鬼海弘雄さんを偲んで2

 多摩川の土手にあるサイクリングロード。

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きょう鬼海さんを偲んで自転車で行ってきた

 セイタカアワダチソウの群生が夕陽に金色に染まっていた。
 鬼海弘雄さんは、体調を崩す前、ここでよく自転車をこいでいた。

 鬼海さんは」数年前、お知り合いから自転車、それも本格的なスポーツサイクルを「私はもう乗らないから」とタダで譲られ、じゃあ乗ってみるかと始めたと聞く。

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後述の遠山健さんのブログより


 それを知ったのは、2017年9月の「森本喜久男を称える会」でのことだった。
 私はその会で森本さんの思い出話をすることになっていて、鬼海さんをお誘いした。鬼海さんが森本さんを「すごい人だね」と評していたからだ。

 鬼海さんが会場に着くと、友人の原直史さんが自転車でやってきた。小原さんはブルベという自転車の長距離競技の常連で、都内のイベントなら自転車でかけつける。写真にも詳しく、もちろん鬼海さんを知っていた。
 鬼海さんが小原さんの自転車を見て「いい自転車だね」とまたがり、会場前の道路をさっそうと乗り回した。
 鬼海さんが自転車はおもしろいよ、と楽しげに語るのを聞き、感化された私は自転車(安いクロスバイク)とヘルメットを衝動買いしたのだった。

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 鬼海さんと小原さんの出会いから、また新たなご縁につながる。
 小原さんが行きつけの自転車専門店「狸サイクル」を鬼海さんに紹介。その店主、遠山健さんがまたタダモノではなく、鬼海さんと意気投合。
 遠山さんは鬼海さんを「師」と呼び、鬼海さんは遠山さんに「あんたの目を信用しているんで、次出す写真集の表紙に何がいいか、選んでくれないか」と言うまでの間柄になる。

tanukicycle.blog75.fc2.com

 

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鬼海さんは自転車乗りのスタイルもカッコよく決めていた。狸サイクルの遠山さんと(小原さん撮影)

 狸サイクルの2階はライブもできる広いスぺ―スになっていて、小原さんが西表島から取り寄せた琉球イノシシの肉で宴会を開き、鬼海さんと一晩ともに楽しんだ。忘れられない思い出である。

 鬼海さんが遠山さんと波長が合ったのは、ともに哲学の徒だったこともあるだろう。遠山さんは上のブログに書いているように、フォイエルバッハや梅本克己を極めようとしていたし、鬼海さんは人生の師が哲学者の福田定良先生で、大学を卒業してからも個人授業でヘーゲル『小論理学』を学んでいたという。
 鬼海さんの「具体的なものが普遍的なものになる」という普遍への強い志向性は、いかにもヘーゲルという感じだ。

 浅草の人間、インドの人間を撮るのではなく、「人間の普遍を撮る」という鬼海さんがもっとも喜んだのは、浅草のポートレイトを観たポーランドアンジェイ・ワイダ監督の「日本人はポーランド人と同じだね」ということばだったそうだ。

 《何十年も同じことを続けているのに一向に飽きないのは、人間の森の深さが持つおかしさと不思議さなのだろう。
 長い間続けているのに、人物を選ぶ基準はいまでも自分でよく分からない。あえて言葉にすれば、ポートレートを観る人たちが、普段持っている人間に対しての堅くなりがちな情とイメージを揉み解し、豊かなひろがりをもたらしてくれる人物と思っている。こだまのような波動が、生きることを少しだけ楽しくしてくれるからだ。
 ますます功利に傾斜しがちな現代社会では、他人(ひと)に思いを馳せることが、生きることを確かめ人生を楽しむコツだと思っている。そのことによって、誰もが、他人にも自分にさえもやさしくなることができるかもしれないという妄想を持っている。》(『PERSONA最終章』より)

 「ますます功利に傾斜しがちな現代社会」への拒否感は、石牟礼道子氏の近代文明批判に通じるものがある。それが鬼海さんの言う「懐かしい未来」へとつながっていく。

 「懐かしい未来」は鬼海さんの好きなキャッチフレーズだ。

 写真集『India 1979-2016』の前書き、後半のさわりにはこうある。
 
 今や人間はあまりにも急激な文明の進歩に、豊かさや利便さの恩恵を享受しながらも、誰もが舵の壊れた船に乗っている気分におちいっている。近未来にさえ、不安に怯え、速く浅い呼吸をしているかのようにみえる。
 三十八年間のまだらな旅は、いつも無聊を抱えての平熱のさすらいだったせいで、ある時から、懐かしさという感覚は単に一方的な懐古だけでなく、自然や身体性の記憶に裏打ちされた程のよい「未来への夢」を育む苗床かもしれないという妄想がうまれた。そうだ。懐かしい未来へ。

 もしかしたら、私の世代のような質素な暮らしを直接経験したことのない若い人たちにも、この写真集のなかの異郷の光景に、草木や黒褐色の土に感じるような懐かしさを見いだし、共振してもらえるかもしれないと願っている。
 人間は私たちが思っているよりも「意味ある存在」かもしれないというのぞみが、現在に縛り付けられて身じろぎのできない価値観を解きほぐし、過去や未来への波動を揺らすかもしれない。ゆったりとした関係性の繋がりなしでは懐かしさが生まれるはずがなく、他人(ひと)をいとおしいと思う重力の物語がはじまらないからだ。

 「哲学する写真家」といわれるだけあって、鬼海さんの話はときどき理解が追い付かないことがあるが、鬼海さんのエッセイはわかりやすい。

 『誰をも少し好きになる日』(文藝春秋、2015年)という鬼海さんのエッセイ集がある。
 故郷の醍醐村や浅草からインドへ、現在から子どもの頃の思い出へと、空間も時間も縦横にたゆたっていく気持ちのいい文章が満載の本だ。

 そのなかに、台湾のある終着駅で夕食をとりに街に出る話がある。そこに「懐かしい未来」が登場する。

・・・

 食べ物屋が並ぶ界隈を何度も往復した。昔ながらの気さくな食い物箭が並ぶ通りにも、今風の洒落たガラス張りのスパゲティー屋やステーキ屋などがちらほら出来始めている。洒落た店に二の足を踏んでしまうのは旅先でも同じだ。結局、路地外れの舗道と店の仕切りのないありふれた飯屋に入った。舗道に出されたテーブルでは、サンダル履きの近所の歳の離れた男たちが鍋をつつき、紹興酒を呑みながら大声で談笑していた。

 白いタイルが壁に張られた店内には丸いテーブルが三脚置かれていて、その真ん中の席に座り、豚の耳、空心菜炒め、煮卵とビールを頼んだ。

 赤い文字で格言が書かれた大きな日めくり暦が掛かる奥の席には日用品が並んでいて、そこが飯屋家族のテーブルだとすぐに分かった。パジャマを着て髪にカチューシャをした十歳ほどの女の子が教科書で勉強をしている。換気扇がヘリコプターのような音を立てる厨房では、黄色いTシャツを汗で濡らした父親が中華鍋をリズミカルに煽(あお)っていて、太った猪首(いくび)に金のネックレスが埋まっていた。入り口の席では若夫婦の客がビールを飲んでいる。金色の前髪をカールしている母親は、乳母車に乗せた男の子の頬に屈んではキスを繰り返し、金のブレスレットをした茶髪の夫はスマートフォンのゲームに熱中している。いつの間にか、男の数が増えた路上のテーブルからは、笑い声とパイプ椅子が舗石で軋む音が届いてくる。

