花見でエネルギーをチャージしよう

 29日(日)は東京の最高気温が20度を超えてぽかぽか陽気だった。桜が満開とくれば花見に繰り出すということになる。

 自宅近くを自転車でぐるりと回ってみた。

国分寺市の武蔵国分寺公園のこもれび広場

しだれ桜。武蔵国分寺公園の円形広場

 

多摩霊園のオオシマザクラ

国分寺跡にて

古代道「東山道」の主の老木

 ちょっとだけウンチクを―

 江戸の桜花見の元祖は上野寛永寺で17世紀後半にはすでに三味線や笛、太鼓などの鳴物入りで酒宴が行われていたという。この時代、どんちゃん騒ぎの宴会をやっていたのだ。

 1680年代には鳴物はご法度になって規制が進み、1730年代には飛鳥山(北区王子)に賑わいが移ったそうだ。徳川吉宗が庶民が行楽を楽しめるよう、飛鳥山に千本以上の桜を植えて開放したという。18世紀末(寛政期)には日暮里が、さらに1830年代(天保期)は向島の全盛期だった。

 「寛政の頃の花見は、たんにドンチャン騒ぎをするのではなく、歌・浄瑠璃・おどり・俳諧・狂歌などをするという、はなはだ文化的な花見となっていた」(川添登『東京の原風景』)

 明治初期の花見について、初代駐日英国公使オールコックはこう記している。

「江戸の日本人は四月いっぱい郊外の庭園や寺へピクニックに出かけるが、これは彼らの大きな楽しみの一つである。男や女や子供の群れが、一家ごとに野外の春を楽しむために木陰の道を列をなして進んでいるのを見かけることがある。・・・悲しいことには、このような牧歌的な情景が、しばしば過度の飲酒のためにだいなしにされている。男たちは野外の花のさわやかさを吸入するだけではあきたらずに、酒を鯨飲する。この習慣が男だけに限られていればまだしもだが、実際は男ばかりに限られてはいない。帰り道はこれらの酔っぱらいのたあめにけんのんである」(渡辺京二『逝きし世の面影』)

 男だけでなく女の酔っぱらいも相当いたらしい。

 
 時と共に花見のあり様も変化していくようだ。今の桜花見の特徴は何だろう?

 

 29日の朝日歌壇に上田結香さんが2首入選

 「桜が咲くまでは来ますよ」お別れが近づいている焼き芋屋さん

 「ノリが悪い」笑われ真面目に悩んだがセクハラに協力しなかっただけ

 彼女らしい直接話法を駆使した楽しい歌だが、確かな社会的視点に裏打ちされている。また楽しませてほしい。