拳銃密輸王の「流転」

takase222009-02-15

 先月25日、今月1日、8日と3回続けてサンプロの特集があり、ちょっと忙しかった。毎週2回は徹夜か半徹夜があり、日曜も放送当日で休めなかった。
 久しぶりの休日は嬉しい。図書館に行く途中、梅の花が咲いているのに気づき、自転車を止めてしばらく見入っていた。

 先日届いた小包を開けると新刊本が入っていた。
 タイトルに『流転 「拳銃密輸王」と呼ばれて』とある。

著者の名前に驚いた。「金田仁」(かねだ じん)。
84年、フィリピン入管留置所に突撃取材し、私が頭を殴られたその当人であるhttp://d.hatena.ne.jp/takase22/20080315
そのときの様子も彼の立場から描写してある。私を《持っていた鍵で小突いた》と表現しているが、これには異議あり。鍵(錠前)は私の脳天を直撃し、血がたらたら流れてきた。これはやはり「小突く」ではなく「殴る」という用語が適当だろう。
その後、マニラのとても衛生的とは言えない病院に連れていかれ、2針縫うはめになった。帰国して抜糸のために日本の病院に行ったら、医者が縫い跡を診て「随分下手な縫い方だね」と言う。そのせいか、今もそこの頭皮がデコボコしている。
そのシーンに続いて、こんな文章がある。
《「お前ら誰の許可取ってここまで入って来たんだよ。お前ら逆にここに入れちまうぞ。ここに並んで座れ、この野郎」
「すいません、すいません」
日本の報道では、私は〈暴力団〉で〈密輸王〉で〈陰の黒幕〉、つまり悪の親玉ということになっていた。そんなに脅したつもりはなかったのだが、よっぽど私のことが怖かったのだろう。私は「並んで正座しろ」と言ったつもりだったが、彼らは並んでビシッと土下座を決めた。
「と・・・、とりあえずビデオテープを渡せよ」
「はい、ここに」
もはやジャーナリスト魂のかけらも無くしてしまう程、私は恐ろしいイメージを持たれているのかといささか不安になってしまった。》
このことは本で初めて知った。
殴られながら撮影したあと、私はすぐに、蒼ざめた(TBSの番組の)ディレクターに「君はいないほうがいいから」と言われて留置所の外に出た。しばらくすると、ディレクターとコーディネーター(日本人)が出てきて、「金田がテープを出せと要求している」と言われたので、使っていない新しいテープを差し出した。ちょっとイタズラ心で頭から出た血をぺたぺたつけて渡した。二人はそのテープを持って中に入っていったが、この本によれば留置場の廊下で土下座させられていたらしい。
《ところが後で分かったことなのだが、彼らが私に渡したのは空のビデオテープだったから驚いた。
私が檻から出て来てカメラマンを小突く恐怖映像は日本のお茶の間に流れ、私は更に〈凶暴な悪の親玉〉としてその名を知らしめることになってしまった。日本のメディアのジャーナリスト魂を舐めていたことを深く反省した私であった。》
本の出版に尽力したライターが、たまたま私のブログを読んで送ってくれたのだった。彼によれば、金田氏は「あの時はすまなかった」と私に言づてしたそうだ。
驚いたことに、金田氏はかつて、RCサクセッションの忌野清志郎の初代マネージャーだったという。本のタイトルどおり、人間、どこでどうなるかわからない。
金田氏は刑期をつとめあげ、今はフィリピンで事業をしながら、犯罪に巻き込まれた日本人を救援するボランティアをしているという。こんど一緒に飲んでみたいものだ。