中国、ノーベル平和賞に圧力

 東京は涼しくて過ごしやすかった。久しぶりにまる一日エアコンなし。
 街の街路樹、百日紅がどこでも目に入る。ぼんぼりのようなピンクの花。

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 きょうは幸田文生誕116年だそうだ。


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 一年前のきょう、私は香港で周庭(アグネス・チョウ)さんを取材していた。

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 8月30日に逮捕された2日後だった。

 自宅近くの大埔のレノンウォール(民主化を訴えるステッカーなどを張り付けた壁)で、これからも闘い続けると意気軒高だったが・・・

 

 中国はいよいよ香港の青年の洗脳をはじめる

 《【香港共同】香港の複数の出版社が9月からの新学期向けの高校教科書を改訂し、1989年の中国の天安門事件や2014年の香港の大規模デモ「雨傘運動」など、民主化運動を巡る内容を削除した。事実上の政府審査を経た規制とみられる。香港国家安全維持法(国安法)施行で強まる中国の統制強化が教育にも及んだ形で、民主派の教育関係者らは「洗脳教育だ」と批判している。

 昨年からの政府への抗議活動では逮捕者約9千人のうち中高生や大学生が約4割を占めたため、中国指導部が、若者に対する「愛国教育」の強化を要求。国安法も、香港政府が学校での国家安全教育を行うことを義務付けている。》

 ここまでくると、香港はもう中国の大陸と同じだ。6月末の国安法施行から一国二制度があれよあれよと破壊されて、今は見る影もないありさま。

 一方で、中国が各国にドスの効いた脅しをかけている
 チェコ上院議長らが台湾を訪問していることについて、中国の王毅外相は訪問先のドイツで、「1つの中国の原則に異議を唱えるということは、14億人の中国人の敵になることだ」と強く非難した。

 俺の後ろには14億人が控えてるんだよ、わかってんのかオイ!・・こんなこと言われたら、ちょっとブルってしまいます。

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NHKBS「国際報道」より

 さらに、「背後にいる反中国勢力を座視することはない。深刻な代償を払わせる」とも。

 

 王毅外相は欧州各国を訪問中だが、ノルウェーでは、こんどのノーベル平和賞、変なやつにやったら承知しないぞとここでも脅し。

 実は、今年2020年のノーベル平和賞には「言論の自由、民主主義、法の支配のために闘う香港の人々」が推薦されている。推薦したのはノルウェーの連立与党の中道右派政党、自由党のグーリ・メルビ教育・統合大臣。
 中国はこれをつぶしにかかっている。

www.venstre.no

 《ノルウェーを訪れた王毅外相は「一つだけ言う。過去と今日、そして未来において、誰でもノーベル平和賞を利用して中国の内政に干渉しようとする試みを断固として拒否する。中国はこの原則において確固としている」と強調した。ノルウェーの首都オスロには、ノーベル平和賞委員会がある。

 王毅外相はつづけて「我々は、ノーベル平和賞を政治化することをみたくない」とし「我々が引き続きお互いを尊重し同等に対することが出来るなら、両国の関係は持続的で健全な方式で発展し、両国関係の政治的土台が一層強固になるだろう」ともとめた。

 王毅外相はこの日、ノーベル賞委員会が2010年に中国の反体制人物である劉暁波氏に平和賞を授与したのち、15年ぶりに訪問した点を強調した。香港デモ隊に賞をあげれば、両国関係が以前に逆戻りし得るとして、圧力を加えたものとみられる。》
https://news.yahoo.co.jp/articles/18da2a03df73456e389a3adeb73c3cbe09a11ee7

 1989年にはダライラマ14世にノーベル平和賞が贈られている。10年前に獄中の劉暁波氏が授賞されたあと、中国との関係が緊張して窮地に陥ったノルウエー。今の中国の影響力はそのころとは段違いだ。ここまですごまれれば、かなりの圧力になるだろう。
 
 また人質をとって圧力を加えようという動きも。
 《中国の国営テレビ局の外国語放送で司会を務めていたオーストラリア国籍の女性が、中国当局に拘束されたことが明らかになり、新型コロナウイルスや香港情勢などをめぐって対立を深める両国の関係が、さらに悪化することも予想される。

 オーストラリアのペイン外相は、8月31日、声明を発表し、オーストラリア国籍の女性、チェン・レイ氏が中国当局に拘束されたことを明らかにした。》(NHK)

 「ならずもの国家」としての姿をむき出しにしてきた。さあ、我々はどうするか。
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 わけあって、皇室について調べている。

 天皇制の存続、撤廃が短期・中期の重要な政治テーマではないと思っていたので、皇室、天皇についてはさほど関心を持ってこなかった。調べ始めると、知らないことばかりで新鮮だ。

 とくに上皇の象徴としての自覚、民への心配りには感銘することが多い。アフガンで凶弾に倒れた中村哲医師が「天皇好き」だったのも素直にうなずける。

 ちなみに、中村哲さんが「ご進講」した際の記事。

 《アフガニスタンで医療奉仕活動を続けている福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」は二十七日、現地代表で医師の中村哲さん(57)=福岡県大牟田市在住=が二十一日に天皇陛下と対面し、現地の実態を説明したことを明らかにした。

 同会によると、四月に宮内庁から要請があり、アフガンから帰国していた中村さんが二十一日に上京した際に皇居を訪れ、初めて陛下と対面した。

 中村さんは陛下や皇后さま、紀宮さまに対し、パソコン画像を使いながら「人々の暮らしは知られていない」として、砂漠化が進み水不足が深刻化しているアフガンの現状を説明。陛下は人々の暮らしや文化財について質問され、当初二時間の予定だったが三十分長くなったという。最後は、中村さんに「体に気を付けてこれからも頑張ってください」と声をかけ、玄関まで見送りに来られたという。

 中村さんは「陛下は皇太子時代に訪れたアフガンに特に思い入れがあり、現地の事情をよく理解されていた。熱心に聞いていただき、うれしかった」と語った。》(2004.05.28 西日本新聞朝刊 )

