フリーランスの金と自由

 オーストラリアの旅から。

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 私が泊ったモーテルは、主にオートキャンプ客用の施設で、広大な駐車場にキャンピングカーが何台も停まっている。衛星アンテナやボート、さらにはペットまで携えて休日を楽しんでいる。木陰でのんびりと本を読む老夫婦の姿にはうらやましさを感じる。

 白い犬を散歩させている老婦人と挨拶を交わしたら、近づいてきていろいろおしゃべりした。退職して夫と4ヶ月オートキャンプの旅をしているという。4週間ではなく4ヶ月。豊かである。孫娘が日本語を学んでいて日本に留学したが、東京は人が多すぎて適応できなかったそうだ。ここの暮らしのありように身を置くと、さもありなんと思う。

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 急に真夏日がきた。オーストラリアの熱帯より暑い。
 きのうは第6回山本美香記念国際ジャーナリスト賞の授賞式が日本記者クラブであった。今年は対象者なしで、「奨励賞」が大川史織氏(31)に贈られた。

 

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 大川さんはマーシャル諸島で餓死した日本兵の日記を手掛かりに70歳代の息子が辿った慰霊の旅を追ったドキュメンタリー映画「タリナイ」と書籍『マーシャル、父の戦場 ある日本兵の日記をめぐる歴史実践』が評価された。大川さんは大学を出てから3年もマーシャルに住みこんだという。志と行動力を兼ね備えた若い人たちが次々に出てくるのは頼もしい。
 この賞の対象者は女性に限っていないが、第1回(伊藤めぐみ)、第4回(林典子)、第5回(笠井千晶)そして今回と女性の受賞者が目立つのもうれしい。
 式のあとは、シンポジウム「ジャーナリズムと民主主義」が歴代受賞者を招いて行われた。これには、シリアでの拘束中に第4回の「特別賞」を受賞した安田純平さんも参加した。

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 印象に残ったのは、司会の野中章弘さん(早大教授)が「フリーランスとしてプレッシャーに感じることは?」との質問。安田さんがすぐに「それはお金ですね」と答え、隣の桜木武史さん(第3回受賞者)に「そうだよね」と同意を求めると、桜木さんも笑ってうなづいた。桜木さん「でもお金がないこと自体はあまりプレッシャーには感じない。逆にどこかから100万円もらって取材するのはもっとプレッシャーになる。だからフリーランスの方がいい」という。林典子さんも「そもそも写真で食べていこうとは考えていない。別の仕事でお金を稼いで、撮りたい写真を撮ればいいと思う」と発言した。全体として、やりたいことをやるにはフリーランスとして生きたいという話になった。

 シンポジウムが終わって桜木さんと話していたら、明日も4時起きなので早く帰らなくては、という。彼は毎日トラックの運転手をして暮らしを立てているのだ。

 詩人とジャーナリストは職業ではないという。誰でも名刺に詩人と書けば詩人だが、それで食べているわけではない。この賞の受賞者たちは、この世界では相当の実力者であるが、その彼らにして、ジャーナリストを続けるのにバイトで生活を支えなくてはならない。彼らの意気軒昂な発言には敬意を表しつつ、この現状で日本のジャーナリズムは大丈夫なのかと心配になった。
 「食べられるジャーナリズム」をめざして会社を立ち上げたものの、なかなかお金が稼げない上に、仕事でジャーナリズムを実践できているか疑問になっているわが身をも振り返って、いろいろ考えさせられた夜だった。

オーストラリアの旅から

    オーストラリアに出張していた。

    この国は初めてだ。オーストラリアには、これまであまり関心がなく、カンガルー、コアラ、アボリジニといったありきたりのイメージのみだったが、今回の旅でとても良い印象を持ち、大いに魅せられた。

 

    大陸北東部、クイーンズランド州ケアンズの空港に着く。気温は20度台後半か、気持ちのよい暑さ。空港から150キロ離れた田舎町に向かう。

    サトウキビ畑が延々と続く。ときおり途切れてバナナ園になる。道路端にはヤシの木が、、

     恥ずかしながら、こんな風景がオーストラリアにあるとは知らなかった。ここは熱帯なのだ。

f:id:takase22:20190520154219j:image(見渡す限りのサトウキビ畑が)

f:id:takase22:20190520154508j:image(ホテルの部屋の前にはココナツヤシ。すぐそばがビーチだ)

