節気はきょうから「小寒」。いよいよ「寒の入り」だ。
1月6日から初候「芹乃栄」(せり、すなわちさかう)。セリは7日の七草粥に入れる春の七草のひとつ。次候は「水泉動」(しみず、あたたかをふくむ)が1月11日から。地中の水に温かみを感じる。末候「雉始雊」(きじ、はじめてなく)が1月16日から。雉の雄がケーンケーンと甲高い声をあげて求愛する。
小寒から節分までが「寒の内」となる。昔の人にならって、寒さのなかにかすかな春の気配を感じ取ることにつとめてみよう。
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5日の新型コロナ新規感染者は4,917人(午後11時半現在)で大晦日の4,520人を上回って過去最多を更新。死者も過去最多の76人、4日時点の重症者は771人で前日より40人も増えてこれも最多となった。
「検討」ばかりの菅首相は、ようやく7日に緊急事態宣言を決めるという。
しかし、目の前の切迫した事態や知事からの要請、何より支持率の急落に迫られて、個別の対応を小出しにするだけの首相に、身内の自民党議員からも「出遅れ感満載」の声が。
後手後手と無策で続く過去最高 (山形県 江本口光章) 5日
知事要請なければ総理どうしたの (愛知県 伊藤久美) 6日
リーダーになったことないんだこの人は (青森県 大橋誠) 6日
ズバリとポイントを突く「朝日川柳」に苦笑するしかない。
まさに「立ちつくす」菅政権、まだ危機感が薄い。その理由の一つは、ワクチンが来ればもう大丈夫と思っているからではないか。
主要国ではどこもワクチン接種がはじまっており、日本は大きく出遅れている。
それでも菅首相は「感染対策の決め手となるワクチンについては、2月中に製薬会社の治験データがまとまるということだったが、日本政府から米国本社に強く要請し、今月中にまとまる予定だ」(4日の会見)として「やった感」を見せ、2月下旬までに接種が始まることに期待感を見せた。
だが、楽観は禁物だ。
《米国ではファイザー製の接種を受けた看護師が感染。ワクチンの効果がなかったのか、感染が判明したのは接種から8日後のことだった。変異種が猛威を振るい、連日5万人ペースで感染が広がる英国では、接種方法をめぐるバトルが勃発。3週間あけて2回接種する予定だったファイザー製とアストラゼネカ製のワクチンについて、英政府は最大3カ月の間隔をあけると決定した。1回目の接種拡大を優先するためで、ファイザーは「安全性と有効性は確認できていない」と猛反発している。》
接種段階でもいろいろな問題が出ている。
そもそもワクチンは、インフルエンザワクチンもそうだが100%の予防効果はない。英製薬大手アストラゼネカのワクチンの「有効性は70%」と発表された。これでも十分感染拡大を防ぐのに役に立つが、日本で多くの人に接種ができるまでにはかなりの時間がかかる。
今の段階では、ワクチンを全面的に当てにすることなく、感染拡大の抑止に全力をあげるべきだろう。
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古い友人が関西のある大学院でメディア論のゼミをもっており、そこで5日に講義をしろと頼まれた。
思っていることをしゃべっていいというので、二つ問題提起した。
一つは、日本のマスコミが海外とりわけ危険地の取材をしなくなる傾向にあること、もう一つはマスコミの取材活動の現場ですすむ「コンプライアンス」の強化だ。
まず、2011年の3.11東日本大震災のあと、日本のマスコミが「安全」の確保を理由に、事故原発の近くから自社の社員を避難させたことを指摘した。
日本のマスコミ企業が最初に逃げたのに対し、フリーランスや海外のジャーナリストはどんどん被災地に入って取材した。これがマスコミへの不信を招いた一つの要因になった。
マスコミ各社が危険地への記者派遣に慎重になる一つの節目になったのが、30年前の長崎県雲仙・普賢岳の噴火の取材だった。
91年6月3日に火砕流で43人もの人々が犠牲にる大惨事が起きた。マスコミ関係の犠牲者は22人で、この中には、マスコミがチャーターしたタクシーの運転手(4人)、外国の有名な火山写真家も含まれていた。私の知り合いのテレ朝の社員も亡くなった。
ユーゴ紛争(1990年7月~)、ルワンダ紛争(1990年10月~)、湾岸戦争(1991年1月17日~)では、マスコミも現地取材していた。1994年12月ルワンダ難民取材で、チャーターした小型機が墜落する事故が起き、フジテレビと共同通信の記者が死亡。海外での安全管理が強化されることになる。
2001年10月7日に始まった「アフガニスタン戦争」と03年3月20日からの「イラク戦争」では、状況が危険と判断された時期、日本のテレビ局はフリーランスや制作会社に取材・リポートを「委託」した。
のちに「戦場ジャーナリスト」として知られるようになった人びと―遠藤正雄、綿井健陽、渡部陽一、常岡浩介、佐藤和孝、橋田信介などの各氏―はこのときのテレビの立ちレポで「デビュー」したのだった。渡部陽一氏などは「戦場カメラマン」の肩書でバラエティに出演、子どもが「なりたい職業」を聞かれて「戦場カメラマン」と答えるというまでになった。
