心にしみいる幸田文『台所のおと』

 きょう安倍総理は、持病の悪化を理由に退陣の意向を表明した。憲政史上最長の在職日数という記録達成を花道に身を引いたのだろう。

 もう何年も、早く退陣してほしいと思っていたが、あっけない幕切れ。

 それにしてもNHKの「ニュース7」はヨイショが過ぎた。
 アベノミクスで株価上昇、求人倍率改善云々。岩田明子解説委員がスタジオ出演して「トランプ大統領とは電話会談を入れて50回超、プーチン大統領とは30回の首脳会談を行って、外交で成果を上げた」と褒め上げたが、「成果」っていったい何ですか?
 さらに外務省OBの宮家邦彦氏が、平和安全法制を「よくやった」と評価。森友問題はうしろの方でちらっと触れただけ。

 「はなむけ」の忖度報道にしらけた。

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 これは「デイリー新潮」がすっぱ抜いた7月22日に赤坂で開かれたNHK政治部の送別会。中央で体を乗り出しているのが原聖樹政治部部長。右に紅一点、岩田明子解説委員。  

 フェイスシールドを着用してはいるが、みんなで同じ鍋を肩よせながらつつく「三密」宴会。NHKは、不要不急の食事会は控えましょうと国民に警告しているのでは?
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/08041701/?all=1
 解説はリテラに。

lite-ra.com

 後継が誰になるかの政局話の前に、NHK政治部を何とかしてほしい。

 有力後継候補の語る言葉を聞いていると、かつて軍事マニアのとっちゃん坊やかと胡散臭く思っていた石破茂氏がとてもまともに見えてくる。二階氏が、石破氏が有利になる全党員投票をさせるかどうか。
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 政局を離れて、少し爽やかな話題を。

 先日紹介した写真家、鬼海弘雄さんのトークショーで、鬼海さんが幸田文さんの『台所のおと』を推薦していた。
 「幸田文さんというのはすばらしい文章を書く人で、機会があったらぜひ読んでみてください」と。

 私はほとんど小説を読まないのだが、根が素直なので(笑)、さっそく『台所のおと』を読んでみた。
 この本は、昭和31年(1956年)から昭和45年(1970年)にかけての短編を集めている。

 家族、友人が緊密な間合いで暮らし、たくさんの人と顔の見える関係をもち、日常を丁寧に生きていた時代。今は失われたその暮らしぶりがなつかしい。ある意味、もう時代小説である。読んでみて―

 すばらしい。感動しました。 
 その時代の日本人の人情についての感性がかくも繊細なものかと驚く。というより、こうした繊細な情緒を文章で表すことができるのがすごい。文章というのはこういうふうに書くものかと、うなりながら読んだ。しびれました。

 表題作の「台所のおと」については、作家の森まゆみさんの書評にゆずる。

allreviews.jp

 昭和33年(60年安保の2年前)発表の「雪もち」もよかった。

 「江戸」という文化をくぐった風情を感じさせる小説。古い酒問屋に3か月前に嫁いだばかりの若奥さんが主人公で、正月すぎ、なじみの蔵元から届いた新年のご挨拶の酒粕(さけかす)を、店の番頭が自宅まで持ってきたところからはじまる。

「まあ、いいの?こんなにたくさん。」

「は、よろしいんでございます。大箱が二ッ箱に小箱が六ッ箱。六ッ箱という勘定がちょっとこの、ちぐはぐでございますんで、店を出ますとき帳場へ念を押してまいりましたから、これで間違いはございません。」小僧だちからいるというその番頭は、新しい絆纏(はんてん)から紺のにおいと酒のにおいをさせていた。蔵元から送ってくる吉礼(きちれい)の酒の粕を得意先や主人たち三軒の自宅へ届ける、お使い番なのである。

「この雪に、ほんとうにご苦労様ねえ。」

「いえ奥様、雪なんざなんでもございません。おかしなもので、酒屋はこの、雪の日にこそと思いますんで。大昔は犬と親戚だった、なんて笑うくらいでございます。――この荷はきのう夕方はいりましたんですが、けさになると降ってまいりましたでしょ、それっというと手分けいたしまして。粕なんてもののお届けは、きょうのような日がうってつけでございますな。おうちじゅうで、あったかく一ツというところで、どちらでもお喜びんなります。申しちゃなんですが、お届け甲斐があるようなもんで。――きょうはこりゃ、夕方になると自動車は利かなくなりましょうな。」

 店のトラックはあと二三軒で配達が済むという、すくない荷で帰って行った。タイヤの跡がくぼんで、東京にはめずらしい粉のような雪が、風につれて斜の縞目(しまめ)に降っていた。・・・

 

 鬼海さんが、幸田文さんの本を、浅草に行く電車の中で読みながら「自分の共鳴板を乾かして」撮影対象者を見つけにいくとおっしゃったが、分かるような気がする。
 静かに、人の健気さが心にシーンと染み入ってくる短編の数々である。