なぜ政府は2人の拉致被害者を見捨てるのか?(6)

 97年2月に横田めぐみさんの拉致が社会問題化したが、あくまで拉致「疑惑」とされ、はじめは半信半疑の人も多かった。

 私たちが取材した元北朝鮮工作員安明進の「横田めぐみさん目撃」証言を、真っ赤なウソだと非難する著名人(例えば和田春樹東大名誉教授ら)もいた。NHKは拉致疑惑を一切報道しなかった。政府の動きも鈍かった。

 この状況を変えたのが、被害者家族が自ら声をあげはじめたことだった。

 転機になったのは1997年3月25日の「家族会」の結成だ。声をあげることをためらう被害者家族を説得して結成へと導いた中心に、当時共産党議員秘書だった兵本達吉さん横田滋さんに最初に連絡してめぐみさんが北朝鮮にいる可能性を伝えた)がいた。

はじめて街頭に立った横田夫妻横田早紀江「めぐみと私の35年」より)


 4月12日、横田滋さんと早紀江さんははじめて街頭に立ち、真相究明を訴えた。新潟市の繁華街、古町交差点で私はこれを取材していた。活動をコーディネートしたのは、新潟在住の小島晴則さんだ。横田夫妻は、人前で訴えたことなどなかったから、タスキ、ハンドマイク、署名用紙からサポートする20人のボランティアまですべて小島さんが手配した。

takase.hatenablog.jp

 小島さんは早くも前年96年の12月末に「横田めぐみさん拉致究明救出発起人会」を新潟で立ち上げている。これが救出運動の先駆けであり、のちの各地の「救う会」の設立へとつながっていった。

小島晴則さん(一昨年)

ご自宅に1997年6月の集会の看板があった。懐かしい


 こうして「家族会」は熱心な活動家たちの支援で動きはじめた。

 家族たちは、ごく普通の会社員であり、大工であり、主婦だったのだから、支援者たちに頼りきりになったのはごく自然な成り行きだった。その支援者たちの中の「現代コリア研究所」メンバーが中心になり、各地の支援者団体をつないで翌98年にできたのが全国協議会=「救う会」だ。 

 被害者家族たちが前面に立ち、真相究明と息子・娘やきょうだいの救出を訴える署名活動が全国で展開されたことは、社会の雰囲気を変えていった。

 マスコミの世界でも北朝鮮への注目度が高まった。横田めぐみさん拉致疑惑報道が日本社会に衝撃を与え、被害者家族の活動は同情と共感を呼んだ。世のなかの関心は高く、テレビの北朝鮮報道は視聴率がとれた。私たち取材者が新たな事実を掘り起こし、それがまた「救う会」、「家族会」による啓蒙を助ける好循環が生まれた。

 私も「家族会」と「救う会」には最大限協力した。

 取材で得た重要な情報を「救う会」幹部に提供したこともある。また、05年12月、拉致被害者レバノン女性シハームさんの母親ハイダールさんを東京の国際会議「北朝鮮による国際的拉致の全貌と解決策」に参加させるため、ハイダールさんとレバノン人通訳の二人分の旅費と滞在費を私の会社が負担して(あとで番組を作って経費は回収したが)来日させたこともある。拙著『拉致』(講談社文庫02年)では「あとがき」を、拉致問題に関心を持った方は「救う会」に連絡を取っていただきたいと結んでいる。

 世論は高まり小泉純一郎総理の訪朝へと導くのだが、私は北朝鮮による拉致問題の存在を日本と世界に知らしめた点において、また北朝鮮という国家の本質を国民と政治家に啓蒙した点において、「救う会」の貢献は決定的だったと高く評価している。

 前回、日本における北朝鮮の人権問題がどう運動化されてきたかに触れたが、北朝鮮による外国人(韓国人を含む)拉致の解決も当然その一翼を担うものと位置付けられる。
 あらためて、以下のように諸団体の設立時期とそれぞれのテーマを挙げておく。

1993年、RENK(救え! 北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク)=北朝鮮民衆の覚醒

1994年、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会(守る会)=「帰国者」への支援

1997年、北朝鮮難民救援基金脱北者の保護・支援

1998年、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会救う会)=拉致被害者救出

2003年、特定失踪者問題調査会北朝鮮関与を否定できない失踪者の調査

2008年、NO FENCE(北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会)=収容所撤廃

 そして日本におけるこれらの諸運動は、2011年9月、15カ国40のNGOからなるICNK「北朝鮮での人道に反する犯罪を停止する国際連帯」へと合流していく。

 だが「救う会」はこれに参加しなかった。

 「救う会」は北朝鮮の人権、人道問題とは別の目標を目指しているのだろうか。

 「救う会」は去年4月現在、全国の32都道府県、1市、1青年組織、計34組織があり、役員4名、幹事33名で構成されているという。

 「家族会」、救う会」の立ち上げ期に大きな貢献をした、先に挙げた小島晴則さんや兵本達吉さんなど、かつて「井戸を掘った人」たちははるか以前に「排除」されている。

 では地域の組織の代表者はと見ると、多くが政治活動家である。

 目立つのは保守政治団体日本会議の各地の幹部(愛知、福岡、宮崎、佐賀、熊本、長崎)で、他に「頑張れ日本」役員、日本維新の会の政治家もいる。

 「救う会」は保守勢力の政治拠点の一つで、拉致問題は「教科書問題」とならび保守運動がもっとも成功した分野となっている。

 さらに調べると、長崎の組織の代表者は、セクハラで大きなスキャンダルを起こしていた

www.asahi.com

 また、山梨の代表は、「第2の森友事件」と言われる財務省の不当な国有地売却疑惑で揺れる学校法人の理事長ではないか。

lite-ra.com

 ワケアリの右翼人士まで登場して、「救う会」、どうなってるの?

(つづく)