 中村さんは、国会のテロ対策委員会に参考人として呼ばれ、「(アフガン戦争への)自衛隊派遣は有害無益、飢餓状態の解消こそが最大の問題」と発言して鈴木宗男氏ら自民党議員からの強烈なヤジを飛ばされたが、両陛下はその「札付き」の彼をわざわざ皇居に招いたのだ。これはすごいことである。

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 上皇が何をめざしていたのか、またその人格形成の背景をさぐりたい。
 
 おもしろかったのは1996年から2007年まで侍従長だった渡邉允(まこと)氏池上彰氏と対談した際に披露したエピソードの数々だ。対談は2017年4月にBSフジで「天皇家の執事が語る皇室の素顔」として放送された。当時は明仁さまは現役の天皇だった。

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BSフジより(右が渡邉氏)

 以下、発言者は、渡邉允氏。

(普段の生活がとても質素なことについて)

 《陛下の書斎に行くと机があって、そのひきだしには、古い書類の紙がいっぱい入っているんです。つまり、パソコンや手書きで原稿を書かれるときには、古い書類の裏紙を使っておられるんですね。それを見たときは、少し驚きました。
 あとは、背広やコートなどに関して、まわりの人が「そろそろ新しいものになさったらどうですか」と言っても、「まだいい」とおっしゃってね。》

(食事の好みについて)

 《まず、両陛下とも、お酒はほとんどお飲みになりません。ちょっと口をつける程度です。食べ物も特別に、あれが食べたい、これが食べたいということはありません。御所にいらっしゃるときは、宮内庁の大膳(だいぜん)の人たちが作ってお出しするものを、そのまま召し上がっていらっしゃいます

(地方を訪問するとき)

 《両陛下はわりに小食なんです。でも、地方や外国にいらしたりするとき、万一残されたりすると、まずかったんじゃないかとかお口に合わなかったんじゃないかと心配する人がいるから、出された食事は必ず全部食べようとなさるんです。だから、われわれが先遣隊で行くと、なるべく少量にしてほしいということをお願いするようにしています。》

(ご自分で運転することは?)

 《・・・以前は軽井沢や那須の公道も運転なさっていたようですが、今は皇居の中でしかされませんね。1991年製造の国産の中型車を大事にお使いになっています。・・・》

(免許証は?)

 《非常に真面目でいらっしゃるから、運転免許証は必ず持っておられます。2007年は免許更新の年で、70歳以上の高齢者は運転免許を更新する際、あらためて視力や反応能力のテストを受けますよね。陛下もその手続きをなさいました。・・・
 警視庁から、ゲームセンターにあるような運転席の形をした機械を御所に持ち込んでもらったんです。実地試験は東御所の地面に目印を立ててお受けになりました。

 免許証については、陛下らしいエピソードがあります。元侍従の一人から聞いた話ですが、皇太子の時代に那須御用邸にいらしたある夏の日、陛下がご自分で運転してどこかに行ってくる、とおっしゃった。そこで警察に連絡して、先導してもらうようにしたんですね。
 準備が整ったあと、陛下はご自分で車に乗られて、門から出ていかれたんですが、少し行ったところで急に陛下が車から降り、走って御用邸に戻ろうとなさる。お見送りをしていた侍従が、何事かと思ってお尋ねすると、「免許証を忘れてきたので、取ってくる」と。・・・
・・・そもそも警察が先導するわけだから、誰も車を止めて、「あなた、免許証を持っていますか」と言う人はいないですよね。》

 裏紙を使うとは、意外なほど質素な暮らしだ。しかも自らの意思で身を律している点に感じ入った。
 免許証のエピソードなど、失礼ながら、あまりの生真面目さにおもわず噴き出してしまった。

 こんなに真面目な人、みなさんの周りにいますか?
 私たちの天皇、皇后が、このような方々だったと知り、もっと突っ込んで調べてみなければと思った。
(つづく)

 

菩薩の請願―驚くべき大乗仏教の理想

 きょうも暑かったが、都心に出た。

 きのう今日と2日間、新宿区早稲田で開かれたIKTT(クメール伝統織物研究所)東京販売会。

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猛暑のなかお客さんがけっこう入っていた

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新作のストール。一番右が、テレビ番組取材で「伝統の森」を訪れた俳優の瀬戸康史(私は知らなかったが人気のある若手らしい)が惚れこんで買ったもの。黒がインディアンアーモンドの鉄媒染、ベージュがココナツのミョウバン媒染(たぶん)。渋くていい

 7月7日のブログで書いたようにIKTTもコロナ禍で経営危機に陥り、支援を呼びかけた。支援(IKTT-AID)のお返しに作品の布を買えるクーポンを発行。販売会には支援した人の姿も多かった。

takase.hatenablog.jp


 引き続き大変な状況がつづくと思うが、心のこもった布を作り続けてください!
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 きのうは、午後1時から5時まで、岡野守也先生の仏教の勉強会をZOOMでやり、そのあと7時半までリモート飲み会を楽しんだ。

 勉強会では、いくつもの感動的な発見があったが、そのうちの一つ、「菩薩の請願」について紹介しよう。

 「大般若経」(だいはんにゃきょう)という経典がある。
 玄奘が漢訳し、500万字あるという般若経典のなかで最大のお経だ。全国に国分寺を建てた聖武天皇が、大般若経を備えておくようにとの詔を出しているが、大乗仏教のもっとも基本になる経典といっていいだろう。大きなお寺では、大般若会(だいはんにゃえ)という行事があって、お経を空中でパラパラと広げる儀式をやるが、あれが大般若経だ。

 (ところで、思想家の埴谷雄嵩(はにや・ゆたか)氏は本名般若豊(はんにゃ・ ゆたか)でしたね、余計な話ですが)

 大般若経には、智慧と慈悲が一つであるという原点からスタートして、慈悲の実践の具体的内容として菩薩の「諸誓願」が挙げられている。その請願の数は31もある。(⼤般若経「初分願⾏品第51」)