 店内の客の数にしては厨房が忙しいのは、通りがかりの人が料理を頼み、紙の箱に入れて持ち帰りをしているせいだ。しばらくすると、二階の住まいから婆さんと嫁さんが降りてきた。爺さんが息子に代わって厨房に立つと、婆さんへの特別料理を作り、それを食べ終えた婆さんが今度は、爺さんと息子夫婦の分を作り始めた。婆さんの両膝には頑丈にサポーターが捲かれていて、ゆっくりと体重移動をしながら中華鍋を扱う。その動きから察するに、長年膝を患っているのだろう。

 髪を七三に分けた爺さんは猫舌なのか野菜スープをふ~ふ~と息を吹きかけてゆっくりと啜(すす)る。食事中に孫娘に勉強のことを訊かれると、冷蔵庫の上から分厚い百科事典を取り出してきて、婆さんと額を寄せあって調べ始めた。

 若夫婦が勘定を払うと、爺さんは受け取った札を輪ゴムで括ってあった札束に加えて、ファスナーつきの尻のポケットにしまった。酒の酔いもあって、懐かしい昭和の時代に戻ったような気がした。歳のせいだろうか、その懐かしさは単なるノスタルジーだけでなく、未来に繋がってくれればとの願いも生まれてきて、その夜は、いつもより少しだけ人を好きになれるようないい気分になって店を出た。どこからか歌詞の無い「南国土佐を後にして」の曲が流れていた。(P116~118)

・・・・

 ああ、こういうのっていいなと私も思う。

 鬼海さんの観察眼の確かさ、すべてを受け入れるやさしさも感じさせる文章だ。
(つづく)

鬼海弘雄さんを偲んで

 尊敬する写真家、鬼海弘雄(きかいひろお)さんが亡くなった。

 先月26日に、入院中の鬼海さんと電話でお話したばかりだったので、まさか、と信じられなかった。
 そのときも、「良くなったら、もう一度、東京の町の風景を撮ろうと思っています」とおっしゃっていた。

 これまでは抗がん剤治療で2週間ほどの入院を繰り返しておられたので、「こんどはいつ退院ですか」と尋ねると、「もうしばらく病院にいることになります」との答えだった。あれ、どこか具合の悪いところがあるのかなとは思ったものの、またお会いできることは疑っていなかったので、死去の報にはショックを受けている。
 
 写真集「PERSONA」などで知られる写真家の鬼海弘雄(きかい・ひろお)さんが19日午前3時33分、東京都渋谷区の病院で死去した。75歳。山形県出身。家族葬を行う。喪主は妻典子(のりこ)さん。
 法政大を卒業後、仕事を転々としながら写真を撮り始めた。東京・浅草の浅草寺境内で、無地の壁を背景に撮影した肖像写真を収めた「王たちの肖像」が日本写真協会賞新人賞と伊奈信男賞を受賞。市井の人々の内面を捉えた「PERSONA」では土門拳賞と日本写真協会賞年度賞を受けた。
 インドやトルコにたびたび出向き、写真集「INDIA」で「写真の会」賞。海外でも高く評価された。(共同)

 

 最後にお会いしたのは、今年1月の写真展「や・ちまた」のオープニングだった。

 

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ファン一人ひとりと親しく話す鬼海さん。おどけて帽子をとって、抗がん剤で毛がなくなった頭を披露したりしていた

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奥様はじめご家族もいらしてなごやかな会だった

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最後となった2ショット

 私は一ファンとして写真展で鬼海さんに知り合い、同郷(山形出身)というご縁もあって、親しくしていただいた。いろんな思い出がある。

 鬼海さんが応援する「水族館劇場」にはよくご一緒し、その帰りには鬼海さん行きつけの安い飲み屋でおもしろいお話をうかがった。一昨年の春は、高尾まで遠出してお花見も楽しんだ。

 私は人を尊敬すると、その人を立ち居振る舞いまで真似るという子どもじみた性癖がある。鬼海さんが自転車をかなり本格的に始めたと知って、すぐ自転車を買いに行った。
 私の場合は、ママチャリに毛のはえたような安い自転車だが、今では街歩きサイクリングにはまっている。これも鬼海さんのおかげといえる。

 あるとき、出張していたか仕事上のトラブルがあったかでブログを何日かサボっていたら、鬼海さんから電話があり、「このごろブログが更新されていないけど、何かあったの」と尋ねられた。このブログを毎朝チェックしていることをそのとき知って恐縮した。

 鬼海さんにもうお会いできないと思うと、ほんとうにつらく寂しい。

 このブログでは20回以上、鬼海さんについて書いているが、ここに追悼の意を込めて、あらためて鬼海さんを偲びたい。

 鬼海さんをすごいなと思ったのは、まず写真に対する求道者のような真摯な向き合い方だった。
 去年出版された『ことばを写す 鬼海弘雄対話集』(山岡淳一郎編、平凡社)は第一線で活躍する創作者、表現者たちと語り合ったもので、鬼海さんのさまざまな思考、表情が引き出されている。

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 まずは作家の池澤夏樹氏との対話から。

池澤 一人で働くのはお好きですか。一人で動くのは?

鬼海 一人、大好き。いや、旅のぜいたくは、一人で寂しく時を過ごすことでしょう。でないと、何も考えないしね。インドの撮影からずっと一人旅だった。浅草もそうですよ。一人で行って、何でこんなところに来たんだろうと思って見ると、おもしろいんですよ。人間はぼーっと退屈したとき、いろんなものがポコッ、ポコッと体の周りに浮いてくる。

池澤 あれは、浅草にいらして、ぼーっとして、おもしろそうなものが来たら釣り上げるんですか。

鬼海 そうです。だから、全然確率はよくない。写真はめったに写らない、と思ったときから徐々に写真家になっていった気がします。

池澤 でも、写真はシャッターを切れば写るでしょう?

