停止が必要だと考える。
一方では軍事支援、他方では即時停戦を求めるのだから矛盾しているように見える。だが、国家の防衛ではなく、民間人、一般市民の生命を防衛するという視点から見れば、この選択に矛盾はない。
ロシアによるウクライナ侵攻は主権国家の領土に対する侵略であるとともに、軍人と文民を区別することなく、ロシア軍兵士の犠牲さえ顧慮せずに殺傷する、国際人道法に反する攻撃である。メリトポリでもアウジーイウカでも大量爆撃によって街が廃墟にされてしまった。
現状では2022年の侵攻開始時よりもロシアの支配地域が拡大した。この状況で停戦を求めるなら、ロシアの勢力拡大ばかりか一般市民に対する攻撃と強圧的支配を容認することになる。ここで必要なのはロシア政府の暴力への反撃であり、侵略者を排除する国際的連帯である。ウクライナへの軍事支援は国家主権の擁護であるとともに、ウクライナに住む一般市民の生命を守る選択である。
ではガザについてはどうか。イスラム組織ハマスのイスラエル攻撃は一般市民への無差別攻撃であり、まさに排除されるべき暴力である。だが、ネタニヤフ政権によるガザ攻撃は、ハマスの攻撃をはるかに上回る規模における一般市民への殺傷だ。国家主体ではないハマスは国際人道法の適用外だとかガザ攻撃がジェノサイドに該当するかなどという議論は国際法上の概念の問題に過ぎない。イスラエルのガザ攻撃は、文字通り直ちに、停止しなければならない。》
《起こってしまった戦争の終結は難しい。これまでの戦争でもアフガニスタン、イラク、そしてシリアで、民間人への無差別攻撃が放置された。だが、過去の誤りを繰り返してはならない。一般市民を犠牲とする戦争を一刻も早く変えなければならない。》
市民の命を守る選択をせよという訴えである。
ウクライナには支援を!
イスラエルには停戦を!