国の文明度は弱者に対する態度で測られる(方方)

 近くの古墳シリーズ。

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土がこんもりと盛り上がっている

 国立市役所近くの南武線踏切の南にある石塚古墳
 よくまあ、こんな住宅地の一角に・・・。

 ネット情報では、1993年に国立市が実施した地下レーダー調査により、片袖型横穴式石室と周溝の存在が確認されているが、発掘調査は行われていないので、詳細はわからない。円墳だという。

 江戸時代から古墳の存在は知られていたようだ。
 『新編武蔵風土記稿』には「仮屋坂 村内安楽寺の西をいふ、其所に小坂あり、坂上に三間四方許の塚あり、石塚といふ、来由を伝へず、武具永銭など掘出せし事ありと伝…」とあるそうだ。また、千頭の牛を殺してその骨を埋めた跡との伝説から「石塚」でなく「牛塚」だとの説もあるという。

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てっぺんにはセメントの階段と祠が

 鳥居があり、塚のてっぺんには祠がある。やはり特別な土地とされているのだろう。このあたりの古墳は、神社が建っていることが多い。

    見ていたら、私より10歳くらい上といった感じの老夫婦が通りかかり、鳥居に書かれた奉納者の名前をみて、奥さんの方が「あら、○○さんが建てたのね」という。聞くと、昔からこの土地に住む有力者だという。

 なんで鳥居があるんだろう?と不思議そうに見ているので、私が、これは古墳だそうですよ、とこのあたりが古墳の密集地であることを説明すると驚いていた。

 近所の人が集まって、古墳祭りでもやったらおもしろいだろうに。
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 これまで2ヵ月間、国内でコロナ感染者を出していなかった中国だが、青島で集団感染が判明した。

 《中国山東省青島市で新型コロナウイルスの集団感染とみられるケースが確認され、市は約940万人の全市民対象のPCR検査に乗り出した。中国では8日まで国慶節の大型連休で延べ6億3千万人が国内旅行をし、青島市にも約450万人が訪れていた。人の移動が激しい連休直後の感染確認だけに、当局は警戒を強めている。
 青島市によると、13日までに新たに発症者6人、無症状の感染者6人を確認した。いずれも青島市胸科病院の入院患者や家族らで、集団感染が疑われている。
 青島市は16日までに全市民の検査を終えるとしている。》(朝日新聞10月13日)

 中国は感染が分かると一気に集中的に抑え込む。
 5日以内に940万人!をPCR検査するという。1日当たり平均でおよそ200万人! 青島市だけでこの人数を検査するのだ。日本のPCR検査は、いま全国で1日あたり平均2万人くらい。中国の真似はとてもできないな。

 12人の感染判明でこれだけの態勢をとる中国は、コロナ抑え込みにもっとも成功した国であることは明らかだ。
 今日段階で、中国の感染者数は91,359人。日本はすでに感染者が9万2千人を越え、中国を上回り、毎日コンスタントに新たな感染者を出し続けている。

 一方、欧州は感染爆発で大変な事態になっている。
 複数の国で、1日あたりの感染者数が過去最高になったのだ。

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NHKより

 《フランス保健当局は15日、同国での1日の新型コロナウイルス新規感染者数が初めて3万人を超えたことを明らかにした。欧州では感染拡大を受けて規制を強化する国が相次いでおり、世界保健機関(WHO)は「大きな懸念」を表明した》(時事)
 ドイツも15日朝までの24時間の感染者数は7173人と過去最多。
 《イタリアチェコも新たな感染者数が過去最多となり、欧州は拡大抑制の措置を強化している。フランスはパリなど大都市で夜間の外出を禁止し、英国はロンドンで行動制限を強化しようとしている。》(Bloomberg

 国慶節の大型連休で「延べ6億3千万人が国内旅行」をし、工場、学校などを含む社会活動が通常に戻っている中国の「一人勝ち」がますますはっきりしてきた。
 GDP成長率がプラスになっているのは中国だけ。欧州はじめ世界中で通常の経済活動ができないでいるのを横目に、中国は生産活動も国内消費も順調だ。

 その中国のコロナとの闘いのもう一つの顔を描くのが、方方(ファンファン)氏の『武漢日記』河出書房新社)だ。

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 世界で最初にコロナ感染が爆発した武漢。1100万都市の封鎖のなか、体制側メディアが伝えない悲惨な状況、食料品やマスクの不足、医療現場の困難、庶民の日常生活を微信ウィーチャット=あのトランプが禁止しようとしている中国版LINE)で発信しつづけた。中国におけるネットの影響力は日本をはるかにしのぐ。この日記は、圧倒的な支持を集め、深夜12時の更新を「億単位」の人々が待ち望んでいたという。

 彼女は武漢封鎖の二日後、1月25日から60日間、3月24日まで投稿を続けた。3月24日は、武漢の封鎖が4月8日に解除されるという決定が出た日だった。

 2月24日にはこんなことを書いている。

 《私は言っておきたい。ある国の文明度を測る基準は、どれほど高いビルがあるか、それほど速い車があるかではない。どれほど強力な武器があるか、どれほど勇ましい軍隊があるかでもない。どれほど科学技術が発達しているか、どれほど芸術が素晴らしいあでもない。ましてや、どれほど豪華な会議を開き、どれほど絢爛たる花火を上げるかでもなければ、どれほど多くの人が世界各地を豪遊して爆買いするかでもない。ある国の文明度を測る唯一の基準は、弱者に対して国がどういう態度を取るかだ》

 なるほど、いいですね。

 ところが、日記の地方政府や病院上層部への批判はけしからんと、体制派からの攻撃が激しくなり、とくに外国語版が刊行されることが報じられると、一般人からも「売国奴」との非難が沸き起こった。方方氏は一歩も引かずに反論し、インタビューなどにも応じているという。
 (以下の『東京新聞』記事を参照されたい)

www.tokyo-np.co.jp

 中国で方方氏を攻撃する体制のイヌたちは、日本の「ネトウヨ」と同様、お上にたてつく者を権力の大樹の陰から撃つのだが、中国の場合、単なる言葉での非難にとどまらず、身柄拘束や拷問につながる可能性がある。

 私は以前、方方氏をブログで応援したが、彼女の経歴を知るとなおのこと関心をもった。彼女、テレビ番組の制作をしていたことがあったという。

 1955年南京生まれ。父はエンジニアで2歳のとき両親と武漢に移る。74年高校卒業。当時はまだ文革が終わっておらず、「下放」は免れた(兄二人が下放、前年に父を亡くしていたなどの事情で)ものの、4年間、運搬工として肉体労働に従事する。
 78年、前年から復活した大学入試(文革で中断していた)を受験し、武漢大学の中国文学科に入学。卒業後は湖北テレビ局に就職。番組制作のかたわら詩や小説を書き、1989年、専業作家となる。
 4年間の肉体労働の経験や、日本軍に殺された祖父、反右派闘争で自己批判を迫られた父といった家族史も彼女のジャンルの一つだという。
 2007年には湖北省作家協会の主席に選出され、翌年には中国作家代表団の一員として来日、ペンクラブ主催のシンポにも参加している。作家として実力を認められ、中国を代表する作家の一人として、権威ある位置にいたのである。

 「日記」の内容についてはおいおい紹介するとして、中国にあって彼女のように権力の理不尽に屈せずに闘う人に心から敬意をはらいたい。

 先日、「冒険論」に触れたが、方方氏の闘いは場合によっては命にもかかわる、まさに冒険といっていいだろう。