鬼海 ええ、写りはしますが、こっちは世界のヘソをつかむような形で写したいわけだから、なかなかそうはならない。写らない。写真のよさは「説得」ではないんです。それを見てくれた人のなかに他人との関係がスーッと浸透していくことなんですね。いい写真は、1回、2回・・・と、見てもらえる。写真家は写真のなかにたくさんの糸を隠して張ってあるから、見てもらうたびにそれに触れて、ふわっと伝わる。そして、徐々に見ている人の体験のなかに値を下ろしていくんですよ。

池澤 なるほど。

鬼海 写真家がいちばん信頼しているのは見てくれる人なんですよね。私の場合は、写真集の読者や写真展に来てくれる人だけでなく、他人もそこに入る。他人とちょっとだけしあわせな関係をつくりたい。写真は誰でも撮れると思います。シャッターを切れば写るというのではなく、誰もが自分の体験をふり返って、もう1回、人について考えたり、感じたりすることができるという意味で誰にでも撮れます。しかし欲深く、表現として練り上げようとすると、簡単には写らない。

池澤 うん、うん。

鬼海 ただ、私は生まれた醍醐村の子ども時代の生活の記憶がべったりあるから、抽象的にはいかないんです。相変わらず村を引きずって、インドでもアナトリアでも、村の見知った世界につながっている。

池澤 村の暮らしね。基本はお互い知っている人たちでしょう。

鬼海 ええ、そう。写真で食えなくていろんな肉体労働をしました。撮るための手段として労働してたと思っていたけど、とんでもない。あれは私にとって、いいレッスンでした。浅草に行っても、肉体労働をしている人はぷんぷんにおう。それで他人事ではないところから始まるから、ああいう人たちに心ひかれて撮れる。

池澤 それはもう、村で長く知っている人と同じような関係にスッとなっているんじゃないですか。

鬼海 でないと撮れません。単に変わった人には全然興味がなくて、この人を見れば人間を考えられる、感じられるな、という人を撮ります。苦労してんね、もうちょっとしあわせになれないかな、という感じかな。常に具体的で、かつ普遍的なものを探しています。いつも地べたを這ってなくちゃならないから、困ったもんですねどね。

・・・・・・・・
 「具体的で普遍的なもの」を写す鬼海さんの写真は、時間を超えていく。

 作家の田口ランディ氏との対話では―

 

鬼海 労働といえば、工事現場で交通整理をしている人って、いい顔をしてるんだよね。何してきたの?って聞きたくなる。水が流れやすいように生きてきたんだろうな。いい顔しています。木の枝のように曲がっていようが、なんだろうが、いいんです。

田口 単純労働をくり返している人って、なぜかカッコいいんですよ。

鬼海 それは、たぶん自分は特別な人間じゃないって思っているからだよね。

田口 こないだ札幌駅前の大通りで、オオーッという人に会いました。靴磨きのおばあちゃん。高層ビルの前で観光客やサラリーマンが通行しているんだけど、その人の周りは違う空間でした。動きに無駄がなくて、テキパキしている。全身全霊で自分を表現しながら働いている人って元気をくれる。ふなっしーもそう(笑)。生きていることがアートです。

鬼海 他人に対してコミュニケーションがうまい。楽しさが伝わってくる。

田口 基本的に自分が好きなんだろうな。

鬼海 自分を好きになれたら他人(ひと)も少し好きになれるからね。

田口 浅草の肖像写真を見ていると、一人ひとりの短編小説が書けそう。プロフィルとか勝手に浮かんじゃう。その人がどんな家に住んで、どんな家族構成で、いかに人生を過ごしてきたかが浮かんでくる。その人のコンプレックスなんかも手触りとしてわかる。圧巻ですね。その人物の背後が写っているからでしょうね。

鬼海 私の写真はその人のコピーじゃなくて、現実なんか関係ないわけです。その人をめくると、100年先でも200年前でも人類はおもしろいだろう、と提示できるような形で撮りたい。めくられる人は自身の自由を持っていて大衆のためになんて全然思ってない。そこも大事です。実際には「いま」を撮るんだけど、「いま」を超えたい。レンズは愚直だから、それができそうな気がします。

田口 レンズが愚直?

鬼海 そのまま写るでしょ。シャツの汚れとか、首から肩の微妙なラインとか、そういったものが、すごく饒舌に語ります。文章とは違うレンズとフィルムの関係が語るんです。それが魅力なんだよね。人が大脳皮質で考えたものを超えられる何かがある。

・・・・・

 鬼海さんの写真は100年先の人類にも「おもしろい」と思ってもらえるはずだ。

 ご冥福を心よりお祈りします。
(つづく) 

 なお、鬼海さんの作品の一部は、オフィシャルサイトのギャラリーでご覧になれます。

hiroh-kikai.jimdofree.com

脅かされる香港の教育の自由

 香港の変化は予想よりもはるかに急速に進行している

 きょう夜9時からNスペで『香港 激動の記録~市民と“自由”の行方』が放送されたが、英国に逃れた活動家と今も取材にあたる学生ジャーナリストがともに、「香港がこんなに速く変わってしまうとは思っていなかった」と同じ感想を吐露していたのが印象的だった。
 香港はもう「香港特別行政区」ではなく、たんなる中国の「香港市」といってもいい段階に来ている

 香港では教師が解雇され、教科書が改変されるなど教育への中国共産党の攻撃が激しい
 去年からのデモで、のべ1万人を越える参加者が逮捕されたが、その半数以上が30歳以下の若者(なかには13歳も)だったので、中国当局は教育で青少年を「鍛え直そう」というわけだ。

 攻撃の矢はまず教師に向けられた。
 去年、抗議活動の中から生まれた歌「香港を永遠なれ」を歌ったのを制止しなかったとして中学の音楽教師が解雇され、また小学校の教師が、政治的な教材(香港独立を主張する団体についてのテレビ番組)を授業で取り上げたとして、教師免許を取り消された

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教育現場への攻撃に抗議する生徒たち

 学校では生徒たちも反対の意思表示をしたが、押し切られた。
 今後は、香港の教員を中国本土で研修させる予定だという。教育現場を完全にコントロールする気だ。
 一国二制度など完全に無視している。

 この小学校教師の授業は、国安法(国家安全維持法)の施行前だったため、教師免許取り消しで済んだが、今後は「刑事罰の対象にもなり得る」と教育局長は脅しをかけている

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 政府の意向に従わないとクビになるばかりか刑事罰まで科せられることが分かり、教師たちは大きなショックをうけ萎縮する雰囲気が蔓延し、自由な教育が脅かされているという。

 とくに標的になっているのが社会問題などを扱う「通識」(リベラルスタディーズ)という科目。教科書も大幅改定された。
 例えば、三権分立について、旧版の教科書には三権分立は三権がそれぞれ互いにけん制し合い、一方の権力が増大することを防ぐ」「三権分立は政府の独裁を防ぐ役目がある」と書かれてあったが、改訂版ではいずれも削除。天安門事件に関する部分も消えている。

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天安門事件に関する部分は削除された

 中国の新華社は、「香港の教区を正常に戻すための重要な第一歩」、「通識教育の消毒だ」と自賛している。
 教員労組によると、「政府から非常に強い、または強い圧力を感じる」と回答した教員が92.4%!にのぼるという。教育現場での圧力の強さを想像させる。

 教員労組の副委員長は、「我々の時代は、社会に無関心で『通識』の授業が出来たのに、今度は社会に関心を持つと非難される、なんとも皮肉だ」と語っている。

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NHK「国際報道」より)

 これはどういう意味なのか。

 周庭さんのように十代半ばにして抗議活動に立ち上がったり、デモに多くの中高生が制服で参加しているその背景には、教育改革とこの「通識」という科目があったのである。

 香港は熾烈な学歴社会で、受験戦争は日本の比ではないといわれる。2019年版「アジア大学ランキング」(Times Higher education)では、トップ10に香港の3大学(3位に香港科技大学、4位に香港大学、7位に香港中文大学)がランクインしている。日本からは東京大学が8位に入っているだけ。香港の人口がわずか750万人であることを考えれば、いかに教育の水準が高いかがわかるだろう。

