ウクライナ取材の現場から9

 「戦争は誰にとっても恐怖です。私にとっても」これに続けて、「恐怖を認めるには勇気がいります。私たちには勇気が必要です」とある。

町の道路沿いにこうした看板が立っている。戦意高揚のためと思われるが、命を捨てて、とか「欲しがりません、勝つまでは」的なイケイケのものは見られない。

 これは激しい戦闘が続く東部ドネツク州の道路そばの看板に大きく書かれた言葉だ。反戦団体なのかと思いきや、なんと国防省の広報掲示板だった。写真の男性の言葉のようだが、この文言は力が抜けている。

 ウクライナ取材報告。10月23日(月)。

 5泊したドネツククラマトルスクからドニプロ州の州都ドニプロ市へ。ウクライナで4番目に大きな町(キーウ、ハルキウ、オデーサに次ぐ)だ。

5泊したドネツク州のアパート。避難した人が多く、元の住民は1割ほどしか残っていないという。ここ数日で一気に木の葉が落ちた

 ドニプロで訪ねたのが、ボランティア、マックス君の事務所17日に取材した、前線に物資を届ける活動を一人で立ち上げた20歳の青年だ。住民だけでなく兵士にも日用品や衣服から薬品、止血帯まで武器以外のあらゆるものを配っている。

 実は私たちが取材した2日後、前線で配布活動中のマックスからわずか30mのところに迫撃砲弾が落ちて危うかったという。それでも全く動じることなく普通に仕事をしていた。

 きょうは兵士向けのスナックの詰め合わせ袋(ナッツ、ドライフルーツ、キャンディ)を作っていた。これをドローンで上空から最前線の塹壕に落とすという。

マックスの事務所で兵士用のスナック詰め合わせをつくる。マックス(左端)は大学を休学してこの活動を立ち上げた。tiktokで1万2千人のフォロアーから寄付を募っている。

ナッツ、ドライフルーツ、キャンディなどカロリーの高いスナック詰め合わせ。最前線の塹壕で戦う兵士に送る。

マックスと同居する母親。母親としては心配でたまらないが、息子のやっていることを誇りに思うと語る。

事務所近くのカフェで幼馴染とばったり。中央の女性は学校で2年下の後輩だった。マックスを尊敬し、活動を応援しているという。

 しかし、なぜ市民ボランティアが前線の兵士に物資を届けるという危険なことまでしなければならないのか。

Qなぜ兵士にまで届ける必要があるのか?
「食糧や装備など、みな不足しているから」

Q支給されていないのか?
汚職だよ!」言葉を吐き出すようにマックスが言う。「途中で消えてしまって兵士に届いていないんだ」

 マックスが先日訪ねた部隊で使っていた8000ドルする偵察ドローンはボランティア団体からの寄付だったという。

 実は私たちが昨日取材したドローン部隊の自動車もポランティアからの寄贈だと兵士が明かしてくれた。「軍服は自前だけどね」とも。支給品は質が悪いので自分で軍服を調達しているのだと言う。

 にわかには信じがたいが、当事者たちが証言しているのだから現実なのだろう。そういえば、20日に取材した「炊き出し隊」も毛布や寝袋まで兵士に配っていた。

 政府や軍が当てにならないので、ボランティアたちが兵士の必要品を直接届けているのだ。戦争というと、日本人は政府に「やらされる」ものと思うだろうが、ウクライナの兵士たちは、ボランティアの支援のもと、政府に悪態をつきながら果敢に戦っている。

 1週間ぶりに南部ザポリージャに戻り、この間泊ったホテルに着くと、入り口のドアや部屋の窓がベニヤ板になっている。私たちが東部に行っている間にこの町に6発のミサイル攻撃があり、うち1発がホテル近くに落ちて通りに面したガラスが割れてしまったという。マジっすか!

ドニプロの夕景をドライブ。道路に照明がないので真っ暗だ。

ザポリージャのホテルの窓が割れてベニヤ板で応急処置していた。やられた夜は客は怖くて寒くて寝られなかったろう。今回は被害を受けた宿にご縁がある。

5泊したドネツク州は戦時禁酒令が出ていてお酒は全くなかったのが、ドニプロ州に入ったらガソリンスタンドの売店に大量の酒類がならんでいた。州によって外出禁止令の時間も異なる。

 最後まで気が抜けないな。

つづく