中村哲医師と不動明王

 先月の八重山の旅より。

 鳩間島に日帰りで訪れた。この島は、かつてはカツオ漁が盛んで700人が暮らしたそうだが、いま実際に住んでいる人はわずかに30人内外だという。周囲3.9キロの小さな島で、亜熱帯の樹林が広がるワイルドな自然と売店も何もない美しい海岸がいくつもある。

鳩間の海岸は自然のまま。茶店も自販機もない。

海岸の近くまで亜熱帯の樹海が迫る。

群れ飛ぶ蝶。これはウスコモンマダラという種類らしい。

島の簡易郵便局

伝統的な住宅。こういう民家が民宿をやっている。

 私は20年前(02年)に島の民宿に1泊したことがある。ちょうど豊年祭の最後の晩で、たしか場所は島の学校の体育館だったと思うが、学芸会のようなノリの大宴会があった。島に里帰りした人と私たち観光客が詰めかけ、三線マンドリン、笛、太鼓などの演奏が披露され、のど自慢が飛び入りで歌をうたう。役者ぞろいで大いに楽しんだ。最後は大カチャーシーで踊りまくって感動的なフィナーレだった。

 昼の自然の静寂と夜の弾けるような芸能の宴。同じ日本にこんな世界があるのかと驚嘆した旅だった。いつか機会があればゆっくり何泊かしてみたい。俗世からちょっと離れてみたい人にはお勧めの島です。

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 中村哲医師の言行を辿っていくと、胸のうちに激しい憤りを宿していたことが分かる。

 02年、911同時多発テロの翌月、米軍がアフガニスタンへの爆撃を開始した。中村医師は、大旱魃(かんばつ)への対策としての用水路の建設、さらに首都カブールへの緊急食糧支援にまい進していた。

 そのころ、可愛い盛りの10歳の次男が脳腫瘍で余命宣告を受けていた。

 「折悪しく、旱魃対策、アフガン空爆、食糧配給など自分の人生でも最も多忙な時期に当たった。現地と吾が子と、まるで爆薬を二つ抱えているようで、精神的な重圧になっていたのである。現地事業が多数の人命に関るとはいえ、人間はそれほど非情になれるものではない。死ぬまでの元気な時間をできるだけ一緒にいてやりたかった。だが、それも果たせず、かろうじて親としての分が尽くせたのは、死の際に近くなってからだった。(略)

 いくら病状をひた隠しにしているとはいえ、子供心に死期が近くなっているのを知っていたとしか思えない。『どうせ人間は一度は死ぬのさ』とぽつりと述べ、私をぎょっとさせた。そして、およそ子供らしくない気遣いが、却って不憫に思われた。」

 年末の12月27日深夜、次男は亡くなる。

 「親に似ず優しい聡明な子であった。家中に泣き声があふれたが、アフガニスタン現地の今後も考え、情を殺して冷静に対処せねばならなかった。

 翌朝、庭を眺めると、冬枯れの木立の中に一本、小春日の陽光を浴び、輝くような青葉の肉桂の樹が屹立している。死んだ子と同じ樹齢で、生れた頃、野鳥が運んで自生したものらしい。常々、『お前と同じ歳だ』と言ってきたのを思い出し、初めて涙があふれてきた。そのとき、ふと心によぎったのは、旱魃の中で若い母親が病気のわが子を抱きしめ、時には何日も歩いて診療所にたどりつく姿であった。たいていは助からなかった。外来で待つ間に母親の胸の中で体が冷えて死んでゆく場面は、珍しくなかったのである。

 『バカたれが。親より先に逝く不幸者があるか。見とれ、おまえの弔いはわしが命がけでやる。あの世で待っとれ』―凛と立つ幼木を眺めながら、そう思った。

 幼い子を失うのはつらいものである。しばらく空白感で呆然と日々を過ごした。今でも夢枕に出てくる。空爆と飢餓で犠牲になった子の親たちの気持ちが、いっそう分かるようになった。人はしばしば自分でも説明しがたいものに衝き動かされる。公私ないまぜにこみ上げてくる悲憤に支配され、理不尽に肉親を殺された者が復讐に走るが如く、不条理に一矢報いることを改めて誓った。その後展開する新たな闘争は、このとき始まったのである。」(『医者、用水路を拓く』P74-78)

 ここには激しい怒り、憤りがある。

 一般には「怒り」はよくないものとされ、アンガーコントロール講座などというのも流行っているようだ。私が学んでいる大乗仏教の教えでも、「貪瞋痴(とんじんち)」=むさぼり、いかり、おろかさ=が煩悩の根本の「三毒」とされて、怒りは苦しみをもたらす最大原因の一つである。

 では、どんなことがあってもニコニコしていろというのか。

 私が教わったところでは、ここでいう「瞋」(いかり)は、自分の都合からくる自己中心的な攻撃性だそうだ。これは深層心理にまではびこった根深いもので、カッとなる、むかつく感情が、思わず知らずに、制御しようもなくこみあげてくる。自分を顧みても、大したことのない、どうでもいいことで怒ったり、場合によっては単なる思い込みで怒っていたりする。これは私憤だろう。

 一方、不動明王など激しい怒りの表情をした仏さまがいるが、あれは仏教でも認められる義憤であり、怒るのは衆生のため、つまりベースに「慈悲」がある。私憤は自分だけのための怒り、義憤は衆生のため、世の中を良くするための怒りということになる。

 中村哲医師は義憤の人。02年の衆議院での参考人発言で「自衛隊派遣は有害無益でございます」と言い切った時の表情は、どこか不動明王に通じるように思われる。

02年参考人招致のとき


 義憤は行動へのエネルギー。私たちはもっと理不尽に対して怒ることが必要だ。

 ところで、先の中村哲医師のことばに「理不尽に肉親を殺された者が復讐に走るが如く、不条理に一矢報いることを改めて誓った」とあるが、なぜ「改めて」なのか。

 それは彼の行動が初めから不条理への復讐につらぬかれていたからだ。
(つづく)