 受験戦争を勝ち抜くために、日本などと同様、ながく詰込み、暗記型の勉強を強いられたというが、海外留学が盛んな香港では、海外で教育を受けてきた学生と比べて、批判的思考力、創造力など様々な点で「劣る」と問題視されるようになった。経済界とくに金融業界などから教育を改革するよう強い要望があったという。香港は資源がないため、人材こそが宝だと、高度な人材を養成するため、1997年の返還前後に教育改革が行われた。

 そこでは、「探求型学習」(Inquiry-Based Learning)という、アメリカで行われている教育システムが参考にされた。それまでの詰め込み型、暗記型の学習とは対極の、問題に対して主体的に取り組んで、自分から学び、自分で施行する力を育成するものだという。(日本でも「ゆとり教育」のなかで「自ら学び自ら考える力の育成」(臨教審以降の教育改革の主な施策の概要)が提唱されているが・・・)

 2009年から必修科目になった「通識」は、現在進行形の時事問題、社会のしくみなどを扱う。新聞記事なども使いながら、答えがない社会問題を生徒自らが考え、活発に討論しあう。先生も個人としての立場で意見を述べ、時には論争相手になるという。
 
 一昨年、香港地下鉄で行われた不可解な受注と手抜き工事が発覚して大きく報じられたことがあった。ある現役の高校の理科教師によれば―
 「このときも授業のテーマとして多くの学校が取り上げました。その結果、学生たちから独立調査委員会が必要だ、というような意見も出てきたんです。そして、林鄭月娥行政長官も第三者委員会による調査を命じました」。
 「そうした学生とのやりとりは、他の授業でもあります。私は、生物学を教えるときに、遺伝子操作などの生命倫理について生徒とディスカッションをやったことがあります。また、同じく担当する宗教学では、それぞれ自分の信仰する宗教に基づく意見も出てきて、活発に議論します」。(以上、香港の教育システムについては小川善照『香港デモ戦記』集英社P128~133から引用)

 これが香港の中高生に、社会の一員としての自覚と、権力にもの申す気概を持たせた。あの香港の抗議活動の高揚を引っ張ってきたのはそうした青少年だちだったのだ。

 怒涛のような「中国化」を受けて香港の教育現場がどうなっていくのか、注視していきたい。政治家は、香港の教育の自由を守るため、日本を含む国際社会から中国に圧力をかけるよう動いてほしい。

国の文明度は弱者に対する態度で測られる(方方)

 近くの古墳シリーズ。

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土がこんもりと盛り上がっている

 国立市役所近くの南武線踏切の南にある石塚古墳
 よくまあ、こんな住宅地の一角に・・・。

 ネット情報では、1993年に国立市が実施した地下レーダー調査により、片袖型横穴式石室と周溝の存在が確認されているが、発掘調査は行われていないので、詳細はわからない。円墳だという。

 江戸時代から古墳の存在は知られていたようだ。
 『新編武蔵風土記稿』には「仮屋坂 村内安楽寺の西をいふ、其所に小坂あり、坂上に三間四方許の塚あり、石塚といふ、来由を伝へず、武具永銭など掘出せし事ありと伝…」とあるそうだ。また、千頭の牛を殺してその骨を埋めた跡との伝説から「石塚」でなく「牛塚」だとの説もあるという。

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てっぺんにはセメントの階段と祠が

 鳥居があり、塚のてっぺんには祠がある。やはり特別な土地とされているのだろう。このあたりの古墳は、神社が建っていることが多い。

    見ていたら、私より10歳くらい上といった感じの老夫婦が通りかかり、鳥居に書かれた奉納者の名前をみて、奥さんの方が「あら、○○さんが建てたのね」という。聞くと、昔からこの土地に住む有力者だという。

 なんで鳥居があるんだろう?と不思議そうに見ているので、私が、これは古墳だそうですよ、とこのあたりが古墳の密集地であることを説明すると驚いていた。

 近所の人が集まって、古墳祭りでもやったらおもしろいだろうに。
・・・・・・・・・・・・
 これまで2ヵ月間、国内でコロナ感染者を出していなかった中国だが、青島で集団感染が判明した。

 《中国山東省青島市で新型コロナウイルスの集団感染とみられるケースが確認され、市は約940万人の全市民対象のPCR検査に乗り出した。中国では8日まで国慶節の大型連休で延べ6億3千万人が国内旅行をし、青島市にも約450万人が訪れていた。人の移動が激しい連休直後の感染確認だけに、当局は警戒を強めている。
 青島市によると、13日までに新たに発症者6人、無症状の感染者6人を確認した。いずれも青島市胸科病院の入院患者や家族らで、集団感染が疑われている。
 青島市は16日までに全市民の検査を終えるとしている。》(朝日新聞10月13日)

 中国は感染が分かると一気に集中的に抑え込む。
 5日以内に940万人!をPCR検査するという。1日当たり平均でおよそ200万人! 青島市だけでこの人数を検査するのだ。日本のPCR検査は、いま全国で1日あたり平均2万人くらい。中国の真似はとてもできないな。

 12人の感染判明でこれだけの態勢をとる中国は、コロナ抑え込みにもっとも成功した国であることは明らかだ。
 今日段階で、中国の感染者数は91,359人。日本はすでに感染者が9万2千人を越え、中国を上回り、毎日コンスタントに新たな感染者を出し続けている。

 一方、欧州は感染爆発で大変な事態になっている。
 複数の国で、1日あたりの感染者数が過去最高になったのだ。

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NHKより

 《フランス保健当局は15日、同国での1日の新型コロナウイルス新規感染者数が初めて3万人を超えたことを明らかにした。欧州では感染拡大を受けて規制を強化する国が相次いでおり、世界保健機関(WHO)は「大きな懸念」を表明した》(時事)
 ドイツも15日朝までの24時間の感染者数は7173人と過去最多。
 《イタリアチェコも新たな感染者数が過去最多となり、欧州は拡大抑制の措置を強化している。フランスはパリなど大都市で夜間の外出を禁止し、英国はロンドンで行動制限を強化しようとしている。》(Bloomberg

 国慶節の大型連休で「延べ6億3千万人が国内旅行」をし、工場、学校などを含む社会活動が通常に戻っている中国の「一人勝ち」がますますはっきりしてきた。
 GDP成長率がプラスになっているのは中国だけ。欧州はじめ世界中で通常の経済活動ができないでいるのを横目に、中国は生産活動も国内消費も順調だ。

 その中国のコロナとの闘いのもう一つの顔を描くのが、方方(ファンファン)氏の『武漢日記』河出書房新社)だ。

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 世界で最初にコロナ感染が爆発した武漢。1100万都市の封鎖のなか、体制側メディアが伝えない悲惨な状況、食料品やマスクの不足、医療現場の困難、庶民の日常生活を微信ウィーチャット=あのトランプが禁止しようとしている中国版LINE)で発信しつづけた。中国におけるネットの影響力は日本をはるかにしのぐ。この日記は、圧倒的な支持を集め、深夜12時の更新を「億単位」の人々が待ち望んでいたという。