 一つ注釈すると、大乗仏教は菩薩道ともいわれるくらい、「菩薩」は大乗の中核をなす言葉だが、一般には「覚りを求める人」と理解されている。しかし、菩薩とは、俗世から離れて覚って自分だけ気持ちよくなるのではなく、慈悲の心からこの世を「仏国土」にしようと努力するのだ。「衆生を救うために、この世をこんなふうにすばらしくしたい!」というのが「菩薩の請願」である。

 その内容があまりにもラディカルで深いので、講義を聴きながら、驚きと感動の連続だったのだ。

 まず、最初の請願から。
1.布施成就⾐⾷資⽣充⾜(ふせじょうじゅえじきししょうじゅうそく)の願

 この時、ブッダはスブーティ(注)にこう告げられた。
 スブーティよ、菩薩⼤⼠が布施波羅蜜多(ふせはらみった(注))を修⾏していて、もろもろの有情(うじょう、衆生と同義)が飢え渇きに迫られ、⾐服が破れ、寝具も乏しいのを⾒たならば、スブーティよ、この菩薩⼤⼠はそのことをよく観察してからこう考える。「私はどうすればこうした諸々の有情を救いとって貪欲を離れ⽋乏のない状態にしてやれるだろうか」と。こう考えた後で、次のような願をなして⾔う。「私は渾⾝の努⼒(精勤)をし⾝命を顧みず布施波羅蜜多を修⾏して、有情を成熟させ仏の国⼟を美しく創りあげ速やかに完成させて、⼀刻も早くこの上なく正しい覚りを実証し、我が仏国⼟の中にはこうした⽣きるために必要なものが⽋乏しているもろもろの有情の類がおらず、四⼤王衆天(しだいおうしゅてん)、三⼗三天、夜摩天(やまてん)、覩史多天(としたてん)、楽変化天(らくへんげてん)、他化⾃在天(てけじざいてん)(注)では種々のすばらしい⽣活の糧が受けられているように、我が仏国⼟中の衆⽣もまたそのように種々のすばらしい⽣活の糧が受けられるようにしよう」と。
 スブーティよ、この菩薩⼤⼠は、このような布施波羅蜜多によって速やかに完成することができ、この上なく正しい覚りに〔すぐ隣りといってもいいところまで〕かぎりなく接近(隣近・りんごん)するのである。

(注:スブーティとは漢訳で須菩提(しゅぼだい)。釈迦の十大弟子の一人で、解空(げくう)第一、つまり「空」の理解ではナンバーワンだったとされる。/布施波羅蜜多について。六波羅蜜―菩薩の六つの修行項目―の一つが「布施」。ギブアンドテイクのギブ、まず与えるという修行。/「天」がいろいろ出てきたが、仏教神話で「天界」のこと。)

 ここで言っているのは、物質的な面での福祉社会をめざすということだ。「⽣きるために必要なものが⽋乏している」状態を根絶し、衆生が天界のようなよい暮らしができるよう「渾⾝の努⼒」をすると誓うのである。

 そして、そういう努力をすることで覚りに「接近」できると説く。布施の実践が覚りを促進する、智慧と慈悲の相互促進作用である。

 

 12番目の請願。
12.無四種⾊類貴賎差別(むししゅしきるいきせんしゃべつ)の願
・・・菩薩⼤⼠が・・・もろもろの有情に四種類の貴賎の差別、すなわち一にクシャトリア、⼆にバラモン、三にヴァイシャ、四にスードラがあることを⾒たならば、スブーティよ、この菩薩⼤⼠はそのことをよく観察してからこう考える。「私はどうすれば巧みな⼿⽴てによってもろもろの有情を救いとって、このような四種類の貴賎の差別がないようにしてやれるだろうか」と。こう考えた後で、次のような願をなして⾔う。「私は渾⾝の努⼒をし⾝命を顧みず六波羅蜜多を修⾏して、有情を成熟させ仏国⼟を美しく創りあげ速やかに完成させて、⼀刻も早くこの上なく正しい覚りを実証し、我が仏国⼟の中にはこのような四種類の貴賎の差別がなく、⼀切の有情が同じ階級であってみな尊い⼈間という⽣存形態に含まれるようにしよう」と。・・・・
 
 これはすごい。
 はるか古代からインド社会に深く広く根付いてきたカーストを撤廃せよと言っている。みなが「同じ階級であってみな尊い⼈間」と扱われるような社会を目指すという。
 差別をなくせ、今でいうBlack Lives Matter (ブラックライブズマター)じゃないですか! 実に新しい!

 

 つぎも驚き。
13.無上中下家族差別(むじょうちゅうげかぞくしゃべつ)の願
・・・菩薩⼤⼠が・・・もろもろの有情の家族に下流中流・上流の差別があるのを⾒たならば・・・次のような願をなして⾔う。「私は渾⾝の努⼒をし⾝命を顧みず・・・我が仏の国⼟の中にはこのような下流中流・上流の家族の差別がなく、⼀切の有情がみな⾦⾊に輝いて美しく⼈々が⾒たいと思うような最⾼に充実した清らかな様⼦になるようにしよう」と。・・・

 

 これは、格差をなくせ!である。菩薩は「⾝命を顧みず」、「下流中流・上流の家族の差別」がないような世の中をつくるというのだ。

 今の政治家のみなさんに教えてあげたい。

 

 次は目を疑いました
15.無主宰得⾃在(むしゅさいとくじざい)の願
・・・菩薩⼤⼠が・・・もろもろの有情が君主に隷属しておりいろいろしたいことがあっても⾃由にならないのを⾒たならば・・・次のような願をなして⾔う。「私は渾⾝の努⼒をし⾝命を顧みず・・・私の仏の国⼟の中のもろもろの有情には君主がなくいろいろしたいことはみな⾃由であるようにしよう。ただし、如来・真に正しい覚った⽅があって真理の教えのシステムで(有情を)包み込むのは法王であって例外である」。・・・

 

