私がここにいるわけ その2④

 中村哲という希望』の出版以来、中村哲医師について話す機会が増えている。

 きのうは名古屋に出張。ワーカーズコープ(労働者協同組合)主催の映画『中村哲の仕事・働くということ』の上映会で、200人の観客にアフタートークの講演をしてきた。鋭い質問を連発され、こちらが学ぶことが多かった。中村さんについて語るのはやりがいのある活動なので、今後増やしていきたい。

名古屋駅前は高層ビルが建ちならぶ

 名古屋で降りるのはほんとうに久しぶりで、9年前の「ガイアの夜明け」の取材で南医療生協を訪れたとき以来だ。上映会に、そのとき取材させてもらった医療生協のスタッフが複数参加しており、互いに当時の思い出をなつかしく振り返った。ご縁である。

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 ミャンマーで国軍がクーデター後初めて各地で軍事的に守勢に立たされている。

 国軍と戦っているのは、少数民族各派と民主派の「国民統一政府」の軍事組織。去年10月27日に3つの少数民族武装勢力が東部シャン州で一斉に攻撃を開始し、民主派勢力とも連携して攻勢を強めているという。国軍から大量の投稿兵も出て、国軍が統制不能になりかかっているとの見方もある。

凱旋する民主派の兵士らを歓呼して迎える人々(NHK国際放送より)

村人に関係される民主派学生組織AGSDF兵士ら(国際報道より)

 ミャンマー少数民族に通じている私の友人が、去年秋から「国軍が総崩れになっている」との情報を伝えてきたが、国軍が武器や人員の点で圧倒的に優位なので私は半信半疑だった。どうやら本当らしい。

 そこで国軍が打ち出したのが徴兵制4月下旬から徴兵制を開始すると発表している。徴兵制は旧軍事政権末期の2010年に導入が決まったが、実施は見送られていた。
 18~35歳の男性の1%に当たる約6万人が1年間に徴兵されるという。期間は2年間だが、非常事態時には最長5年間となる。女性も対象だが、「当面は除外」とされた。

 徴兵された人々は国内の最前線に投入される可能性が高い。国軍は戦死や逃亡、投稿などによる兵員不足を徴兵で補い、国民同士を戦わせるつもりだろう。この決定で、多くの人が徴兵を逃れるため国外に出ようとしている。

 最近は報じられることが少なくなったミャンマー情勢だが、一つの転換点に来ているのかもしれない。さらに注目しよう。
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 「私たちがここにいるわけ~高校生に語るコスモロジー」つづき。

《日本の神仏儒習合のコスモロジー

 じゃあ、日本の伝統的・宗教的コスモジーは何かというと、それは神仏儒習合と言われてる。神道、仏教、儒教道教、祖先崇拝などいろんなものがごちゃまぜで一緒になった形で信じられてきた。山形のおばあちゃんの家には、仏壇と神棚の両方あっただろ。昔は、道ばたのお地蔵さんにも、ご神木やお天道さまにも手を合わせ、「悪いことをすると地獄におちる」とかの教えが民衆の心にはしっかりと根付いていた。

 家(いえ)のために働いて跡継ぎをのこし、親孝行してご先祖を敬い、まじめに生きる。死ぬと”祖霊“となって高いところから子孫と村の行く末を見守り、ご先祖さまとして末永く子孫に祀ってもらえる。そう信じて、誰もが安心して生きて、安心して死んでいけた。

 明治維新のあとの強力な近代化政策や神仏分離、そして戦後の占領占領政策の中で、伝統的コスモロジーは崩れていく。宙くん、『男はつらいよ』って映画知ってる? あの主人公の車寅次郎は、東京の下町のだんご屋の甥という設定で、あの中では昭和期まで庶民の中に残っていたコスモロジーの片りんをうかがえるセリフが出てくる。

 「そんなことをするとバチがあたるよ」、「おてんとうさまは見ているぜ」、「草葉の陰でおとっつぁんが泣いてるぞ」、「おまえの死んだおやじに申し訳がたたねえ」とかね。

 伝統的コスモロジーのなかでの民衆がどう生きていたかを知りたかったら、幕末から明治初期に書かれた記録に現れている。長く鎖国していた日本が国を開くというので、外国人がおおぜい訪れた時期だよ。外国人の目に日本はどう映ったか。

 幕末に来日したイギリス人のジャーナリストでブラックという人は、日本人のホスピタリティに感激している。

「彼らの無邪気、率直な親切、むきだしだが不快ではない好奇心、自分で楽しんだり、人を楽しませようとする愉快な意志は、われわれを気持ちよくした。(略)通りがかりに休もうとする外国人はほとんど例外なく歓待され、『おはよう』という気持ちのよい挨拶を受けた。この挨拶は道で会う人、野良で働く人、あるいは村民からたえず受けるものだった」

 当時、外国人なんて究極のよそものなのに、野良仕事をする農民が気おくれすることなく声をかけたというんだ。

 別のイギリス人のディクソンは、明治初期、日本で教師をつとめた人だが、東京の街頭の人々の上機嫌さに驚いている。

「西洋の都会の群衆によく見かける心労にひしがれた顔つきなど全く見られない。頭をまるめた老婆からきゃっきゃっと笑っている赤児にいたるまで、彼ら群衆はにこやかに満ち足りている」。(注:ブラック、ディクソンとも、渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社)より引用)

 ぼくたちのご先祖は、こんなに親切で陽気で愛想のよい人々だったんだって。今のぼくたちとの違いはコスモロジーから来ると思うんだ。ご先祖たちの伝統的コスモロジーが崩れ去って、無味乾燥な近代合理主義のコスモロジ―にとってかわられた。で、日本から笑顔が消えちゃったってわけ。

(つづく)