いきなりの津波情報、それも地震ではなく噴火がもとになっているというから混乱した。
今回のトンガの噴火は、地質年代的なスケールでも大きなものだと新聞に出ていた。記事中、7万年前のインドネシア・トバ湖の噴火に「人類が絶滅寸前に」と書いてあるが、一つの火山の噴火でそこまでの気候変動が起きるのだ。
噴煙を噴き上げ、太陽光をさえぎることで、地球が寒冷化し、植物の光合成を阻害する。するとそれを食べる動物も死に絶え、食物連鎖の頂上にいる人類も生存できなくなる。
91年のフィリピン・ピナトゥボ山の噴火は93年の記録的冷夏と米騒動を招いたことが思い出される。
日本はコメが凶作になって不足し、日本政府がタイ政府に要請して、在庫米のすべてを日本に輸出してもらった。ところが、日本人がタイ米を「まずい」と言って豚のエサにしたり、捨てたりしたとの話がタイで報道され、かなり世論を刺激した。当時私はタイに赴任していて、タイ人の白い眼を気にしたものである。
今回の「フンガトンガ・フンガハーバイ」の噴火による気候変動が大きな災厄を生まないことを祈る。
・・・・・・・・・
きょうは、旧友の田島泰彦さんに頼まれて、早稲田大学法科大学院でZOOM講義をした。
講座名は「マスメディアと法」でテーマは「世界の『現場』と日本のジャーナリズム」。ジャーナリストの常岡浩介さんが「戦闘シーンを取材しなければならないのか」、私が「世界の『現場』から日本人ジャーナリストが消えたわけ」という題で話した。
私は、ベトナム戦争の取材時から時系列で現場取材がどう社会で見られてきたかをたどり、現在との落差の大きさに今の日本社会の課題の一つがあるという話をした。
そして、外国通信社の配信ニュースではなく、日本人ジャーナリストが取材しなければならないわけを、去年9月の「ニュース・パンフォーカス」【日本人ジャーナリストがみたカブール】を一つの材料にしながら語った。https://www.tsunagi-media.jp/blog/news/19
常岡さんが、90年代はじめには「国際情報誌」と銘打った雑誌だけで6~7誌もあったと指摘。現在起きている、日本における国際情報の欠如は、国策を誤らせることに繋がりかねないことを提起した。
・・・・・
スウェーデンの話のつづき。
前回紹介したスウェーデン独自の「レーン=メイドナー・モデル」は成功を収め、企業の淘汰を促進すると同時に、労働者間の格差を小さくすることにも貢献した。
「同一賃金」をどの企業にも適用することで、儲かっている企業における賃金上昇を抑える効果もあるからだ。優良企業は相対的に低い賃金で済むので、余裕ができた資金を事業拡大に回してさらに強くなることができる。こうして、格差縮小と経済の競争力増大がもたらされたのだった。
しかし、やがて新たな問題が生じてきた。高収益企業の雇用吸収力の低下だ。
技術進歩で省力化が進むと、次第に高収益産業の雇用吸収力が弱まる。「モデル」が意図する低収益企業から高収益企業への労働力移動が円滑に進まなくなり、失業率が高止まりしだした。
すると、本来は一時的な利用で就労復帰を後押しする手段の職業訓練プログラムや公的扶助に人々が「滞留」し、これらに依拠して生活する人々が増えていった。また、本来は回復困難な疾病や障害を得た人のための早期退職を選択する人が増えた。労働生産性は上昇しGDP成長率が向上しても、「雇用なき成長」になる。
そして90年代はじめには、こうした給付を受給して生活し、労働市場の外部にいる人々が、20~64歳の人口のなんと20%を超えるまでになってしまった。
この結果、2006年の総選挙で、このシステムを築き、ながく運営してきた社民党から保守党が政権を奪うことになる。
これで「レーン=メイドナー・モデル」はおしまいかというと、そうではない。ここがスウェーデンらしいところだ。
保守党は福祉国家に反対し、新自由主義的な路線を掲げてきたのだが、これは国民からの支持を得られず、2002年には土壇場まで追い詰められていた。
そこで保守党は2003年に大転換し、新自由主義路線を抜本的に修正、福祉国家への批判を止めて「社民党がスウェーデン型生活保障を維持、発展させる力を失っている」という批判に転じた。つまり、我々の方がもっとうまくシステムを運営できますよと主張して、社民党のお株を奪う戦略に出たのである。
保守党の新党首のラインハルトは「保守党は新しい労働党として2006年の総選挙に臨むであろう」とまで宣言し、選挙に勝利した。
保守党が強調したのは「就労原則」で、一口で言うと、公的扶助への「ただのり」をやめて、システムをもっと効率化し、みんなちゃんと働こうよということだ。
細かいことは端折るが、保守党の財務大臣アンダース(アンデルシュ)・ボルグ―前回のブログに登場した―のもと、様々な修正を加えて、スウェーデン型システムは今も息づいている。
この経緯は、スウェーデンモデルがいかに社会に強固に根付いてきたかを示している。
(宮本太郎『生活保障~排除しない社会へ』P107~)
スウェーデンの模索は今も続いていて、その一つひとつが日本にとっても教訓になるものなので、次回また触れてみたい。