 王様などおらずに人々が「自由であるように」する。(如来が法王になる場合をのぞいて)君主が君臨する世の中を否定していると読める。
 般若系の経典は、種々の大乗経典のなかでは最も古く、紀元前後から4、5世紀にかけて書かれたとされている。ローマ帝国の時代、少なくとも1500年前である。その時代に、庶民の自由をかかげて、身分差別や王政にはむかっているのである。いやはや驚いた。

 

 さらに。
17.無四⽣差別(むししょうしゃべつ)の願
・・・菩薩⼤⼠が・・・もろもろの有情に四つの⽣まれ(四⽣)の違い―すなわち卵で⽣まれるもの(卵⽣)、⺟胎からうまれるもの(胎⽣)、湿気から⽣まれるもの(湿⽣)、(愛着や性別なしに)⾃然に⽣まれるもの(化⽣)―があるのを⾒たならば・・・次のような願をなして⾔う。「私は渾⾝の努⼒をし⾝命を顧みず・・・我が仏国⼟の中にはこうした四つの⽣まれによる差別がなく、すべての有情がおなじく⾃然に⽣まれられるようにしよう」と。・・・

 

 四⽣というのは、その当時信じられていた生き物の種類分けだ。ここは、生態系の中で人間だけが特権をもつと考えてはいけないと読めないだろうか。つまり、
 ♪カエルだって、オケラだって、アメンボだって、みんなみんな生きているんだ友だちなんだ~の世界。植物も微生物も尊重しなければいけないよ、と。

 

 以上から、大乗仏教における菩薩とは、人々が豊かで、格差も差別もなく生きられる、エコロジカルな福祉社会、自由な民主社会を目指す人だといえるのではないか

 経典が書かれた時代背景を考えるとき、こういう思想が出てくるというのは、ちょっと信じられない思いがする。
 他の宗教では、奴隷の存在を認めていたり(その時代では常識だった)、「神の前では平等」といっても、実際に平等社会を目指すことは考えられていない。だからマルクスが「宗教は阿片」と言ったのだろう。

 紀元前後に、奴隷をはっきりと否定した西洋の思想はありますか?王政を否定して人民の自由を唱えた思想は?

 大乗仏教、すごい!
 あらためて、もっと勉強し、修行しなくてはと思う。

 (以上、テキストと講義内容は岡野守也先生による)

軍人と民間人 戦争被害者に格差をつけるな

 引き出しのマスクと共に名は残り (千葉県 姫野泰之)朝日川柳29日

 総理辞任で、汚い置き土産がきれいさっぱり洗い流されるものではない。
 取り返しのつかないたくさんの失政というより「犯罪」の数々。それらは結果としてある時代精神を形成するほど、罪深いものだった。

 辺野古はどうする。

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沖縄県民に「寄り添う」なんて言っちゃて・・(報道特集より)

 赤木俊夫氏を自死に追い込んだ公文書改ざんは。

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辞任発表を受けた赤木さんの妻は・・(報道特集より)

 そしてヨイショ記者の「レイプ事件」もみ消しは・・・

 あなたには「花道」などない。
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 終戦特集をいくつか観たが、私の問題関心からいうと戦争で被害を受けた民間人をどう扱うかについての作品がとくに興味深かった。

 NHKスペシャルで15日「忘れられた戦後補償」を放送したが、日本における国家と個人の関係を考えさせられた。

 NHKが「あちこちのすずさん」(『この世界の片隅に』の主人公)を探して番組化しているが、空襲などで死傷するなどした民間の戦争被害者は膨大な数にのぼる。
 これを日本は補償してこなかった。理不尽だし人道にもとる。

 同じ枢軸側にあったドイツ、イタリアでもちゃんと補償している。

 例えばドイツでは1200万人もの引揚者(他国のドイツ人居住区から追い出された人も)がいた。
 1950年12月「連邦援護法」が制定され、「戦闘作戦やその準備に関連する行政措置」、「空襲時の消火活動の際に受けた被害」、「戦争中に生命の危険から逃れる中で追った影響」、「引き揚げ中に受けた被害など」、「戦闘作戦と関連する軍事的措置、特に爆発物の使用」、「住宅地や工場への空襲による被害など」がすべて補償対象になっている。

 イタリアでは民間人15万人が犠牲になった。戦後、財政不安のなか、「戦争年金」法を制定、「国が当然持つべき感謝の念と連帯の意を表すための補償」を実施してきた。

 日本では、軍人、軍属だけはしっかり補償され、これまで60兆円以上が支払われてきた
 民間戦争被害者のごく一部、引揚者や被爆者、シベリア抑留者については、長い要請活動の末、ようやく不十分ながら「救済措置」が採られるようになった。
 原爆の被爆者については、1957年(昭和32年)に「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」(原爆医療法)が施行され、ごく部分的に支援がはじまり、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(被爆者援護法)が施行されたのは、1995年(平成7年)になってからである。(「黒い雨訴訟」にみられるように、それずら不十分だが)

 その一方、東京大空襲はじめ空襲による膨大な被害者については、いっさい補償も救済もない。

 この問題については議員連盟もあり、「戦時災害援護法案」が議員立法で何度も国会に提案されている。
 「先の大戦の際に(略)空襲その他の政令で定める戦時災害にかかつた者で当該戦時災害にかかつた当時日本の国籍を有していたものの当該戦時災害による負傷、疾病、障害及び死亡に関する援護」(第1条)をめざすものだ。 

 ところが15年間に14回審議されたにもかかわらず、いずれも廃案に終わっている。
 今年こそはと思っていたやさき、国会が閉会になってしまった。

 《第二次世界大戦で戦災に遭った人たちが国に補償を求めて活動している「全国空襲被害者連絡協議会」(全国空襲連)が(6月)17日、国会内で記者会見を開いた。体験者の高齢化が進む中、特別給付金支給などを柱とする援護法の早期成立を訴えた。
 成立を目指していた通常国会が、この日閉会となったことに合わせての会見で、約39人が参加した。同会共同代表の吉田由美子さん(78)は東京大空襲で両親と妹を失い、孤児になった。「今国会で法案提出されることを強く望んでおりました。私たちが使える時間にゆとりはありません」と速やかな立法を求めた。》(毎日新聞6月18日)

mainichi.jp

 では、あらためて、ドイツなどで民間被害を補償する理由は何か―
 「個人の被害に国が向き合うことは民主主義の基礎をなす。国家が引き起こした戦争で被害を受けた個人に補償をすることは、国家と市民の間の約束だ。
 第二次大戦は総力戦で、軍人だけでなく多くの民間が戦闘に巻き込まれ亡くなった。軍人と民間人のあいだに差があるとは考えられなかった」(ボーフム大学歴史学部 ゴシュラー教授)
 「総力戦」だったから民間人も保障するのが当然だという。

