先日、鈴木邦男氏(元一水会顧問)が亡くなった。少しだけご縁がある。
私の会社が制作した番組について、「よど号」ハイジャック犯が「名誉棄損」で私と会社を訴えてきたことがある。2年にわたって裁判で闘ったのだが、塩見孝也元赤軍派議長はじめ何人もの元新左翼の著名人が「よど号」犯側の応援団になり、私のところには「月夜の晩だけじゃないぞ」という古典的な脅迫状が送られてきたりして気を張った日々だった。
面識がなかったのだが、ある集会でたまたま鈴木邦男氏を見かけた。これから敵同士で闘うことになるなら挨拶しておこうと、声をかけ、自己紹介した。
私が名乗ると、「ああ、高世さんとはお会いしたかったんです」と屈託なく応対してきたので、穏やかに話をして、こんどゆっくり会いましょうと言って別れた。それきりになったが、あたりの柔らかさは印象に残っている。
裁判は弁護士4人を立てて必勝の態勢で臨んだが、相手が途中から出廷しなくなり、立ち消えになった。不戦勝みたいなものか。
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2月1日は、ミャンマーの軍事クーデターから2年になる。新聞には「対ミャンマー 国際社会手詰まり」の見出しが。
ASEANが国軍側に暴力の停止などを求めた5項目合意は守られず、クーデター後、2900人以上の人々が軍によって殺され、約1万3千人以上が獄中にある。また140人以上の民主派に死刑判決が下され、去年7月にはアウンサンスーチー氏の側近の議員に死刑が執行されている。
これほどの残虐非道にもかかわらず、ミャンマー国軍に対して日本政府は融和的な姿勢をとり続けている。ミャンマーへの新規の途上国援助(ODA)は見合わせる一方、既存案件は継続する方針をとっていて、円借款で現在継続中の案件は34件、計7396億円(契約ベース)にものぼる。
そのODA案件で、事業を受注する「横河ブリッジ」から国軍系企業「ミャンマー・エコノミック・コーポレーション(MEC)」に約200万ドル(約2億6千万円)が支払われていたことがわかった。
供与限度額約310億円の円借款案件の「バゴー橋建設計画」で、工事は19年末に始まり、クーデター後に一時停止したが、昨年4月に再開したという。MECは資材調達の一部を担当する下請けにあたる。MECについては19年に国連人権理事会調査団が「国防省がMECを管理し、軍の直接的な収入源になっている」と指摘、米国や欧州連合(EU)はMECを経済制裁の対象にしている。
https://www.asahi.com/articles/DA3S15542359.html
国際社会の分断で、国連安保理がミャンマー国軍に対して暴力の停止やアウンサンスーチー氏らの釈放を求める決議を採択したのは、クーデターから1年10か月も過ぎた昨年12月のことだった。「手詰まり」を象徴している。
状況に進展なく時間がたち、日本でもミャンマーへの関心が薄れている。「ミャンマーのことを忘れないで」と訴える青年をテレビが取り上げていた。
アウンチーミインさんは4年前、民主化が進む中、国の発展に尽くそうと来日。現在、大阪市立大学の大学院で国際平和について学んでいる。
2年前、予期せぬクーデターに衝撃を受けた。彼の家は「マグウェ管区」という、国軍が住民に激しい攻撃を加えている地域にある。いとこの住む村で30軒が燃やされた映像が届いた。家族は家も仕事も失ったため、アウンチーミィンさんは、アルバイトを増やして実家に仕送りしている。
彼の友人には、民主派のPDF(国民防衛隊)に加わって、武装闘争を続けるものもいる。また、母校タゴン大学の学生7人が死刑判決を受けたとの報も届いた。彼は故郷のことを心配しながら、命がけで闘っている友人や後輩を思い、自分でも日本でできるだけのことをしようと決意している。
毎月1日に広島市内の街頭に立って、ミャンマーを忘れないでと訴えている。先日は、自ら写真展を開催し、見に来てくれた人に自ら説明していた。
日本政府は、「独自のパイプ」で国軍とつながるだけでなく、少なくとも民主派勢力が樹立した「国民統一政府(NUG)」と接触し対話をもち、民主派を支持する姿勢を示すべきだ。