    ここクイーンズランド州東海岸には2000キロにも及ぶ珊瑚礁の連なるグレートバリアリーフがある。日本列島がすっぽり入る大きさだ。日本人もたくさんダイビングに来るそうだ。

    陸地の方には、国立公園がいくつもある。世界最古の熱帯雨林がここにあるそうだ。多くの固有種の動植物が生息する。陸も海も豊かな自然に恵まれた土地である。

 

    でも、今回最も心に沁みたのは、これまで経験したことのない、人々の親切さだった。


    目的地の小さな町に着いて困ったのが「足」がないことだった。タクシーは高すぎるので、バスの便がないか、通りにいた中年の婦人に尋ねた。

    その日は町から20キロほどのホテルに行きたい。そして翌日は150キロ離れたケアンズに戻る用事があった。

    ジェーンという名の彼女は、ちょっと待ってと言うとすぐにスマホからバス会社に電話してくれた。バスは1日1便しかなくすでに出てしまっていた。

 

    すると通りかかった住民が次々に立ち止まって、「困っている日本人」を何とか助けようと知恵を出してくれる。これには感激した。

    すぐ近くの宝石店のオーナーが私のホテルの近くから通っていることがわかり、店を閉めたあとこころよく私を車に乗せてくれた。

    問題は翌日のケアンズ行きである。ああだこうだと4、5人で議論した後、ジェーンが、ケアンズまでの「足」を求むとネットの掲示板にだしてくれることになった。遠いのでタダというわけにはいかず、私からはそれなりの謝礼を申し出た。

 

    電話番号を交換して別れたが、2、3時間後、ジェーンから電話がかかってきて、友人の息子が車をだしてくれるという。

 

    ケアンズまでの2時間のドライブの途中、いろいろ話をした。とても素直な高校3年の男の子で、ちょうど日曜なので私のドライバーをかってでた。高校を出たら観光関係の仕事につきたいという。この辺は海外からのツーリストも多いが、オーストラリア国内からも特に冬場は避寒の滞在客が押し寄せるとのこと。

 

    とにかく人々が驚くほど開放的で親切である。

    もちろん、どの国にも意地悪な人もいれば優しい人もいることはわかっているが、何度もこうした親切に助けられたので、ほんとうにありがたく、私の中では「オーストラリア人は親切」という一般化ができてしまった。

    何がこういう人間を形成するのだろうか。考えると、おもしろいテーマである。

原発とジャングル2

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 近所の家の庭に咲いているこれ。ハナショウブらしい。深い青がいい。
 アヤメかハナショウブカキツバタか。見分けられなくて、ネットで調べるのだが、すぐに忘れて、毎年のように同じことを書いている。
https://takase.hatenablog.jp/entry/20130522
 まったく進歩がない。私の脳みそは本格的高齢者だな。
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 ブラジル・アマゾナス州南部のジャングルの民、ピダハン。近代文明のもとに暮らす我々と異なるのは労働観だけではなかった。人間関係はどうなっているのか。
渡辺京二さんの「原発とジャングル」で解説、引用されたダニエル・L・レヴェレットの『ピダハン』(みすず書房)から紹介する。
 《結婚以前には、男女は気の赴くままに自由に交わる。同棲すれば結婚したものとみなされるが、既婚者同士が好き合えば(われわれの社会で不倫と呼ばれるケース)、ジャングルへはいって数日間出てこなければよい。戻って来てその二人が同棲すれば離婚が成立して新夫婦が誕生したものと認知される。棄てられた夫、あるいは妻は悲しんだり相手を探したりすることはあっても、騒ぎ(スキャンダル)にまでなることはない。しかも満月の夜の歌と踊りの際は、既婚者であろうと未婚者であろうと自由に交合する。まれには暴力沙汰も起こるが、「暴力が黙認されることはない」。
 エヴェレットはピダハンの人間関係が親密で、互いのことをよく知っているのは、「多くのピダハンが多数のピダハンと性交している割合がかなり高い」からではないかと考えている。彼らの婚姻制度は乱婚でもなければ一夫一婦制でもない。非常にフリーで取り替えの利く一夫一婦制、友愛と性愛がリゴリスティックに区別されないフリーな状態といえる。》(渡辺『原発とジャングル』P13-14)
 《アメリカ先住民の部族は伝統的に平等社会であるが、ピダハンもそうで集落に指導者はいない。集団の結束力は固いのに、公的な強制力は存在しない。》
 《実は、エヴェレットがピダハンのうちに見出した「ジャングルの民」の特性は、狩猟採集民に広く見られるもので、何も新しい発見ではない。「きわめて限られた物的所有物のおかげで、彼らは、日々の必需品にかんする心配からまったくまぬがれており、生活を享受している」ような狩猟採集民の事例は、サーリンズの『石器時代の経済』に豊富に示されている。》(P15-16)
 要するに、エヴェレットの経験したジャングルの生活は、《権力と支配が存在せぬ平等社会であり、生きるための労働が最小限ですむ、というより労働と嬉戯がかっきりと区別されていない、成員の親和と幸福感がみなぎる社会だった。つまり、文明的装備が最小であるような一種のユートピアだった。》(P17)
 渡辺さんは、ここから、なぜ神話的伝承に、《人類の最古の状態を楽園として描き、以降の経過を堕落・劣化とみなすタイプが多いのか》の謎が解ける気がするという。
 《人類の原始には一種の楽園状態があったとする認識(それは原始共産社会というエンゲルスによる史的唯物論的措定にも反映しているのだが)は、狩猟採集時代の生存の安楽さ、平等性、被抑圧性のおぼろな記憶が、農耕開始後も長く保持されて来たことに由来すると考えておそらく誤りはあるまい。》
 こうして、意外にも、ジャングルの民の暮らしは「幸福感みなぎる社会」だったことがわかった。
 彼らの言葉には未来形も過去形もないという。人間の悩みは過去と未来である。過去がなければ後悔しない。未来がなければ不安がない。ピダハンにとって、あるのは「いま」だけ。これは幸せに違いない。
 では、戦後最大の思想家(吉本隆明)に「原発がいやならジャングルへ戻れ」と言われて、我々は本当に戻れるだろうか。戻れないはずである。
(つづく) 