 これに対し、日本では「総力戦」だったから、国民すべてが被害を受忍すべきだという論理で民間人への補償を拒否する方向になった。(戦後処理問題懇談会1982~84年)ようするに、みんなで戦ったんだよね、だから死んだりケガしたりしても仕方ないよね、自力でがんばって、と。
 事実、東京大空襲訴訟では、国が「戦争被害 は国民が等しく受忍(我慢)しなければならない」と主張。結局、補償要求はすべて退けられた。

takase.hatenablog.jp

 ドイツは「総力戦」だから民間も補償する、日本は「総力戦」だから補償しない。国家と国民の関係について、まったく逆の考え方である。

 私は毎年夏、「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」にお参りに行くが、あそこは靖国神社と違って、軍人だけでなく民間人の犠牲者も含まれる(と私は解釈している)。
 というのは、国の施設であるこの墓苑は日本の公式の「無縁戦没者」の墓で、「現在、37万69柱(令和元年5月27日現在)のご遺骨がこの墓苑に奉安されております。(ご遺骨は軍人・軍属・一般邦人を含む)」と墓苑が説明している。
 「戦没者」に「一般邦人」つまり民間人を含めている。

www.boen.or.jp


 だとすれば、当然、民間人被害者も補償、援護されるべきなのだ。
 生き残った人々はもう次々に亡くなっている。国会を開いて、補償措置を制定するよう求める。

 そういえば、今年はまだ千鳥ヶ淵に行ってないな。来週行こう。

心にしみいる幸田文『台所のおと』

 きょう安倍総理は、持病の悪化を理由に退陣の意向を表明した。憲政史上最長の在職日数という記録達成を花道に身を引いたのだろう。

 もう何年も、早く退陣してほしいと思っていたが、あっけない幕切れ。

 それにしてもNHKの「ニュース7」はヨイショが過ぎた。
 アベノミクスで株価上昇、求人倍率改善云々。岩田明子解説委員がスタジオ出演して「トランプ大統領とは電話会談を入れて50回超、プーチン大統領とは30回の首脳会談を行って、外交で成果を上げた」と褒め上げたが、「成果」っていったい何ですか?
 さらに外務省OBの宮家邦彦氏が、平和安全法制を「よくやった」と評価。森友問題はうしろの方でちらっと触れただけ。

 「はなむけ」の忖度報道にしらけた。

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 これは「デイリー新潮」がすっぱ抜いた7月22日に赤坂で開かれたNHK政治部の送別会。中央で体を乗り出しているのが原聖樹政治部部長。右に紅一点、岩田明子解説委員。  

 フェイスシールドを着用してはいるが、みんなで同じ鍋を肩よせながらつつく「三密」宴会。NHKは、不要不急の食事会は控えましょうと国民に警告しているのでは?
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/08041701/?all=1
 解説はリテラに。

lite-ra.com

 後継が誰になるかの政局話の前に、NHK政治部を何とかしてほしい。

 有力後継候補の語る言葉を聞いていると、かつて軍事マニアのとっちゃん坊やかと胡散臭く思っていた石破茂氏がとてもまともに見えてくる。二階氏が、石破氏が有利になる全党員投票をさせるかどうか。
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 政局を離れて、少し爽やかな話題を。

 先日紹介した写真家、鬼海弘雄さんのトークショーで、鬼海さんが幸田文さんの『台所のおと』を推薦していた。
 「幸田文さんというのはすばらしい文章を書く人で、機会があったらぜひ読んでみてください」と。

 私はほとんど小説を読まないのだが、根が素直なので(笑)、さっそく『台所のおと』を読んでみた。
 この本は、昭和31年(1956年)から昭和45年(1970年)にかけての短編を集めている。

 家族、友人が緊密な間合いで暮らし、たくさんの人と顔の見える関係をもち、日常を丁寧に生きていた時代。今は失われたその暮らしぶりがなつかしい。ある意味、もう時代小説である。読んでみて―

 すばらしい。感動しました。 
 その時代の日本人の人情についての感性がかくも繊細なものかと驚く。というより、こうした繊細な情緒を文章で表すことができるのがすごい。文章というのはこういうふうに書くものかと、うなりながら読んだ。しびれました。

 表題作の「台所のおと」については、作家の森まゆみさんの書評にゆずる。

allreviews.jp

 昭和33年(60年安保の2年前)発表の「雪もち」もよかった。

 「江戸」という文化をくぐった風情を感じさせる小説。古い酒問屋に3か月前に嫁いだばかりの若奥さんが主人公で、正月すぎ、なじみの蔵元から届いた新年のご挨拶の酒粕(さけかす)を、店の番頭が自宅まで持ってきたところからはじまる。

「まあ、いいの?こんなにたくさん。」

「は、よろしいんでございます。大箱が二ッ箱に小箱が六ッ箱。六ッ箱という勘定がちょっとこの、ちぐはぐでございますんで、店を出ますとき帳場へ念を押してまいりましたから、これで間違いはございません。」小僧だちからいるというその番頭は、新しい絆纏(はんてん)から紺のにおいと酒のにおいをさせていた。蔵元から送ってくる吉礼(きちれい)の酒の粕を得意先や主人たち三軒の自宅へ届ける、お使い番なのである。