わが「ジン・ネット」はアフガンにはカザフスタン経由で3人を投入、民放2局に連日レポートを送った。また、イラクにはのべ20人を派遣してドキュメントを連作した。
この時期は、マスコミ社員のかわりにフリーランスや独立系制作会社が危険地報道を担う構図になっていた。
イラクでは外務省職員、ジャーナリストらが犠牲になり、あらためて戦場の危険が意識された。
こうしたなか、イラクで04年4月、日本人3人(ボランティア、フリージャーナリストら)が、またその直後に安田純平さんら2人の日本人が武装勢力に拘束されたことがもう一つの転換点になった。政府の一部から「自己責任」の声があがり、世論もこれに応じて拘束された人びとやその家族を非難する風潮が表面化した。
15年6月、安田純平さんがトルコからシリアに密入国して消息が絶え、反政府武装勢力に拘束されたらしいという情報が流れると、「自己責任」論がピークに達した。これはネットの世界ですさまじく広がり、日本からの危険地報道をさらに「自粛」させた。
安田純平さんは18年10月に解放されるが、旅券の発給を政府が拒否するという事態になった。また、フリージャーナリストの常岡浩介さんも旅券返納命令を受け、旅券発給を政府が拒否している。二人はいま政府を相手に裁判闘争中だ。
これは日本政府が「日本国籍のジャーナリストは危険地に行かせない」と世界に宣言するようなもので由々しいことだ。
いまは海外情勢の報道が減ってきており、なかでも危険地報道が衰えている。かつてベトナム戦争で、多くの日本人ジャーナリストが活躍し、犠牲者も出しながら国際的な賞を受けるなど最前線で活躍したことを思うと隔世の感がある。
イラク戦争を開始する理由としてブッシュ政権があげた「イラクが大量破壊兵器をひそかに作っている」という情報はウソだったことが分かっている。情報が国を誤らせる典型的な例だ。危険地というのは諸問題が集中して現れる現場なので、ぜひ取材は必要だ。さらに「国益」を考えれば、取材には日本人の視点が入るべきである。
今の政府がやっている2人のフリージャーナリストへの「いじめ」は国益に反する行為といえよう。
なお、すぐに思い浮かぶ危険地におけるフリーランスの犠牲者に以下がいる。
1988年10月 南條直子(フォトグラファー)アフガンで地雷を踏んで死亡。
2004年5月、橋田信介と小川功太郎(ジャーナリスト)イラクで銃撃され死亡。
2007年9月 長井健司(ジャーナリスト)ミャンマーで軍に撃たれ死亡。
2012年8月 山本美香(ジャパンプレス)シリアで政府系民兵に撃たれ死亡。
2015年1月 後藤健二(ジャーナリスト)、湯川遥菜氏とともにシリアで「イスラム国」により処刑される。
マスコミ企業の社員と違って余裕のないなか、十分に安全に配慮できないこともあって、犠牲になるのは圧倒的にフリーランスが多い。彼らは嘲笑の対象ではなく、感謝されていいはずだ。
第二の点だが、近年、メディアの世界でも「コンプライアンス」が取りざたされている。どのマスコミ企業も社員の不祥事があるたびに、再発防止でコンプライアンスの強化に大きな力を入れているようだ。
最近も緊急事態宣言下で東京高検の黒川弘務・前検事長と産経と朝日の記者が賭けマージャンをしていたことが分かったが、そもそも取材に関連して賭けマージャンをするのはコンプライアンス上、不適切とのことだった。
たしかにこれは問題だが、取材にひたすら「お行儀のよさ」を求めるのはどうか。
例えば、振り込め詐欺犯グループや暴力団を取材する場合、彼らが取材を受けるようどう説得するか。彼らに影響力を行使できる人から圧力をかけてもらったり、あるいは一緒に飲んで親しくなったりとさまざまな搦め手も必要になってくる。
取材の内容によっては証拠となるものを不正な手段で入手しなければならないこともあろう。要は、その取材で明らかになる事柄の社会的利益とのバランスで判断すべきものだと思う。
そんなことを30人のゼミ生にむけて話した。
最後に、「みなさんはテレビをあまり観ないと思うが、今週良いドキュメンタリー番組が二つ再放送されるので、だまされたと思って観てみてください」と中村哲医師の番組をお勧めしておいた。
「中村哲の声がきこえる」NHK総合 2021年1月7日(木)
午前1:41~午前2:29(48分)
「良心を束ねて河となす」NHK-BS1 2021年1月9日(土)
午前0:00~午前1:39(99分)
ゼミのあと、ゼミ生から感想をいただいた。以下はその一つ。
《マスコミというか記事や番組は、リスク管理のためにコンプライアンスが強調されすぎて、注目し焦点をあてて深堀りしなくてはならないもの、ことに対しては変に「お行儀よく」なった一方、ゴシップや商業主義的なところには、ずいぶん下品になり、節度を失くしているように感じることがあります。
不倫の当事者に、しつこく、失礼なほどストレートに追及する姿勢を、なぜ首相会見などの場面で発揮しないのかといぶかしく思ったりします。》
たしかに・・・。