原発とジャングル1

 きのうは端午の節句

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 入院中の母を見舞いに行く途中、小金井公園を通ったら大賑わいだった。私も子どもが小さい時、ここで自転車乗りの練習をしたので、懐かしく家族連れをながめた。夜、節句の縁起物、菖蒲を風呂に浮かべてはいる。

 もう夏のはじまり、立夏だ。

 6日から初候の「蛙始鳴」(かわず、はじめてなく)。11日からが次候「蚯蚓出」(みみず、いずる)。16日から末候「竹笋生」(たけのこ、しょうず)。

 長野県上田市の友人、桂木さんから、キジの写真が送られてきた。先日一晩お世話になったとき、近所でケーンと高い鳴き声のするのを私も聞いたが、姿は見なかった。きのうは、桂木さんのわずか数メートル先に現れたという。これはオスでカラフルだ。春は繁殖期に入って縄張り宣言のために甲高く鳴くのだという。それで春の季語だそうだ。

    それにしても、キジが近くまで来る家に住めるとは素晴らしい。

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 このところ、渡辺京二さんの話ばかりで読者もうんざりかもしれないが、きょうは彼の「原発とジャングル」(原発とジャングル 晶文社刊に所収)という評論について書きたい。

     人間を幸せにすることに失敗したと渡辺さんが言う「近代」をどう超えるか、という問題を正面から扱っているからだ。

      冒頭、こんな文章で始まる。

 《原発がいやならジャングルへ戻れと、「戦後最大の思想家」は言った。では、ジャングルへ戻ってみよう。》

 「戦後最大の思想家」とは吉本隆明氏のこと。渡辺さんによると、吉本氏は(マルクスと同様に)、経済=物質文明は《人間の意向に左右されぬ自然過程だ、その展開に抵抗するのは夢想家だとニベもなかった。》

 《吉本氏は原発反対運動が大嫌いで、リスクの伴わぬ技術進歩はない、そのリスクを人間は引き受けてゆくべきだと言って、さすがの「戦後最大の思想家」もモウロクしたのではと疑われた。しかし、吉本氏を散々罵った原発反対派は、年間四千人の死者を出しつつ平気でクルマを乗り回している。一体福島原発放射能汚染で何人死んだか。吉本氏の発言は筋の通ったものだった。》

 だから、原発がいやならジャングルへ戻れ、戻りたい人なんていないだろうと、吉本氏は議論を一刀両断にしようとしたわけだ。

 《文明の進歩がいやならジャングルへ戻りなさいというとき、そのジャングルの生活とは野蛮、蒙昧、悲惨の代名詞であるはずである。》

 ところが、実際のジャングルの暮らしは、その先入観を覆すものだったという。渡辺さんはダニエル・L・レヴェレット『ピダハン』(みすず書房)に記された、アマゾン支流マディラ川のほとりに住むピダハンという400人ほどの部族を例に挙げる。