 彼女は武漢封鎖の二日後、1月25日から60日間、3月24日まで投稿を続けた。3月24日は、武漢の封鎖が4月8日に解除されるという決定が出た日だった。

 2月24日にはこんなことを書いている。

 《私は言っておきたい。ある国の文明度を測る基準は、どれほど高いビルがあるか、それほど速い車があるかではない。どれほど強力な武器があるか、どれほど勇ましい軍隊があるかでもない。どれほど科学技術が発達しているか、どれほど芸術が素晴らしいあでもない。ましてや、どれほど豪華な会議を開き、どれほど絢爛たる花火を上げるかでもなければ、どれほど多くの人が世界各地を豪遊して爆買いするかでもない。ある国の文明度を測る唯一の基準は、弱者に対して国がどういう態度を取るかだ》

 なるほど、いいですね。

 ところが、日記の地方政府や病院上層部への批判はけしからんと、体制派からの攻撃が激しくなり、とくに外国語版が刊行されることが報じられると、一般人からも「売国奴」との非難が沸き起こった。方方氏は一歩も引かずに反論し、インタビューなどにも応じているという。
 (以下の『東京新聞』記事を参照されたい)

www.tokyo-np.co.jp

 中国で方方氏を攻撃する体制のイヌたちは、日本の「ネトウヨ」と同様、お上にたてつく者を権力の大樹の陰から撃つのだが、中国の場合、単なる言葉での非難にとどまらず、身柄拘束や拷問につながる可能性がある。

 私は以前、方方氏をブログで応援したが、彼女の経歴を知るとなおのこと関心をもった。彼女、テレビ番組の制作をしていたことがあったという。

 1955年南京生まれ。父はエンジニアで2歳のとき両親と武漢に移る。74年高校卒業。当時はまだ文革が終わっておらず、「下放」は免れた(兄二人が下放、前年に父を亡くしていたなどの事情で)ものの、4年間、運搬工として肉体労働に従事する。
 78年、前年から復活した大学入試(文革で中断していた)を受験し、武漢大学の中国文学科に入学。卒業後は湖北テレビ局に就職。番組制作のかたわら詩や小説を書き、1989年、専業作家となる。
 4年間の肉体労働の経験や、日本軍に殺された祖父、反右派闘争で自己批判を迫られた父といった家族史も彼女のジャンルの一つだという。
 2007年には湖北省作家協会の主席に選出され、翌年には中国作家代表団の一員として来日、ペンクラブ主催のシンポにも参加している。作家として実力を認められ、中国を代表する作家の一人として、権威ある位置にいたのである。

 「日記」の内容についてはおいおい紹介するとして、中国にあって彼女のように権力の理不尽に屈せずに闘う人に心から敬意をはらいたい。

 先日、「冒険論」に触れたが、方方氏の闘いは場合によっては命にもかかわる、まさに冒険といっていいだろう。

ブラックホールの研究って何の役に立つの?

 気になったニュースいくつか。

 きょうの『朝日新聞』朝刊が一面トップで、新疆ウイグル自治区での宗教弾圧を報じた。

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 記事によると、「オーストラリアの研究機関は、衛星写真などで調べたモスクの60以上%が破壊されたりダメージを受けたりしたと指摘」している。

 モスクが次々と閉鎖され、なかにはカフェや土産物屋に改装されて漢族の商売に使われているところも。「近くの住民は、モスクが飲食店や休憩所として使われている様子を『見たくない』と言って顔を背け、『外で礼拝するのは怖いので、家族みんな自宅で拝んでいる』と話した」。

 このひどい宗教・文化弾圧がなかなか大きな問題にならない一つの理由は、現地取材が難しいという事情もあるのだが、朝日は「奥寺淳」と記者名まで出している。「当局者とみられる複数の男性の尾行を受けることもあった」とのこと。大丈夫か? 

 ウイグル問題は、日本の新聞では『朝日新聞』、テレビではNHK-BS『国際報道』がよく取材して報道している。他のマスコミもつづいてほしい。

 英国の大学などの研究機関では、香港や中国に関する論文は匿名でもOKにするという。6月末施行の「国家安全維持法」から学生を守るためだ。

news.yahoo.co.jp

 「オックスフォード大学は中国政治学を専攻する学生に対し、香港国家安全維持法に抵触しないよう、匿名で論文を提出するように通達した」。また、プリンストンとハーバードのビジネス・スクールも、中国政治学を学ぶ学生を保護する措置を講じているという。
 「国家安全維持法」は香港における「分離主義、国家転覆、テロ、外国の干渉」についての処罰を定めるが、このブログでも指摘したように、国籍、居住地にかかわらず、世界中、誰にでも適用されるという恐ろしい条文(第38条)がある。

takase.hatenablog.jp

 実際、8月初旬には、アメリカ市民に対して、同法に基づき、香港当局から逮捕状が発行されている。

 だからたとえばの話、英国に留学中の日本人が、中国に関する論文を書き、その内容が中国共産党によって密かに問題視され、その学生がその後、中国または香港に足を踏み入れたときに逮捕されるということもありえなくないのだ。

 オックスフォード大学のパトリシア・ソーントン准教授は「私の学生(その多くは英国籍ではない)は、安全を強化するために、匿名で作品を提出して発表を行う」「教育は、集団的で批判的な調査に基づくもので、その精神は教育機関がすべての人に言論・表現・学問の自由を保障する能力を持つかどうかに左右される」と語っている。

 英国のアカデミズムは、学問の自由については根性がすわっているなあ。日本も中国の横暴への対応をしっかりやらなくては。
 ところが菅内閣がやっているのは、権力を乱用して気にくわない研究者をつぶし、批判を封じるという狼藉。
 
 あるツイートで、菅義偉首相を《まるで神格化された絶対君主のように全く市民の前に出て説明責任を果たさない》と批判していた。
 

  まったく同感。

 菅総理は、オフレコ懇談会が好きなようだ。
 10月3日には「パンケーキ懇談会」(渋谷の飲食店でパンケーキを食べながら)があり、16社が出席、3社(朝日、東京、京都)が欠席した。

 3社とも欠席の理由を紙面で載せた。
 『京都新聞』は大要以下の記事を掲載。
 《新型コロナウイルス対策や日本学術会議の会員任命拒否問題を巡る説明が求められる状況にもかかわらず、首相は就任時を除き、広く開かれた形での記者会見を実施していない。国会も開こうとせず、国民に対して所信表明すらない。ゆえに、見聞したことを記事にしない「完全オフレコ」が条件の飲食付き懇談会には参加できない》

webronza.asahi.com

 その後、13日にも懇談会があり、こちらは朝日も参加した。それについての説明。
 《内閣記者会に常駐する各社の首相官邸取材キャップと菅義偉首相との懇談会が13日夜に都内のホテルであり、朝日新聞も出席しました。会費制で、首相側から呼びかけられました。
 首相に取材をする機会があれば、できる限り、その機会をとらえて取材を尽くすべきだと考えています。対面して話し、直接質問を投げかけることで、そこから報じるべきものもあると考えるためです。
 参加するかどうかはその都度、状況に応じて判断しています。今月3日には、首相と内閣記者会に所属する記者との懇談会がありましたが、出席を見送りました。日本学術会議をめぐる問題で当時、菅首相自身による説明がほとんどなされていなかったためです。
 その後、首相から一定の説明はありましたが、朝日新聞は首相による記者会見の開催を求めています。今後もあらゆる機会を生かし、権力を監視していく姿勢で臨みます。(政治部長・坂尻顕吾)》

