「占領軍によって日本は平和国家になった」は神話だった

 先月27日、登山家の平出和也さん(45)と中島健郎さん(39)がK2(標高8611メートル)で滑落死したニュースは大きく報じられたが、私は二人ともお付き合いがあり、ショックだった。二人とも山岳カメラマンでもあったので、山や渓谷の番組で撮影をお願いしたのである。心よりご冥福をお祈りします。

ANNより


 二人とも「登山界のアカデミー賞」といわれるピオレドール賞を受賞した世界トップクラスの登山家だ。

 「平出さんはカメット南東壁の初登攀が認められて2009年に谷口けいさん(女性初の受賞者)と受賞して以来、これまでに通算3回受賞している。受賞回数は世界でも屈指で、歴代3位となっている。もうひとりの中島さんは、現在39歳。日本人初の8000m峰14山全山登頂を果たしたことで知られる竹内洋岳さんの専属カメラマンとしてヒマラヤの経験を積み、2016年ごろから平出さんとコンビを組むようになる。平出さんのピオレドール受賞のうち2回は、中島さんと行った登山によるものだ。「NHKスペシャル」や「世界の果てまでイッテQ!」などの山岳撮影では知られた存在である。」(文春online)

 今回は6年がかりで計画してきたK2西壁の未踏ルートでの登攀に挑んだという。成功したらピオレドール受賞は間違いなかったし、特に平出さんは年齢的にこれを集大成と考えていた可能性がある。二人の遭難を惜しむとともに称える声が上がっている。

 二人とも家族がありお子さんもいる。飽くなき挑戦という言葉は美しいが、登山という活動に疎い私は、どう考えたらいいのかとまどう。登山という活動に、命をかけるにふさわしい、どのような価値があるのか。

 『山男の歌』ではじめに出てくる「娘さんよく聞けよ 山男にゃ惚れるなよ 山で吹かれりゃよ 若後家さんだよ」という歌詞に、昔から疑問を感じていた。山男は天気次第で死んでしまうから、惚れちゃだめだといっている。そんなに死ぬ危険が高いことがなぜ行われ、称賛されるのか。「好きな人の勝手にさせておけ」だけでは納得できない。これについては、またいずれ。
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 「ウクライナが抵抗をやめないから犠牲が増えている。はやく降参すれば戦争は終る。占領されても戦争よりはいいはずだ」

 こう考える日本人が少なくない。それに与っているのは、日本人がもつ占領についてのイメージで、それは世界でも突出して「良い」。つまり「占領されるって悪くない」と思っているからだ,、でも実態は酷いものだったと本ブログで書いてきた。

takase.hatenablog.jp

 

  先の大戦(戦争の名称すら決められない日本)で負けた日本は、米軍を中心とした連合国軍によって6年8カ月間占領された。「米軍など連合国軍による占領で、日本は平和国家に生まれ変わった」とされているが、そんなのは「神話」だとずばり指摘するのは日本近現代史研究者の藤目ゆき・大阪大学教授だ。7月30日の『朝日新聞』朝刊から紹介する。

日本は、占領政策のもとで軍国主義から平和な民主主義国家に生まれ変わったと言われます。後にイラク戦争で米国などがイラクを占領した際も、日本が成功モデルとして持ち出されました。しかし、これは大いなる神話です

「占領軍による事故や犯罪で、日本人や在日コリアンを含む多くの民間人が犠牲になりました。しかし占領軍当局も日本政府も、自らの権力の正統性を失うことをおそれ、都合の悪い事実をひた隠しにしました

「戦争は1945年8月15日に終わったとされますが、占領という名の新しい戦争が始まった、あるいは戦争の最終段階が続いたと考えるべきかもしれません」

 占領軍から被った被害とは—

「多岐にわたります。占領政策の当初の目標は日本軍の武装解除で、弾薬や武器の処理に民間人が動員されました福岡県添田町では、火薬の焼却処理に失敗して大爆発が起き、住民ら140人余りが亡くなりました。海洋投棄のために船で運んでいた火薬が爆発する事故も起きました。海洋投棄のために船で運んでいた火薬が爆発する事故も起きました」

「その後、米ソの冷戦が激しくなるにつれ、米国は日本での基地を拡充します。占領軍の命令で無理な工事を進めたこともあり労災事故が多発しました

兵士による飲酒運転や暴走事故、強盗や性犯罪などは、今も沖縄をはじめ基地を抱える街で大きな問題になっていますが、当時も頻発しました」

 朝鮮戦争が1950年に起きると、日本は補給の最前線になった

岩国基地山口県)や横田基地(東京都)周辺では軍用機の墜落事故が起き、住民が巻き添えになりました。日本は戦場そのものではないが、朝鮮戦争により生活圏が侵害された『戦域』と捉えるべきです」

朝鮮半島北部の沖合では掃海作業をした海上保安庁の掃海艇が機雷に降れ、死者が出たことはよく知られています。米軍に動員され、朝鮮半島で荷役や運搬、軍事施設の工事に従事して事故死した日本人労働者も少なくありません。在日米軍基地で働く人が銃を持たされ、戦闘中に死んだ記録もあります。これらは憲法違反のおそれが強く、国際問題になりかねないので多くは隠されました

 日本政府の対応は—

「責任は占領軍にあるが、敗戦国なので占領当局や米国政府と交渉することはできない、と極めて消極的でした。ただ、一部で被害救済の動きが起きるなどしたため、、日本政府は、わずかな額の見舞金を支給しました。最終的には61年に給付金支給法が成立しましたが、国家補償ではなく、責任の所在があいまいで金額も全く不十分でした

 占領軍被害の犠牲者はどのくらいか―

「日本政府は、占領軍当局から被害を報告するよう求められ、実態を把握していたはずですが、統計は公表されません。61年に政府が見舞金給付のために行った調査では、死者3903人を含む9352人とされますが氷山に一角でしょう

占領は日本政府を通じた間接統治でした。日本の支配層は、常に米国の意向をうかがい、米国の利害を代表することで生き延びました

米国の機嫌を損なえば、戦犯などとして追及される。冷戦が深まるにつれ米国は、日本を反共の防波堤にし再軍備を進める。日本の政治エリートも、呼応するという共存関係が強まります。占領は成功し、その後の日米関係が日本の平和と繁栄の土台になったという神話は、こうした現実を見えないものにし、私たちを思考停止させます」

 沖縄では事故、事件が多発しているが―

「米軍に特権的地位を認めている日米地位協定に問題があるのに、日本政府は改正しようと動かない。講和条約を結び、52年に独立した後も政治家や官僚の態度は変わっていません。日米関係は、今も圧倒的に非対称であり続けているのです