    彼らの生活は川と森に依存している。川での漁と森の採集によって、《一家力を併せて日に2、3時間働けば暮らしてゆける》という。

 さらに「労働」についての考え方が、我々とは全く異なっている。

 《エヴェレットはピダハンが「空腹なのに狩りもせず、鬼ごっこをしたり、わたしの手押し一輪車で遊んだり、寝そべっておしゃべりしたりして過ごす」のが不思議だった。ピダハンの答えはこうだ。「ピダハンは毎日は食べない」。空腹は自分を鍛えるいい方法というのだ。彼らが食べ物は尽きているのに、狩りもせず、三日間踊りあかすのをエヴェレットは見た。これは窮乏ではない。食べたければ漁や狩りをすればよいのだから。つまり食うことは彼らの生活で優先順位の最上位を占めてはいないのだ。それでいて男女とも、痩せてはいても均整がとれた強靭な体格をしている。》

 エヴェレットは言語学者で宣教師でもあった。驚くことに、彼らと接するうち、エヴェレットは信仰を失ってしまったのである。

 救済を必要とする魂の苦しみや不安など、ピダハンの社会には存在しなかった。エヴェレットはこう告白している。

 「わたしが大切にしてきた教義も信仰も、彼らの文化の文脈では的外れもいいところだった」。

 「ピダハンの精神生活がとても充実していて、幸福で満ち足りた生活を送っていることを見れば、彼らの価値観がひじょうに優れていることの一つの例証足りうるだろう」。

 宣教師に信仰を放棄させるほど、ジャングルの民の暮らしには幸福感がみなぎっていたのである。

(つづく)

コスモロジーの創造4

 朝、パンが無いので買い物に出て、国分寺市国立市の境にある「たまらん坂」を通ると、たくさんの花が置いてあった。あとで知ったが、5月2日が、忌野清志郎さんの10回忌だった。彼のアパートがこの坂の近くにあり、「多摩蘭坂」という歌も作っている。ここはファンの聖地の一つだという。

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 私は忌野清志郎さんのファンではないが、奇妙なつながりがあって、ご縁を感じている。
https://takase.hatenablog.jp/entry/20090215
 2日の朝日新聞天声人語でも彼にかかわる逸話を書いていた。
 《「十八になる私の子供は内向的でハキハキしません。ギターのプロになるのだと申します。どうしたらよいでしょう」。50年前、本紙の人生相談の欄に投稿が載った。相談者はのちにロックシンガーとなる高校生、忌野(いまわの)清志郎さんの母である・・》https://www.asahi.com/articles/DA3S14000199.html
 10年経ってもなお慕われているのは、彼の自由な生き方が多くの人を勇気づけたからだろうか。アートは人びとのコスモロジーを感覚的に揺さぶる力を持っているようだ。
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 ちょっとおさらいをすると、極微の一点に凝集された莫大なエネルギーから宇宙ははじまった。そして宇宙は拡大する過程で、クオーク、水素原子、星、銀河、そして太陽系第3惑星に生命を、さらには宇宙の進化を認識するヒトを生み出した。宇宙がこうして、138億年もの間、より複雑で高度なものへと進化し続けてきたことは、考えてみると実に不思議だ。
 宇宙を擬人化していうと、単純な構造のままでいた方が楽だろうに、なぜわざわざ複雑な方に、複雑な方にと進化してきたのか。これは宇宙物理学の専門家をも悩ませ、「人間原理」(anthropic principle)という考え方まで唱えられている。
 渡辺京二さんが語る、人は何のために生きるかの答えはこうだ。
 《この宇宙、この自然があなた方に生きなさいと命じているんです。わかるかな。
 リルケという詩人がいますが、彼は人間は何のために存在しているんだろうと考えたのね。人間は一番罪深い存在だと見方も当然一面ではありますが、ごく自然に言って、人間はあらゆる意味で、進化の頂点に立っている。人間は神様が作ったものじゃない。ビッグバンから始まった宇宙の進化が創り出したのが人間という存在である。ではなんのために、この全宇宙は、この世界という全存在は、人間というものを生み出したのであろうか。
 その時に彼は世界が美しいからじゃないかと考えたんです。空を見てごらん。山を見てごらん。木を見てごらん。花を見てごらん。こんなに美しいじゃないか。ものが言えない木や石や花やそういったものは、自分の美しさを認めてほしい。誰かに見てほしい、そのために人間を作った、そうリルケは考えたのね。宇宙は、自然という存在は、自分の美しさを誰かに見てもらいたいために人間を作ったんだというふうに考えたんだねえ。》
 《人間は、この全宇宙、全自然存在、そういうものを含めて、その美しさ、あるいはその崇高さというものに感動する。人間がいなけりゃ、美しく咲いてる花も誰も美しいと見るものがいないじゃないか。だから自然が自分自身を認識して感動するために、人間を創り出したんだ。
 そう思ったら、この世の中に存在意義がない人間なんか一人もいないわけ。全人間がこの生命を受けてきて、この宇宙の中で地球に旅人としてごく僅かの間、何十年か滞在する。その間、毎年毎年花は咲いてくれる、これはすごいことでありまして、たとえばうちの庭の梅の花も、多少時期は何十日か遅れることがあっても、必ず約束したように、毎年毎年咲いてくれます。そういうふうに毎年毎年花を見る、毎年毎年、ああ、暑かった、ああ、寒かったと言って一年を送る、それだけで人間の存在意義はあるんです。》(『女子学生、渡辺京二に会いに行く』(亜紀書房)P223-225)
 以前紹介したフレーズだが、あらためて、まずはこれでよいと思う。「この世の中に存在意義がない人間なんか一人もいない」。さわやかに生きるための支えになる考え方である。https://takase.hatenablog.jp/entry/20120714

