なぜ政府は2人の拉致被害者を見捨てるのか?(7)

 プーチンについて調べ物をしていると、安倍元首相に関するエピソードがたくさん出てくる。

 その一つに、2014年10月7日、プーチンの62歳の誕生日に安倍がプーチンにお祝いの電話をかけた逸話がある。
 この年の2月下旬にプーチンはロシア軍をクリミア半島に送り込んで「併合」しており、10月といえば、欧米各国を中心に対ロ制裁をかけていた時期だ。

 この日電話で祝福した外国首脳は、安倍以外では、カザフスタン大統領ナザルバエフ、ベラルーシ大統領ルカシェンコ、アゼルバイジャン大統領アリエフ、アルメニア大統領サルグシャンだけ。つまり旧ソ連圏の4カ国以外の現役首脳は安倍だけだ。

2時間半待ちぼうけを食わされても満面の笑みの安倍氏

 このことは当時、モスクワの外交関係者の間で大いに話題になったというが当然だ。

 さすが「外交の安倍」! ここまで熱い友情があるのなら、ぜひモスクワにプーチンを訪ねて、「ウラジミール、ウクライナから手を引かないと、君と僕との同じ未来は見えてこないよ」と説得してほしいな。

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 私は「救う会」が「おかしく」なっていく節目は、2002年の小泉訪朝だったと思う。

 1997年に「破裂」した拉致問題が国民に浸透し、被害者救出が世論となり、ついに国家対国家の外交で解決する段階を迎えた。前回も指摘したが、ここにいたるまでの「救う会」の貢献は非常に大きかった。

 ただ、拉致問題のありようが根本的に変わったことは、「救う会」(そして「家族会」も)の存在理由にも変化をもたらすことになった。

 組織のさまざまな軋みや不祥事が噴出してくるのはこれ以降である。

 横田滋さんは08年に、運動の10年を振り返り、「救う会」についてこう語っている。

 確かに「運動のための運動」だという声を聞くことがあります。それから、初めのころから運動をしていた人というのは、みんないなくなってしまったんですよ。めぐみのことを最初に北朝鮮による拉致じゃないかと教えてくれた国会議員の秘書の方なんかでも、救う会経理について不透明な部分があると取り上げたことから、除名されてしまった。大阪や鹿児島、新潟などでも、除名されている。だから、そういうことに対して反発している人もいます。地方の救う会というのは、中央の下部組織ではないんです。みんな別々の組織で、それを共通の目的でやっているから、情報交換とかという意味で束ねている。
(『論座』(08年3月号)より)

 拉致問題に詳しくない人のために少し解説すると、「救う会」(全国協議会)の幹部は「現代コリア研究所」のスタッフで、研究所所長の佐藤勝巳氏が、「救う会」の初代会長になった。

 初期はこの二つの組織は事実上一体だった。私自身、「現代コリア」によく出入りしていたので知っているが、当時はみな手弁当で、「救う会」の活動が「現代コリア」の業務や財務を逼迫させていたほどだ。

《「運動のための運動」だという声》

―「救う会」は拉致被害者を救うことが目的なのか、それとも北朝鮮を批判したり、日本の軍備増強や憲法第9条の改正などが目的なのかわからないという声のこと。

 「外交なんかいらない」というのだから、常識ある人が首を傾げるのは当たり前だろう。

《初めのころから運動をしていた人は、みんないなくなってしまった》

―1997年の拉致被害者救出運動を立ち上げた功労者たちが、ことごとく排除されたり、自ら去ったりしたことは、被害者家族たちからも疑問の声がでた。家族たちにとってはもっとも信頼できる人々だったからだ。

 「いなくなった」中には「救う会」の副会長だった黒坂真さん大阪経済大学教授)もいた。

《めぐみのことを北朝鮮による拉致じゃないかと教えてくれた国会議員の秘書の方》

―前回紹介した兵本達吉さん共産党議員秘書)。横田滋さんを探し出してめぐみさんが北朝鮮にいる可能性があると最初に告げた人。家族会結成に尽力した。

兵本達吉さん。今年1月撮影(産経新聞より)

救う会経理について不透明な部分があると取り上げたことから、除名されてしまった》

救う会」会長の佐藤勝巳氏によるいわゆる「1000万円横領疑惑」兵本さんと小島晴則さん(前回紹介した、新潟で最初の拉致被害者救出運動をはじめた草分け)が刑事告発した。

 その後、刑事告発した2人は「救う会」から排除された。新潟の小島晴則さんは「救う会全国協議会」の会長代行(佐藤氏につぐナンバー2)だったが、辞任を強いられた。

 この騒動に、「めぐみさん目撃」証言をした安明進も巻き込まれたことは大変残念だった。(この「横領疑惑」については、Wikipediaの「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」に「問題点」として記されている)

《大阪や鹿児島、新潟などでも、除名されている》

―中央(全国協議会)は金銭疑惑を追及したり、方針を批判したりする地方の組織や個人を次々に除名、排除していった。

 横田さんが挙げた以外で排除されたり、脱退したりした組織に山形、茨城、宮城、和歌山、神奈川、徳島がある。この他、理不尽な運営に抗議して、多くの人々が会の活動から手を引いていった。

 元「現代コリア」所員で元「救う会」メンバーでもある新井佐和子さんは「1000万円横領疑惑」の発端から事情を知っている人だが、「救う会」中央(全国協議会)と兵本・小島などの古い主要メンバーとの「不協和音が聞こえはじめたのは、(平成)14年9月の小泉首相訪朝以後で、国民の関心の高まりと共に、一時的に多額のカンパ金が入ってきたことが災いの元になったのでしょう」と言う。

 新井さんはお金の面に注目して、やはり小泉訪朝を「転機」と捉えている。

 そして、「救う会」中央は、不祥事を強引に糊塗し、自分たちの運動の支配権を手放すまいとして「家族会」にさまざまな圧力を加え始めたという。

 例えば、「全国協議会」から「追放」「除名」の処分にされた人たちを「家族会」からも切り離すことを強いたという。

 横田さんが、もっとも古くから救出運動でお世話になった新潟の小島晴則さんは、「救う会」の内紛が起きる前に、新潟市での横田夫妻の講演を企画し、会場も予約していたのだが、横田さんは土壇場になって「上からのお達しで」との理由でお断りせざるをえなかったという。のちに私も横田夫妻と小島さんからこの事実を確認している。

 「家族会」のメンバーの多くは、もともと「救う会」から聞かされる情勢の解釈から政治的な志向までをそのまま受け入れてきた。ごく普通の一般人である被害者家族たちが、運動をコーディネートしてくれ、北朝鮮情勢や日本の政治事情に詳しい「救う会」のイデオローグの思想に染まっていくのは自然の成り行きだった。

 だが「救う会」はそれでは満足せず、さらに、家族たちに「あの人は危険だから付き合うな、接触もするな」と脅迫しはじめた。

 「家族会」の黒子(くろこ)だった「救う会」は、いまや黒衣を脱ぎ捨て、「家族会」を完全に統制下に置く挙に出たのである。

 そして私も巻き込まれるある事件が起きた。

(つづく)