「この雪に、ほんとうにご苦労様ねえ。」

「いえ奥様、雪なんざなんでもございません。おかしなもので、酒屋はこの、雪の日にこそと思いますんで。大昔は犬と親戚だった、なんて笑うくらいでございます。――この荷はきのう夕方はいりましたんですが、けさになると降ってまいりましたでしょ、それっというと手分けいたしまして。粕なんてもののお届けは、きょうのような日がうってつけでございますな。おうちじゅうで、あったかく一ツというところで、どちらでもお喜びんなります。申しちゃなんですが、お届け甲斐があるようなもんで。――きょうはこりゃ、夕方になると自動車は利かなくなりましょうな。」

 店のトラックはあと二三軒で配達が済むという、すくない荷で帰って行った。タイヤの跡がくぼんで、東京にはめずらしい粉のような雪が、風につれて斜の縞目(しまめ)に降っていた。・・・

 

 鬼海さんが、幸田文さんの本を、浅草に行く電車の中で読みながら「自分の共鳴板を乾かして」撮影対象者を見つけにいくとおっしゃったが、分かるような気がする。
 静かに、人の健気さが心にシーンと染み入ってくる短編の数々である。

自分が変われば世界も変わる

 人間とは、文明とは、宇宙とは・・といった大きな事だけを考えていたい。

 前から私、「世渡りの知恵」(これはとても大事なものだが)を軽視するきらいがあったが、最近はますますその傾向が強くなっている。

 会社をたたんで、どっぷり「林住期(りんじゅうき)」(注)に入ったからか。それとも、コロナ禍で文明の転換のきざしが自分にも影響しているのか。
注)「林住期」とは、ヒンドゥー教徒の男子が経るべき4つの段階(四住期)の3番目。4つとは、学生期(師のもとでヴェーダを学ぶ時期)、家住期(家庭にあって子をもうけ一家の祭式を主宰する時期)、林住期(森林に隠棲して修行する時期)、遊行期(一定の住所をもたず乞食遊行する時期)

 また、世の中を変えることに直に関わりたいという思いも強くなっている。

 友人が、ガンディーの言葉を教えてくれた。
 Be the change you want to see in the world.
 世の中を変えたいのなら、自分が変わりなさい。実にいい。

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 しかし、実はガンディーが実際に言ったのは、以下だという。
 “We but mirror the world. All the tendencies present in the outer world are to be found in the world of our body. If we could change ourselves, the tendencies in the world would also change. As a man changes his own nature, so does the attitude of the world change towards him. This is the divine mystery supreme. A wonderful thing it is and the source of our happiness. We need not wait to see what others do.” – Mahatma Gandhi

 直訳すると;
 我々は世界を写しているにすぎない。外界にある傾向はみな、我々の体内にある。自分自身を変えることができれば、世界の傾向も変わる。人が自分の性質を変えれば、その人に対する世界の向き合い方も変わる。これは、最高の神秘である。驚くべきことであり、幸福の源泉である。他の人たちが何をするかを見るために待つ必要はない。

 これは深いな。
 深い意味はこれから考えることにして、とりあえず、いいと思ったことはすぐ実行するようにしよう。
 もう先も短いんだし・・・。
・・・・・・・・・・・・・
 というわけで(笑)、きょう、電力会社を変えた。

 これまでは、生協の「パルシステムでんき」と契約していたのだが、京都の「TERA Energy」(テラ・エナジー)に変更した。
 いまはネットで必要事項を書き込んで送信すれば、瞬時に手続きが済んでしまう。契約中の「パルシステム」に乗り換えを連絡する必要もない。あまりにも簡単なのに驚いた。

 「TERA Energy」とは、一昨年、4人のお坊さんが設立した冗談のような会社で、テラは「寺」、メガ、ギガ、テラのテラともかけているのだろう。設立時の会見の様子は笑える。

日本経済新聞 電子版 on Twitter: "「地球温暖化を防ぎたい。地域にお金を循環させる仕組みも作っていきたい」。僧侶らが宗派を超えて、檀家などに電力を小売りする会社を設立。社名はTERA Energy(テラエナジー)です。
【全編映像】https://t.co/RNPr6AQt8Y… https://t.co/Qduqs7s50k"

 ロゴマークもおもしろい。

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 中心に蓮華、光が二種で黄色いのが「智慧」、オレンジが「慈悲」の光だという。智慧と慈悲、大乗仏教の2枚看板じゃないですか。
 世の中よくしたいという設立趣旨で、原発ゼロでしかも料金が安い。

 

 また、「ソーシャルグッドな活動をエネルギー事業によりサポートする新電力会社です」というように、料金の2.5%が自分の好きなNPOや運動に寄付されるのが特徴だ。寄付先リストの中から契約者が選べるようになっている。

tera-energy.com

 料金が安い理由は、一つは儲けにあたる「手数料」を非常に低く設定していることと、もう一つ、「市場連動型」の料金システムを採用していることがある。
 卸電力取引市場「日本卸電力取引所(JEPX)」での取引価格と連動して電力量料金単価を決定しているのだ。

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 電気は需給関係で、一日のうちで価格が大きく変化する。大手電力会社は固定料金にしてあって、どうころんでも儲かるようになっているので高くつく。「市場連動」にしただけでとても安くなる。2.5%の寄付を入れても、他社よりずっと安い。

 JEPXでは翌日の価格を前もってネットで流すので、几帳面な人ならこれを見て「朝9時までに炊事、洗濯、掃除をまとめてやれば何円で済むな」などと計算しながら暮らすことで、TERA Energyの電気代をさらに節約できるだろう。(私はとてもできないが)

 私がテラ・エナジーを選んだ理由の一つは、寄付先の一つ「あわエナジー」を支援したいから。

www.awa-energy.com

 「あわエナジー」は3か月前に徳島で立ち上がったばかりの団体で、それで「あわ(阿波)」。英語のour(我々の)にもかけている。
 こちらの紹介はまたいずれ。

 みなさんの中で、どこから電気を買おうか決めていない人がいたら、TERA Energyを候補の一つにしてみませんか。安いし、何よりおもしろい。

 テレビでも紹介してみたい。もっと調べよう。善は急げ。

また毒をもったプーチン政権

 またプーチンが毒を盛ったか・・

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アレクセイ・ナワリヌイ氏(BBC

 《飛行機内で体調が急変し、こん睡状態に陥ったロシアの野党指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏(44)について、入院先のドイツ・ベルリンの病院は24日、毒を盛られたとみられると明らかにした
 ナワリヌイ氏が現在治療を受けているドイツ・ベルリンのシャリテ大学病院は声明を発表し、臨床検査で「コリンエステラーゼ阻害剤に分類される物質による中毒が示されている」と説明した。》(朝日)