 菅さん、顔を出して、きちんと国民に語りかけ、説明してください。
 マスコミはなれあうことなくきびしく取材してほしい。
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 ほぼ月1回書いているコラム【高世仁のニュース・パンフォーカス】の8回目を公開しました。
 このコラムは、朝日新聞の記事をもとに、政治、外交から趣味の世界まで何でも取り上げます。
 パンフォーカスとは、近景から遠景までピントが合うようにする撮影方法で、どんなニュースでもいろんな視点から見ていこうという趣旨です。
 きょうはこれをご紹介します。

 題して
 ブラックホールの研究って何の役に立つの?》

www.tsunagi-media.jp

 
 10月、「ノーベル賞の季節」がやってきました。

 これまで日本人の受賞者がもっとも多いのが物理学賞で9人、他に日本出身者(現在外国籍)が2人受賞しています。そんなこともあって、毎年、物理学賞に注目していますが、今年はブラックホールの研究で、欧米の学者3人が選ばれました。

 英国のペンローズ氏は、アインシュタイン一般相対性理論から、ブラックホールが存在することを理論的に証明。ドイツのゲンツェル氏と米国のゲズ氏は、観測によって、私たちの太陽系がある天の川銀河の中心に、太陽の約400万倍の巨大質量を持つブラックホールが存在することを証明しました。

 ブラックホールの研究は、宇宙の誕生や成りたちを解明していく上で、もっとも期待される最先端の分野だと言われています。

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天の川銀河想像図】

 

 ブラックホールってご存じですか。
 寿命を迎えた巨大な星が、自分の重さに耐えられなくなって崩壊(重力崩壊)し超新星爆発を起こした結果できる、重力が強すぎて光さえも脱出できない天体のことです。超新星というと、星の誕生みたいですが、逆で、いわば星の葬式。星の死によってできたのがブラックホールです。
 ブラックホールは、そこにあることはわかっていても、光が外に出てこないので目には見えません。

 はるか遠くの目に見えないものを研究して何の役に立つのか?
 宇宙の成りたちなんて、私たち人間にとってどんな意味があるのか?
 そんな問いが、多くの人の頭に浮かんだのではないでしょうか。

 これを考えるうえで、まず、これまでの宇宙に関する研究からどんなことが分かったのかをご紹介しましょう。
 近年の宇宙にかんする理論研究や観測技術の進歩はすさまじいものがあります。

 宇宙は永遠で同じような状態が続いてきたというイメージをくつがえす仮説が唱えられたのは20世紀の半ばになってからでした。

 宇宙は、「火の玉」のような圧縮された超高温・超高密度の状態から急拡大してできたとするビッグバン仮説です。宇宙に始まりがあるという考え方は驚きをもって迎えられ、あのアインシュタインでさえ抵抗を示したといいます。
 しかし、その後の観測によって、宇宙が「無」というしかない極微の一点から生れたことは誰も否定できなくなります。

 2003年にはNASA(米航空宇宙局)が宇宙の誕生を「137億年(プラスマイナス2億年)前」と発表。さらに2013年には、ESA欧州宇宙機関)がその値を「138億年前」と修正して、これが確定値になっています。

 これだけでもすごい!と思うのですが、科学はさらに、宇宙の誕生からの道筋をかなりの程度明らかにしています。以下、ちょっと長いですがお付き合いください。

 生まれた直後の宇宙は、目に見えないほど小さな超高密度・超高温のエネルギーでした。
 誕生から100万分の1秒後の温度は5兆度、最小の物質、素粒子ができはじめます。
 38万年後、急拡大する宇宙はだいぶ冷えて温度は約3千度に下がり、陽子1個と電子1個からなるもっとも単純な水素の原子を作りだしました。
 その水素はいま、私たちの体の中にある水(H2O)や炭水化物などの栄養の一部として存在し続けています。

 宇宙空間に散らばった膨大な水素原子同士は、長い時間をかけ、重力で引き合って集まり、巨大な球となって輝きだします。星の誕生です。
 星の中心部は超高圧の灼熱の炉となり、水素原子は分解されて衝突しあい、核融合反応によって、炭素や窒素、酸素、ナトリウム、カルシウムそして鉄など、新しい元素が次々に作られました。
 中学、高校で化学の時間、「水兵リーベ僕の船・・(H, He, Li, Be,B,C,N,O, F,Ne・・)」と元素周期表を覚えたことを思い出します。

 このうちの水素、炭素、窒素、酸素で、私たちの体重の96%をなしています。ということは、私たちは、星が作った元素でできた、文字通りの「星の子」ということになります。
 不思議ですね。夜空に輝く星々に親しみを感じてしまいます。
 
 さて、星の内部の核融合は、原子番号26の鉄が作られたところで反応がいったん止まります。自然界には92種類の元素がありますが、鉄から先の原子番号の元素を作ったのが、先ほどブラックホールのところで出てきた超新星爆発です。

 爆発時の莫大な圧と熱によって鉄より先のさまざまな元素も作り出され、宇宙空間に撒き散らされます。私たちの命にとって必須の微量元素、コバルトや亜鉛、セレン、ヨウ素などもその時できたものです。超新星爆発なしには、私たちは今ここにいないのです。

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超新星SN 1987A (wikipediaより)カミオカンデがこの爆発で発せられたニュートリノを精密に観測できたことが、2002年の小柴昌俊氏のノーベル物理学賞受賞につながった】

 50億年ほど前、天の川銀河の一角で、ある大きな星が寿命を終え、超新星爆発で星屑となって散らばりました。その無数の星屑が重力で引き合い、集まり合ってできたのが、この太陽系。その第三惑星として誕生したのが、私たちの故郷、地球です。
 長い時間をかけた宇宙進化の結果として、地球は多くの元素を備えた複雑な星として誕生し、生命を生み出す条件が整えられたのです。

 宇宙は、138億年という気が遠くなるほど長い時間の営みの結果として、素粒子から次々に多様な原子を生み出し、原子から分子に、分子から高分子にと物質を複雑化し、ついには生命を作り出しました。
 小さな一つの点から始まった宇宙はどんなに広がっても一つ。つきつめれば、無数の星も、地球上のあらゆるものも、生命も、そして人類も一つということになります。

 理論物理学の権威の一人、佐治晴夫博士は、この最新の宇宙研究の成果を「現代科学に裏打ちされた新しく壮大な神話の幕開け」と呼び、「包括的な知の体系のなかで人間存在への新しい価値観が芽生える」可能性を指摘しています。

 宇宙の“つぶやき”に真面目に耳をかたむけること、宇宙との対話(コミュニケーション)の中にこそ、私たちがお互いにかけがえのないものとして生きていくための“道しるべ”があるような気がします。なぜなら、私たちはもちろん、石も草も空気もみんな宇宙から生まれ、“星のかけら”からできているのですから。(佐治晴夫『宇宙の不思議』PHP文庫より)

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wikipedia より)

 パリ生まれの画家、ポール・ゴーギャンが芸術的遺書として描き上げたといわれるこの大作のタイトルは、人類が発祥以来考え続けてきた問いでした。 
  D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ? 
 われら何処より来たるや?
 われら何者なるや?
 われら何処へ行くや? 
 