新天皇即位と「思想犯」

 新天皇の即位を祝う一般参賀が、4日、皇居で行われ、参賀者は14万人を越えたという。
 雅子妃が元気そうでとりあえず安心した。

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 気になるのは、メディアが争うように祝賀ムードを演出していること。
 上皇上皇后が個人として立派な方だったことと、天皇制そのものへの(存否を含めた)意見は別である。天皇制についての異論が封じられるのを危惧する。

 ある週刊誌にこんな記事が載っている。
 「悠仁さまの机に刃物、思想犯を重点捜査  内部事情に詳しい者の犯行か?」(週刊朝日
 えっ、「思想犯」だって?現行刑法にこんな言葉はないはずだが・・・。


 《新しい時代、令和を迎える直前の何とも不快な事件だ。
 4月26日、秋篠宮家の長男・悠仁さまの通う中学校で、悠仁さまの机などに包丁が置かれていたことがわかり、警視庁捜査一課が建造物侵入容疑などで捜査に乗り出した》と始まる記事の中に「思想犯」が何度も登場する。
 《犯人のねらいは何なのか。警視庁捜査関係者が言う。「平成から令和へ、改元直前の犯行ということで、ほぼ間違いなく、思想犯。包丁を置くという行為が、秋篠宮殿下に対する脅しのメッセージだろう」
 捜査のカギになるのは、防犯ビデオの解析だという。
 「思想犯でも右か左か、絞り込めていない。防犯カメラの映像と似た風貌の過去の思想犯をデータベースからリストアップしている。学校内には防犯カメラがたくさん設置されており、作業着姿の男の映像はバッチリ写っているようだ。ただ男はヘルメットをかぶっており、顔がわかりにくい。街宣活動などで上京した思想犯などが関わっていないか、宿泊施設も捜査している。」》
 《思想犯であれば、逮捕しても発表されない可能性もあるという。》 
 《警視庁では防犯カメラの解析による男の割り出しと、思想犯のチェックとの両面から捜査を行っている。(本誌取材班)》
https://dot.asahi.com/wa/2019042700025.html?page=1

 「思想犯」とは、「国家体制に相反する思想に基づく犯罪。また、その犯人。特に、もと治安維持法に触れた犯罪、およびその犯罪者をいう」。(デジタル大辞泉
 治安維持法といえば、天皇制を変革しようとする者、共産主義者を取り締まるための法律で、「第一条〔1〕国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」とされ、その後改正を経て、最高刑が死刑になり、さらに結社の「目的遂行ノ為ニスル行為」をなした場合には同法で処罰する旨の規定(いわゆる目的遂行罪)が加えられた。
 ここから際限なく「思想犯」が拡大解釈されて、労働運動や文化・教育活動にまで大弾圧が及んだ。具体的な犯罪行為がなくても、思想だけで(それも共産主義でもなんでもない思想の持ち主まで)逮捕、拘禁され、拷問により多くの犠牲者も出た。