 反プーチンの有力者は抹殺されることになっているようだ。
 2015年3月には、ロシアの野党指導者ボリス・ネムツォフ氏が、クレムリンを望むモスクワのど真ん中で射殺されている
 エリツィン政権で第一副首相を務めた経歴もある有力政治家だった。今回毒を盛られたナワリヌイ氏の盟友でもあった。

 

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 (ネムツォフ氏の暗殺現場に献花する市民ら JIJI)


 プーチンは海外での暗殺もためらわない。

 独立したチェチェン共和国の第二代大統領だったゼリムハン・ヤンダルビエフ氏は、04年2月13日、中東のカタールの首都ドーハで、車に仕掛けられた爆弾により13歳の息子とともに暗殺された

 一昨年の3月には、英ソールズベリーでロシアの元スパイ、セルゲイ・スクリパリ氏(66)と娘のユリア氏が毒殺未遂に遭った
 スクリパリ氏は、英情報機関MI6に機密を提供していたとして、ロシアで有罪判決を受けた。その後、2010年に米国人スパイ10人との交換でロシア政府が釈放した4人の1人となり、英国に住んでいた。

 2006年には、ロシアの元情報将校アレクサンドル・リトビネンコ氏が、ロンドンのホテルで茶を飲んだ後に放射性物質ポロニウム210の被曝で死亡している

 私はこの事件を取材しに、2008年、ロンドンに行った。
 リトビネンコ氏の妻が、彼らが当時住んでいた家に案内してくれたが、ドアは封印され、ドクロマークが貼ってあった。事件後2年も経つのに、室内にはまだ危険な線量の放射性物質が残っていたのだ。

takase.hatenablog.jp

 英内務省の公開調査委員会は2016年1月、リトビネンコ氏の暗殺はロシアのプーチン大統領の了承の下で行われた可能性が高いと結論付けている。

 ジャーナリストも何人も犠牲になっている。

 06年には、プーチン政権に批判的な著名ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤが暗殺された
 粘り強い取材をする本当に勇敢な、尊敬すべきジャーナリストだった。私たちは彼女にメールでコンタクトして取材を申し込み、OKの返事をもらった矢先のことだった。

takase.hatenablog.jp

 この人物は、現代史でもっとも「汚い」権力者だと私は確信している。

takase.hatenablog.jp


 安倍首相は何度もこの人物と首脳会談を開き、裏切られながらも「ウラジーミル(プーチンの名)。君と僕は同じ未来を見ている」などと歯の浮くような言葉でご機嫌を取ってきた。
 英国やEUの毅然たる態度を少しは見習ってほしい。日本に対しても何をするか分からない人物だ。

 プーチン、トランプ、習近平ら、ならずものリーダーに尻尾を振るのは、「平和ボケ」のなせるわざである。
・・・・・・・・・・・
 きょう、すばらしいアートを堪能してきた。
 《既存の美術や流行、教育、障害の有無などに左右されず、ただひたすら自由に独自の世界を創造し続けるアーティストたちの特別展「あるがままのアート -人知れず表現し続ける者たち-」》の展示会だ。https://www.nhk.or.jp/event/art2020/

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会場は東京芸術大学美術館。上野公園を抜けていく

 印象に残った作品いくつか。

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魲 万里絵 (すずきまりえ)の「ゆらせ ぬらせ」。乳房と性器を中心にエロチックな賑わい

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澤田真一のトゲトゲが特徴の陶芸作品。縄文土器のような雰囲気。

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澤田の作品を観ていたら、ひょろひょろと鑑賞ロボット(右側)がやってきた。オンラインで自宅からでも操作して鑑賞できるという。

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アフリカの草原のようにさまざまな獣が歩く渡邊義紘(よしひろ)の作品。

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なんと葉っぱでできている。「折り葉」である。すごい

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 拾ってきたクヌギの落ち葉(落ち始めの柔らかいものを選ぶという)に渡邊はハーハー息を吹きかけてさらに柔らかくする。

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 クヌギの葉を折る手先。緻密な作業がつづく。(NHKの番組より)

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材質も不明な不思議な物体。金崎将司の作品

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表面には地層のようなきれいな模様が。

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金崎がチラシなどの紙を一枚一枚ボンドで貼り重ねて立体にしていく。それを磨くと上の不思議な物体になる。

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福井誠の「命を継ぐ神」。不思議な細密画だ

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 うわあ、と思わず感嘆の声が出る。

 表現とは何か? 常識を壊される快感。
 そして、人の能力や営為を「測る」ことなどできるのかという疑問。人間とはなにか。

 以下のサイトでも見られるので、ぜひ。
 https://art-as-it-is.jp/
 会場に行けない人は、ロボ鑑賞という手がある。観賞用ロボはいま2台稼働しているとのこと。

国立(くにたち)と満州の都市計画

 知らなかった・・・。
 手や足をすりむいたら、赤チンなどで消毒して傷口を乾かしておく⇨もう、このやり方は時代遅れで、推奨されないのだそうだ。 

 10日ほど前、国立の駅前で、自転車で転んで右ひじをひどくすりむいた。再建された旧駅舎にコロナ予防のアルコール消毒液が置いてあったので、それで傷を洗ってそのままにしていた。ところが、傷は治らず、膿んでしまった。今も痛いし膿が出て熱をもったままだ。