 その答えは、ながいあいだ、宗教の独擅場でした。
 ところがいまや、科学がその答えを提供するようになっているのです。科学が明らかにした宇宙の物語を、ただ客観的に知識として学ぶのではなく、自分の生きている意味に関わるものとして考えていく。そこから、佐治博士のいう「人間存在への新しい価値観」が生れてくるのかもしれません。

 実は宇宙にかんする研究は、日本の得意分野です。
 宇宙誕生の解明には、素粒子の研究が必須ですが、日本人初のノーベル賞受賞者となった湯川秀樹博士が1935年に発表した「中間子論」こそが、素粒子論(素粒子物理学)誕生のきっかけとなったのです。

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湯川秀樹博士(wikipediaより)

 その後の日本人のノーベル物理学賞受賞者を見ても、2002年の小柴昌俊氏がニュートリノという素粒子の研究で、08年の小林誠氏と益川敏秀氏が「CP対称性の乱れ」という素粒子論上の難題の解明で、15年の梶田隆章氏がニュートリノ振動の発見というこれも素粒子論の研究で高く評価されての受賞でした。
 日本は、宇宙誕生の解明にかんする研究では、世界の最先端にあると言っても過言ではありません。

 研究がいっそう発展するよう、ぜひ政府にも応援してほしいところですが、9月23日の『朝日新聞』には残念な記事が載っていました。
 記事は、日米欧の研究者が北上山地に建設を求めていた大型加速器国際リニアコライダー(ILC)」の早期実現が難しくなったと伝えています。文科省がこれを「大型研究計画の基本構想」に入れないことを決めたのです。

 ILCとは、「長さ20キロのまっすぐなトンネルを掘って装置をつくり、電子とその反対の性質を持つ陽電子を光の速さくらいまで加速して正面衝突させる」施設。「大きなエネルギーを一点に集中させて、宇宙誕生のビッグバンが起きた直後の状態を再現でき」、「宇宙誕生の謎に迫れる」というものです。(記事より)
 日本政府がしぶっているのは、莫大な費用がかかるからのようです。しかし、建設予定地が東北地方で、東日本大震災からの復興の象徴としても期待されており、前向きに再検討してほしいと思います。

 宇宙の成り立ちを研究することは、実生活に「役に立つ」、あるいは経済的な利益になるというものではありません。
 しかし、コロナ禍で世の中の価値観が大きく変わっていく時代、芸術や文学なども含め、すぐには「役に立たない」ものにもっと目を向け、自分と世界について考えることはとても意味があるのではないでしょうか。

 秋も深まりました。
 晴れた夜、天空の星々を仰ぐとき、ぜひ宇宙の神秘的な営みに思いを馳せてください。

 

菅義偉は東条英機になる?

 8日から節季は「寒露」。朝晩の冷え込みで草の葉に露がつくころ。
 9月末、山形に帰ったとき、早朝は濃霧だった。東北は秋がはやい。青森の酸ヶ湯温泉で八甲田の紅葉のピークは10月中旬だと言われた。
 全山が染まるとのこと。今頃はさぞ美しいだろう。

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ナナカマド(青森・酸ヶ湯温泉にて9月30日)

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 数日前、ショートメールに「お荷物のお届けにあがりましたが不在の為持ち帰りました。ご確認ください。http://vetexypakk.duckdns.org」のメッセージが残されていた。ずっと家にいたし、郵便受けに不在連絡票も入っていない。

 また、きょうは+88からはじまる国際電話が着信履歴に残っていた。覚えのない電話番号だ。

 いずれも詐欺だそうだ。

 家人や知り合いのスマホの履歴にも同じようなメッセージが残されていたことがあったという。
 みなさんもお気をつけください。
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 日本学術会議の会員候補6人の任命拒否問題がとんでもない方向に向かっている。

 まず菅総理「推薦リストは見ていなかった」(!)と発言・・・こういうとき「目が点」と言う表現になるのだろう。

 リストを見ないで、どうやって6人を「選ぶ」ことができるんですか?

 さらに驚かされるのは、菅総理自民党が、6人を選んだ理由をパスして、学術会議のあり方を検討するという筋違いな話に持っていこうとしていること。

 政府から金をもらっている機関、人はみな「おかみ」に逆らわないようにということだ。これは怖い。

 菅総理は、最初から学術会議に手をつっこむことが目的で、あえて知名度のある6人を狙って任命拒否し、大きな騒ぎにして注目を集めた、などといううがった見方も出るほど、不気味な感じでこの問題は進んできている。

 

 菅義偉という政治家をもっと知らなくてはと思う。

 総務省自治税務局長だった平嶋彰英氏が、興味深い指摘をしたインタビュー記事があった。
 平嶋氏は、このブログでも紹介した「忖度しなかった」官僚。菅官房長官肝いりのふるさと納税に異を唱え、左遷された人である

takase.hatenablog.jp

 インタビューはまだ菅氏が総裁選での勝利が決まる前に行われた。(掲載は朝日新聞9月12日朝刊オピニオン&フォーラム)

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 「菅さんがこだわる政策の根底には、新自由主義的な発想があると感じます。ふるさと納税は、菅さんの当初の『古里への恩返し』という説明と異なり、結果的に各自治体が返礼品の魅力を競い合うという、いびつな競争を招きました。総務省にハッパをかける携帯電話料金値下げも、地銀の統合再編も、事業者間の競争を促します。『オレだって秋田から上京し、競争を勝ち抜いてここまで来た』というご本人の来歴や自負が関係しているようにも思えます」

 「競争を重視しすぎるあまり、弱者へのまなざしが感じられないのです。ふるさと納税には、特産品のない自治体もあること、一律控除で高額所得者が潤う弊害の問題もありました。実際、自治体の現場では混乱が生じ、結果的に国を訴えた大阪・泉佐野市が勝訴する最高裁判決も6月に出ました」

 「ある政治学者が先日、安倍首相の今回の辞任劇は近衛文麿首相に似ている、と語っていた記事を読み、なるほどと思いました。安倍さんも、近衛さんも、名門で良家のお坊ちゃまイメージです。近衛の後の首相は東条英機です。東条は近衛とはタイプが異なり、陸軍出身でこわもて。強引な人事で軍や行政機構にはにらみを利かせました。良家出身者からの反動で、剛腕で強権的な指導者が求められているなどという勘違いが広まらないか、私はそんな危惧を持っています」

