安田純平さんの旅券拒否は「違法」

 25日、ジャーナリスト安田純平さんが国を訴えた裁判の判決が東京地裁で言い渡された。以下、朝日新聞編集委員北野隆一さんのFB投稿がまとまっているので引用させていただく。

判決の後、記者に答える安田純平さん(筆者撮影)

「パスポート(旅券)の発給拒否処分は憲法違反だとして、ジャーナリストの安田純平さんが国を提訴した訴訟。東京地裁は判決で、発給拒否について「外務大臣裁量権を逸脱し違法」と認定し、処分を取り消しました。

 旅券法の規定が争点になった裁判で東京地裁は、安田純平さんを入国禁止にしたトルコや近隣国への渡航制限は合理的と判断した一方、全ての国への渡航を制限する旅券の発給拒否は「違法で取り消されるべきだ」と判示しました。

 東京地裁は1月19日の判決で、パスポート発給を外務省に拒否されたジャーナリストの常岡浩介さんの訴訟に対する請求を棄却しています。その前にもフリーのカメラマン杉本祐一さんがシリアへの取材計画を理由にパスポートを強制返納させられた問題についての訴訟もありました。紛争地に向かうジャーナリストの自由を奪う判断が続いてきたなかで、安田さんの訴訟でジャーナリストの旅券の発給拒否を取り消すとした今回の判決は異例なのだそうです。

 ただし今回の判決では、外務省の旅券発給拒否処分が取り消された一方で、安田さんがあわせて求めていた「旅券発給義務づけ」の請求については棄却されました。このため安田さんがパスポートの再申請をしても、外務省が何か別の理由をつけて発給を拒否できる余地は残されたままです。

 安田さんの代理人の岩井信弁護士は判決について、「処分が取り消されたのは大きな意味を持つ」と評価しつつ、今回の勝訴判決によってもなおパスポートが得られない状況であることを踏まえ、「旅券がないと別の国に行けない。絶対的な権利制約なのに、憲法違反などの論点が認められず納得できない」と語り、控訴する意向を示しました。

 安田純平さんは「無差別爆撃など凄惨な紛争地の現状を伝えよう」とフリージャーナリストになったそうですが、パスポート発給拒否で現在も海外取材ができないままです。記者会見では「移動の自由は国家によって制限されるべきではない」と語りました。」https://www.facebook.com/ryuichi.kitano.7

司法記者クラブでの記者会見(筆者撮影)

 常岡浩介さんの裁判については、本ブログでも何度か触れた。

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 私も東京地裁に傍聴に行ったが、裁判長が外務大臣が令和元年7月10日付けで原告に対してした一般旅券発給拒否処分を取り消す」と読み上げたときは、思わず「おお」と小さな声をもらしてしまった。勝った。政府の処分が不法であるとして取り消されたのだ。

 ただ、次に「原告のその余の請求をいずれも棄却する」さらに「訴訟費用は、これを2分し、それぞれを各自の負担とする」と続き、あとで判決文を読むと、「勝訴」といっても最低限のものだと知る。

 トルコが入国禁止にした(安田さんはこの事実はなかったと主張しているが)からという理由で旅券の発給を拒否して、その他すべての国にも行けなくするのは理不尽きわまりない。

 ある国から入国禁止になるということはしばしば起こりうる。例えば、ロシア外務省はウクライナ侵攻後、岸田文雄首相ら日本の閣僚や政治家、学者、メディア関係者など計63人について、ロシアへの入国を無期限で禁止すると発表している。だからといって、岸田首相ふくめたこれらの人たちが安田さんのように、一般旅券の発給拒否処分を受けるわけではない。

 画期的な判決だといっても、当たり前で最低限の判断をしただけ。外務大臣にきわめて大きな裁量権を認めながら、原告の「発給義務づけ」請求を棄却したということは、安田さんがこれから旅券申請をしたら必ず発給されるとは限らないことを意味する。2019年の申請時はトルコの入国禁止措置を理由に旅券発給を拒否したが、こんどは別な理由で拒否することも可能だからだ。

 安田純平さんは2018年10月に解放されて帰国し、翌2019年1月に旅券を申請したのだが、実はそのとき私は安田さんがシリアで拘束された事件を検証する番組企画を立ち上げていて、安田さんとともに中東へ取材しに行く計画だったのだ。旅券が発給されるのを前提に航空便の手配も始めていた。そこに「旅券がすぐには出そうもない」との安田さんからの連絡が入り、残念ながら彼なしで取材を行った経緯がある。本来は、安田さん自身が、拘束される前までの足跡をたどっていくはずだったので、とても残念だった。

 安田純平さんや常岡浩介さんへの旅券発給拒否は、明らかに、紛争地取材をする目障りな、そして立場の弱いフリーランスを狙い撃ちしたいやがらせだ。これは報道の自由への重大な制限でもあるのだから、ほんとうは企業メディアも重大な関心をもって彼らを守る闘いをすべきなのだ。だが、「ウクライナは危険地だから取材目的でも行かないように」との政府の言いつけを素直に守るのが日本のマスコミなのだ。

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 先日、地震に襲われた能登の将来を、日本海の交流から歴史の長い軸で考えたいとの主張を新聞で見た。なるほどと思わせる内容だった。

 古代では北陸は「越」と呼ばれ出雲との関わりがあり、また律令国家が成立する以前から、日本海側では大陸との交流があった。7世紀末には、対岸に、今の北朝鮮・中国・ロシアにまたがる国家渤海が興る。その後、約200年の間に、一説には34回も日本に使節を送ったろいうが、能登との関りも深く、8世紀に日本側から渤海に送った使節遣渤海使」の船には「能登」と名づけられていたそうだ。

 律令国家にとっても能登は重要な地域であったと考えられている。能登国一宮(いちのみや)気多大社が、常陸の鹿島、下総の香取、越前の気比と並び称される、格の高い社格を認められていたことからもそれがうかがえるという。

 江戸時代後半から明治時代にかけて、日本海航路で活躍した北前船は、船主は能登を含む北陸地方の人が多かった。とくに能登蝦夷島(えぞがしま)=北海道とのつながりは深かったという。船主の一つ、奥能登の時国(ときくに)家などは北海道の魚肥や昆布を大坂で売り大いに栄えた。

 この記事を書いた神里達博千葉大学大学院教授は、日本海世界における人々のネットワークの、重要なハブとしての能登」の姿を踏まえた上で、能登の将来を考えていくべきではないかと提言し、以下のように結んでいる。

「とにかく日本列島は自然災害が多い。正直、絶望的な気持ちになることもある。だが私たちの多くは、そのような厳しい苦難にも諦めることなく生き抜いた人々の、末裔であるはずだ。知恵と勇気を出し合って、なんとか前に進んでいきたい」。

 私たちは、すばらしいご先祖をもっているのだから、きっとやれるよという勇気づけがすばらしい。