 どうしたら傷が早く治るのか、ネットで調べた。すると、最新のやり方は、傷を水できれいに洗って、消毒しない。そして傷口に出てくる黄色いジュクジュクした体液が乾かないように覆ってやるのだという。
 そのわけは、まず赤チンやオキシフルなど消毒液は細胞を破壊して傷を深くする。ジュクジュクの中には40種類以上の「細胞成長因子」の他、頑張って傷を治している細胞があり、それが治りを早くするのだという。ガーゼなどをあてるとジュクジュクを吸い取って傷口を乾燥させてしまうので、ハイドロコロイド被覆材の絆創膏を貼るとよいという。

 ドラッグストアに行くと、たしかに普通の救急絆創膏の他に、「ハイドコロイド素材」の絆創膏が何種類も売っていた。箱の裏の使用法には「キズに薬はつけない」、「キズが乾く前に貼る」と書いてある。 

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 むむ、時代はこんなふうになっていたのか。おれは遅れてるな。

 おもしろかったのは、東京・日野市医師会のホームページ。

 《そもそも傷を消毒して乾燥させるという方法は、19世紀の偉大で神格的な細菌学者パスツールが、「傷の化膿を防ぐためには消毒と乾燥で細菌の侵入を防ぐべき」という考えを提唱したことから始まり、20世紀後半までその真偽は誰にも検証されず、大学医学部にケガの治療法を研究する專門科も無いまま、儀式的に傷の消毒が行われてきた経緯があります。http://hino-med.or.jp/medicalinfo8.html

 ええっ!こんな基本的なことが、「誰にも検証されず」「儀式的に」やられてきたのか!?
 世の中の常識を疑うことは、どの分野でも大事なんだな。

 もっとも、私のキズはもう膿んでしまったので、最新式は使えない。買ってきた「ハイドコロイド素材」の絆創膏は、こんどすりむいたときの楽しみにとっておこう。
・・・・・・・・・・・・・・・
 あのノスタルジックな原宿の旧駅舎の解体工事がきょうからはじまった。
 

f:id:takase22:20200825215001j:plain(JIJI)

 「原宿駅の旧駅舎は1924年に建てられ、今年3月まで利用されていました。耐火性が不十分なため東京オリンピックパラリンピックの後に解体されることになっていましたが、大会が延期されたため、解体工事は25日から始まりました」(ANNニュース)

 先日紹介したように国立(くにたち)の旧駅舎(国立市指定有形文化財)は、原宿駅に2年遅れて1926年の竣工だ。雑木林が広がる武蔵野に、東京商科大学(現一橋大学)の移転を機に、箱根土地(現プリンスホテル)が造ろうとした「大学町」の中心に位置づけられたのが国立駅だった。

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再建された国立駅の旧駅舎(自転車でころんでアルコール消毒させてもらいました)

 この国立の町づくりが、満州のそれと関係しているという話を聞いた。どういうことなのか。 

 『わが町国立』という本には、国立の「整然たる放射道路の構想は、ヨーロッパのある文化都市と、満州の首都の駅前設計からヒントを得たものだという」とある。
  国立は満州からヒントをえたというのだ。

 ところが『国立市史』では「満州国の誕生は昭和7年、首都『新京』の建設は昭和8年からで、くにたち大学町の『設計は、後に満州国新京の都市計画のモデルケースとなった』(『堤康次郎伝』)とあるのが正確だろう」となっている。
 こちらは逆に、国立が満州のモデルになったという。

 なるほど、国立の駅前と満州の首都、新京(現長春)のそれは、規模は別にして、よく似ている。

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くにたち大学町の都市計画(昭和2年ごろ)

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長春満鉄付属地の中心部『満州国の首都計画』より

 問題は、満州が国立のモデルか、逆に国立が満州のモデルか、そして影響関係があるのなら、それはなぜかだ。日本の近代化の過程で、植民地を含む町づくりがどう進んだのかを見るのはおもしろそうだ。

 まず、どっちが先かという点だが、これは『わがまち国立』に軍配が上がりそうだ。

 満州国の建国は1932年(昭和7年)、国立町の建設は1925年(大正15年)なので、たしかに国立町の方が古いのだが、実は、満州と呼ばれた中国東北部の都市建設は建国のはるか前から進められていた。

 その都市建設を進めたのは「満鉄」、南満州鉄道株式会社だった。
 南満洲鉄道とは、日露戦争終結後、1905年(明治38年)に締結されたポーツマス条約によって、ロシア帝国から大日本帝国に譲渡された東清鉄道南満州支線(長春・旅順間鉄道)、また、支線を含む鉄道事業および付属事業を経営する目的で、1906年明治39年)に設立された特殊会社、南満洲鉄道株式会社を指す。(wikipedia

 満鉄は、軍が中心となって作った半官半民の国策会社で、日本はこれを足掛かりに事実上の植民地経営を始めていくのである。

 満鉄の業務内容を定めた外務、大蔵、逓信の三大臣の命令書によると、鉄道の便益のためとして、「炭鉱採掘、水運業、倉庫業、鉄道付属地における土地及び家屋の経営、その他の許可を受けたる営業」(4条)、付帯事業として「土木、教育、衛生」(5条)、「鉄道及び付帯事業の用地内の居住民に対し手数料を徴収しその他の必要なる費用の負担を求めることが出来る」(6条)が挙げられている。

 つまり、満鉄は、単なる鉄道会社ではなく、一つの政府のような役割も果たした。鉄道周辺の地域を「鉄道を守るために必要な土地」であるとして支配し、沿線都市の都市計画や都市経営まで行っていく。これこそが、満州における日本の植民地経営の特徴だった。

 満鉄は早くも営業開始の3ヵ月後の1907年7月、大連、遼陽、鉄嶺の付属地で道路工事を開始。長春奉天では実測測量に着手している。(以上、長内敏之『「くにたち大学町」の誕生』を参照)
 満州国が建国されるずっと前に、中国東北部の主要都市では「満鉄」による都市建設が進んでいたのである。

 その「満鉄」の初代総裁となったのが後藤新平。彼はのちに1923年の関東大震災後の内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の都市計画に辣腕を振るい、学園都市くにたちの町づくりに関与していくのである。
(つづく)
*断続的に連載します。