 菅ウォッチングを強めなければ・・・

現代における冒険とは

 台風が列島から遠ざかり、連日の雨がようやく上がったので、久しぶりに自転車でまち歩きに出た。

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 あちこちで金木犀の甘い香りがただよう。すっかり花を落として地面が鮮やかな橙色になっているところも数か所通った。

 行き先を決めずにペダルをこいで国立市の矢川方面に行くと、稲刈りが済んで「はぜ掛け」してある田んぼに出た。東京にも「はぜ掛け」しているところがあるのか。

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 そして今どき、案山子(かかし)が。アマビエ案山子まで。まあ、鳥除けの効能より、ご愛嬌なのだろう。

 今の住所にもう10年以上住んでいるのに、半径5キロ以内でも見たことがない新鮮な風景が広がっている。
 こういう発見があるから、自転車まち歩きはおもしろい。
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 平出和也さんと中島健郎さんのピオレドール賞受賞、K2登頂の小松由佳さんと、続けて冒険家を紹介した。

 私は、30年近く前から「地平線会議」という「探検・冒険から登山、旅、さらには民族調査やボランティア活動まで、世界を舞台に活動を続けている行動者たちのネットワーク」(HPより)に顔を出しているので、冒険者の知り合いも多い。

www.chiheisen.net

 もともと、型破りなことをする人は好きだし尊敬している。

 では、現代における冒険とは何か。
 冒険論の論客といえば、探検家・作家の角幡唯介さんの名が挙がるが、NHKの「視点・論点」という、各分野の権威とされる人が10分間話をする番組に出演していた。

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視点・論点」(8月19日)より

 「現代と冒険」と題して、とても興味深い論旨を展開していた。
 冒険を、効率、達成などをベースにする「近代」の価値観との関係で捉えた、堂々たる文明論になっている。以下は、大要。

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 今の時代、冒険をすることがだんだん難しくなっている

 まず、冒険の定義について。
 ジャーナリストの本多勝一氏は、「危険性」と「主体性」の二つをあげた。「危険性」とは命が脅かされるという意味で、ジェットコースターはスリルがあっても安全を確保されているので冒険ではない。また、戦争に兵士として送られるのは、自らの意思ではないので冒険ではない。

 だが、これが今の時代にもあてはまるかは疑問だ。
 ヒマラヤ登山は商業ツアー化して、今では登山者がガイドに山頂まで引率してもらう形になっている。登山者は自分の意思で危険な山頂をめざすから本多氏の2条件はクリアしているが、冒険と呼ぶには決定的なものが欠けている。
 それは「無謀性」だ。

 現代のエベレスト登山は、かなりの部分がマニュアル化され、お膳立てされるので、登山経験のない素人でも登れると思うようになった。無謀ではなくなったのだ。

 冒険には「危険性」や「主体性」以前の条件として「未知性」が必要だ。
 私は、冒険の本質を、社会や時代のシステムの外に飛び出すという意味で「脱システム」と呼ぶ
 神話をみても、英雄物語は「未知」の世界へ旅立ち、勝利を収めて帰還するパターンを踏む。人類が根源的に冒険を「脱システム」として捉えている証しだ。

 冒険を「脱システム」と捉えると、現代において冒険が難しくなってきた理由が見えてくる。
 「脱システム」のもっとも典型的なものは、地理的な探検だ。地図とはその時代や社会のシステムがどこまで広がっているかを示すメディアだ。地図の外側にある「未知」をめざすかつての探検は、脱システムとして非常に分かりやすい活動だった。

 しかし、今や地球上のすべての表面は地図に覆われ、地図の外側は存在しない。だから、今、冒険は、地図とは別の観点で「脱システム」を試みなければならないが、それが非常に難しい。

 「近代登山」という言葉に表象されるように、今の冒険の基本的フォーマットは近代に出来上がった。どこかに「到達する」、何かを「計画して達成する」、といった近代的価値観が典型的に表れたのが冒険の世界だった

 20世紀に入ると、北極圏、南極圏、エベレストが制覇され、それ以下の目標地点も次々に到達されて、今では新たに行くべき場所などない。
 選択肢が失われ、極点やエベレストなど限定されたゴールに人々が群がり、「単独」や「無補給」、年齢、スピードといった基準で勝ちを競い合っている。現代の冒険はスポーツ化している

 これは矛盾である。
 冒険はシステムの外側に「無秩序な混沌」を目指すものだが、スポーツは逆に「管理された競技場」というシステム内部で行われるものだからだ。システムの外に行くべき冒険が、今ではスポーツというシステム的なものに吸収されている。

 どこかに「到達する」ことを目指す限り、いま冒険はスポーツ化せざるをえない

 では「到達する」ことから逃れた、新しい現代の冒険とは何なのか

 かつて私は、その実践として、「極夜」の探検に行った。
 冬の極地では、数か月にわたり太陽が昇らない「極夜」という現象が起こるが、私はその暗黒の世界を80日間さまよった。我々の日常生活を成り立たせている太陽の運行こそ最大のシステムだと捉えれば、「極夜」はそのシステムの外にある完全なる未知の世界だ。北極という場所ではなく、極夜という現象が冒険の対象だ。

 冒険はなぜ難しくなったのか。
 テクノロジーの発達でシステムが膨張し、その外側に広がる未知の領域が極端に狭くなった。その結果、行く所がなくなり、冒険はスポーツ化した。

 しかし、ことの本質は実は、こうした物理的なシステムの膨張よりも、むしろ人間の思考回路がそれに適合してしまったことにある
 人間の思考回路は、時代の常識や枠組みに制約を受ける。
 冒険がスポーツ化するのは、我々の考えそのものが、「到達する」ことに価値があるという近代的価値規範にとらわれているからだ。

 日常生活も、我々の思考回路はシステムの制約を受ける。
 スマホで事前に情報を検索することが当たり前になり、何でも事前に予期し、未知の要素を排除しておかないと気持ちが落ち着かなくなった。

 現実に起きる物事が、事前に行った予期の確認作業と化し、目の前の物事や出来事に没入することができなくなっている。冒険が困難になった真の要因はここにある。

 いまわれわれは未来を予期できない状況を極端に避けたがっている。
 情報に飼いならされ、管理されることに慣れ切った精神が、冒険を難しくさせている。

 システムまかせにすれば自分で考える必要はない。
 しかし、システムの外に飛び出せば、決まったやり方がないから、冒険者は生きるための行動判断を自分で下さなければならない。
 自らの判断の結果として、命を持続させることができたとき、生きている喜びを見出すことができる。もし冒険をすることに意味があるとしたら、ここだと思う

 機械や他者に判断を丸投げしても、そこに生きる喜びはない。
 心のなかで将来に不安を感じている今こそ、自分で考え、自らの判断で行動を選択することの重要性が増している

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 すごい!
 説得力ある立論だ。冒険の精神が現代の閉塞感を打ち破るという結論もすばらしい。
 私も冒険がしてみたくなるが、命をかけないと冒険はできないのか。冒険とは、ごく限られた人々のものなのだろうか。
(つづく)