明日は横田めぐみさん56歳の誕生日

 菅義偉内閣のめざすものが見えない。

 携帯料金の値下げやら不妊治療への支援やら、超個別的な政策をポツポツと挙げるだけ。
 この日本をどうするのか、コロナ禍をいかに克服しようとしているのか、大きな方針がいっこうに示されない。「三密を避け、注意してください」と国民の努力にゆだねるだけなら政治はいらない。

 多くの中小企業は、コロナによる資金繰り難を政府の緊急支援でつぶれずにすんだとしても、それも切れてくるころだ。一方、個人に対しては10万円の一度きりの給付だけでいのか。倒産、失業も増えるのが確実ななか、どんな経済政策でのぞむのか。

 ドイツでは企業への支援策として、就業時間の短縮で目減りした給与の6割以上を政府が補償する措置を2年へと延長、2021年12月までお金を受け取れるようにすることを決めている。
 また、ベルリンでは120人の市民にほぼ無条件かつ非課税で3年間月1200ユーロ(約15万円)を給付し、労働状況や消費行動など生活全般に変化が起きるかを調べる社会実験を始める。「ベーシックインカム」(最低限所得保障制度)の有効性を調べるのが目的だ。
 コロナ禍が長期化することを見越して、新たな社会システムを模索しているのだ。

 いま世界中が共通の課題に直面しているのだから、他の国の施策を調べて、有効性を検討しながら日本の中長期の展望を示してほしい。GoToなどの思い付き、行き当たりばったりの政策だけでは今後に希望を持てない。
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 きのう一泊で新潟に行ってきょう東京に戻ってきた。

 2011年に、「情熱大陸」で佐渡のトキ復活に奮闘する獣医、金子良則さんを取材した際に立ち寄って以来、9年ぶりだ。

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寄居中学校正門。めぐみさんはバドミントン部の部活を終えてここから下校の途についた

 横田めぐみさんが拉致された現場付近を歩いた。ここは十数年ぶりだろう。取材当時何度もめぐみさんの下校した道を行ったり来たりした思い出が蘇ってくる。

 現場検証の結果、あの日1977年11月15日、北朝鮮工作員らは近くで複数回、若い女性の拉致に失敗したあとでめぐみさんをさらっていったことがわかった。(ただ、拉致したあとで、めぐみさんがあまりに幼いので工作員らは驚いたという)

 若い女性なら誰でも拉致被害者になりえたのである。

 中南米の「強制失踪」では、独裁に反対して活動していたとか、左翼団体のメンバーだとかターゲットとして狙われる「理由」がある。ところが日本人拉致被害者のなかには、北朝鮮と特別な関係がある人はおらず、中には北朝鮮という国がどこにあるかも知らない人までいる。

 日本人誰でも拉致被害者、その家族になりえたのである。あなたも、めぐみさん、あるいは滋さん、早紀江さんの立場になりえた。つまり北朝鮮による拉致は、けっして「他人事」ではないのだ。

 これを知った時、何としても拉致された全員を取り返すために微力を尽くそうと思ったのだった。

 横田さん一家が住んでいた所には新しい住宅が建ち、お隣は家が取り壊され駐車場になっていた。めぐみさんが拉致された1977年当時はもちろん、私が初めて取材にきた1997年のときともあたりの様子が全く違っていた。 

 夕方、長いことご無沙汰していた小島晴則さんのお宅にご挨拶に行く。小島さんは、拉致問題解決の運動を立ち上げた人である。

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小島さん。89歳になられたという

 おさらいすると、拉致問題が多くの人に知られるようになったのは、1997年2月3日(月)だった。『産経新聞』朝刊とこの日発売の『アエラ』(実際は2日に店頭に並んでいた)が横田めぐみさんの拉致された可能性を報じ、同じ日、衆院予算委員会で西村慎悟代議士がめぐみさんが北朝鮮に拉致されたのではないかと政府に質している。つづいて、週末の2月8日(土)の『ザ・スクープ』で、私たちの取材による元工作員による「めぐみさん目撃」証言が放送され、北朝鮮による拉致が重要な社会問題として注目を集めることになる。

takase.hatenablog.jp

 小島さんは拉致問題がブレイクする前の1月にすでに「横田めぐみさん等日本人拉致被害者を救出する会」を立ち上げていた。これが後に「救う会」という全国組織になっていく。小島さんは先駆者である。

 玄関先に大きなポスターがある。1997年6月7日の拉致問題の集会のお知らせだ。めぐみさん、同じ新潟県拉致被害者蓮池薫さん、奥土祐木子さんの救出を訴える集会で、横田さん夫妻のほか、寺越友枝さんも参加したという。

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 ところがこの集会、大ホールを借りたのにスタッフ20人のほかには一般市民が20人しか入らず、会場はガラガラだったという。地元選出の自民党の某代議士が顔を出したが、あまりに参加者が少ないのを見て「おれ、ちょっと用があるんで」と帰ってしまった。小島さん、今でも怒りがこみ上げるという。

 めぐみさんのケースがすでに多くのメディアで報じられていた6月でも、集会がガラガラだったとは・・。時代の空気の違いに驚く。
 小島さんとそんな昔話に花が咲いた。

 あす10月5日はめぐみさんの56歳の誕生日だ。過ぎた時間の長さを思う。

 

 以下は、めぐみさん拉致現場から約200メートルのところにある「砂丘館」。もとの日銀新潟支店長役宅。横田滋さんは日銀の職員だった。ご縁を感じて見学した。

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砂丘館」という市の施設になっている。横田滋さんが新潟支店に勤務していたときの支店長もここに住んでいた

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昭和はじめの建築。庭も立派だ。無料で公開されている

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蔵はギャラリーになっており、写真展が開かれていた