脅かされる香港の教育の自由

 香港の変化は予想よりもはるかに急速に進行している

 きょう夜9時からNスペで『香港 激動の記録~市民と“自由”の行方』が放送されたが、英国に逃れた活動家と今も取材にあたる学生ジャーナリストがともに、「香港がこんなに速く変わってしまうとは思っていなかった」と同じ感想を吐露していたのが印象的だった。
 香港はもう「香港特別行政区」ではなく、たんなる中国の「香港市」といってもいい段階に来ている

 香港では教師が解雇され、教科書が改変されるなど教育への中国共産党の攻撃が激しい
 去年からのデモで、のべ1万人を越える参加者が逮捕されたが、その半数以上が30歳以下の若者(なかには13歳も)だったので、中国当局は教育で青少年を「鍛え直そう」というわけだ。

 攻撃の矢はまず教師に向けられた。
 去年、抗議活動の中から生まれた歌「香港を永遠なれ」を歌ったのを制止しなかったとして中学の音楽教師が解雇され、また小学校の教師が、政治的な教材(香港独立を主張する団体についてのテレビ番組)を授業で取り上げたとして、教師免許を取り消された

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教育現場への攻撃に抗議する生徒たち

 学校では生徒たちも反対の意思表示をしたが、押し切られた。
 今後は、香港の教員を中国本土で研修させる予定だという。教育現場を完全にコントロールする気だ。
 一国二制度など完全に無視している。

 この小学校教師の授業は、国安法(国家安全維持法)の施行前だったため、教師免許取り消しで済んだが、今後は「刑事罰の対象にもなり得る」と教育局長は脅しをかけている

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 政府の意向に従わないとクビになるばかりか刑事罰まで科せられることが分かり、教師たちは大きなショックをうけ萎縮する雰囲気が蔓延し、自由な教育が脅かされているという。

 とくに標的になっているのが社会問題などを扱う「通識」(リベラルスタディーズ)という科目。教科書も大幅改定された。
 例えば、三権分立について、旧版の教科書には三権分立は三権がそれぞれ互いにけん制し合い、一方の権力が増大することを防ぐ」「三権分立は政府の独裁を防ぐ役目がある」と書かれてあったが、改訂版ではいずれも削除。天安門事件に関する部分も消えている。

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天安門事件に関する部分は削除された

 中国の新華社は、「香港の教区を正常に戻すための重要な第一歩」、「通識教育の消毒だ」と自賛している。
 教員労組によると、「政府から非常に強い、または強い圧力を感じる」と回答した教員が92.4%!にのぼるという。教育現場での圧力の強さを想像させる。

 教員労組の副委員長は、「我々の時代は、社会に無関心で『通識』の授業が出来たのに、今度は社会に関心を持つと非難される、なんとも皮肉だ」と語っている。

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NHK「国際報道」より)

 これはどういう意味なのか。

 周庭さんのように十代半ばにして抗議活動に立ち上がったり、デモに多くの中高生が制服で参加しているその背景には、教育改革とこの「通識」という科目があったのである。

 香港は熾烈な学歴社会で、受験戦争は日本の比ではないといわれる。2019年版「アジア大学ランキング」(Times Higher education)では、トップ10に香港の3大学(3位に香港科技大学、4位に香港大学、7位に香港中文大学)がランクインしている。日本からは東京大学が8位に入っているだけ。香港の人口がわずか750万人であることを考えれば、いかに教育の水準が高いかがわかるだろう。

 受験戦争を勝ち抜くために、日本などと同様、ながく詰込み、暗記型の勉強を強いられたというが、海外留学が盛んな香港では、海外で教育を受けてきた学生と比べて、批判的思考力、創造力など様々な点で「劣る」と問題視されるようになった。経済界とくに金融業界などから教育を改革するよう強い要望があったという。香港は資源がないため、人材こそが宝だと、高度な人材を養成するため、1997年の返還前後に教育改革が行われた。

 そこでは、「探求型学習」(Inquiry-Based Learning)という、アメリカで行われている教育システムが参考にされた。それまでの詰め込み型、暗記型の学習とは対極の、問題に対して主体的に取り組んで、自分から学び、自分で施行する力を育成するものだという。(日本でも「ゆとり教育」のなかで「自ら学び自ら考える力の育成」(臨教審以降の教育改革の主な施策の概要)が提唱されているが・・・)

 2009年から必修科目になった「通識」は、現在進行形の時事問題、社会のしくみなどを扱う。新聞記事なども使いながら、答えがない社会問題を生徒自らが考え、活発に討論しあう。先生も個人としての立場で意見を述べ、時には論争相手になるという。
 
 一昨年、香港地下鉄で行われた不可解な受注と手抜き工事が発覚して大きく報じられたことがあった。ある現役の高校の理科教師によれば―
 「このときも授業のテーマとして多くの学校が取り上げました。その結果、学生たちから独立調査委員会が必要だ、というような意見も出てきたんです。そして、林鄭月娥行政長官も第三者委員会による調査を命じました」。
 「そうした学生とのやりとりは、他の授業でもあります。私は、生物学を教えるときに、遺伝子操作などの生命倫理について生徒とディスカッションをやったことがあります。また、同じく担当する宗教学では、それぞれ自分の信仰する宗教に基づく意見も出てきて、活発に議論します」。(以上、香港の教育システムについては小川善照『香港デモ戦記』集英社P128~133から引用)

 これが香港の中高生に、社会の一員としての自覚と、権力にもの申す気概を持たせた。あの香港の抗議活動の高揚を引っ張ってきたのはそうした青少年だちだったのだ。

 怒涛のような「中国化」を受けて香港の教育現場がどうなっていくのか、注視していきたい。政治家は、香港の教育の自由を守るため、日本を含む国際社会から中国に圧力をかけるよう動いてほしい。