 結果として、国民の思想の自由が剥奪されたまま戦争に突入していったのである。
 
 上皇上皇后は、天皇の名のもとに膨大な人命が失われた「先の大戦」の慰霊の旅を繰り返すことで「国民統合の象徴」としての信頼を得た。
 令和の時代には、ここから進んで、かつて天皇制=「国体」維持を理由に理不尽な弾圧を受けた犠牲者が名誉回復されることを希望する。

 それにしても、朝日新聞の週刊誌記事が「思想犯」という言葉を当たり前のように(カッコもつけず)使うとは・・。そして警察には思想犯の「データベース」もあるらしいのにこれに疑問を呈してもいない。SNS上でも、あの朝日新聞までが・・と驚きの声が上がっている。
 一気に天皇ファシズムの時代に逆戻りするとは思わないが、まともな歴史感覚がジャーナリズムからも失われていくのか、と愕然とさせられる。

コスモロジーの創造3

 きのうから一泊で信州の友人宅に遊びに行ってきた。
 「山笑う」という俳句の季語は、草木が若芽を吹いて春の山が明るい感じになることだというが、ヤマザクラやヤマブキが咲き、まさに山が笑っていた。すばらしい新緑に心が癒され、たらの芽、こごみ、うどの天ぷらでうまい酒をたくさん飲んで、とても楽しいひと時をすごすことができた。すべてのことに感謝。

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田んぼの畔には、オドリコソウ、イヌフグリタンポポ

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ヤマブキの咲く山道にあった馬頭観音。農耕、運搬に欠かせない馬の安全息災を祈る馬頭観音がいたるところにある。

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 宇宙の創発直後、極微の一点に凝集されていた膨大なエネルギーが広がりつつ物質(クォーク)ができ、それらが集まって陽子や中性子ができる。アインシュタインの有名な「質量とエネルギーの等価性」の公式E=mc²、つまりE(エネルギー)はm(質量)とc(光速度)の二乗で、質量の消失はエネルギーの発生を、エネルギーの消失は質量の発生を意味するとされる。宇宙の誕生では、エネルギーから物質が生まれた。原爆や太陽が光と熱の巨大なエネルギーを発するのは逆に物資がエネルギーに転換していることを意味する。
 宇宙エネルギーから生まれたクオーツ、それが水素原子とヘリウム原子を構成し、宇宙に広がっていって、星の元になり、さらに銀河系、太陽、地球ができた。こうして138億年という長い時間を経て、彩り豊かな宇宙になっていったのである。
 星の中で作られたさまざまな原子で私の体もできている。みんな「星の子」なのだ。
https://takase.hatenablog.jp/entry/20081008
 地球には大量の水があり、40億年前に生命が生じた。最新のDNAの研究によると、生命はたった一個の単細胞微生物として創発し、進化を繰り返して多様な生命が生み出されたという。その後、地球上では何度かの大量絶滅を経て、次々に高次の複雑な生命体を生み出し、今のような豊かで精密なバランスをもってなるエコシステムを築き上げた。
 つまり、生命ももともと一つから枝分かれしている。満開のツツジも、動物園のパンダもゴキブリも、生きているものはみな、いわば「親戚」というわけである。ましてや人類はみな、アフリカ大陸で創発し、そこから世界中に広がったとても近い私の「親戚」だ。
 40億年前に創発した、物質よりはるかに複雑ではあるが我々からみれば単純な構造の生命から人類までのはるかな道のりを考えると、よくもまあ、すごい進化をしてくれたものだと感慨深い。さらに私にまでつながる人類の命の連鎖を思うとき、感動を禁じ得ない。
 ヒトの生殖では、数億個の精子のうちのたった1個が、およそ200万の原始卵胞のうちその時に排卵されていた卵子と出会う。この過程を現生人類に限っても20万年繰り返して「私」が生まれてきた。ジャンボ宝くじの1等賞に100万回連続で当たるよりはるかに稀な確率である。
 宇宙はひとつ、生命もひとつ。人類もひとつ。こうして宇宙は「私」が生まれるように、生まれるようにと気が遠くなるような絶妙な道程で進化してきたことになる。
 このことに気づくと、驚き、感動し、そして心から感謝したくなる。
 今や私たちは、宗教に頼らずとも、現代科学の最新の成果を「気づき」をもって学ぶことによって、さわやかに生きるコスモロジーと人生観を持つことができる時代に生きている。