25日から、3回目の「緊急事態宣言」発令、だと。
《政府は23日夕、首相官邸で新型コロナウイルス対策本部会合を開き、東京、大阪、京都、兵庫の4都府県を対象に、緊急事態宣言を発令すると正式決定した。期間は25日から5月11日までで、宣言発令は2020年4月、21年1月に続き3回目。(略)
同じ期間、まん延防止等重点措置の適用対象に愛媛県を追加し、既に適用中の宮城、沖縄両県は期限を5月5日から11日に延長する。》(毎日)
吉村知事が宣言の発令期間を「3週間から1カ月が適切」と要望、コロナ対策分科会の尾身茂会長が「3週間は最低必要」と言っているのに、わずか17日間と決めた。期間を短く地域も限定して、事態を軽く見せようという姑息な狙い。IOCバッハ会長の来月17日の来日時には宣言を終わらせようというのがバレバレ。卑劣きわまりない。
まともなコロナ対策を打ち出せず、感染抑制に歯止めをかけられない国に、どこの国だって選手団を安心して送り込めないでしょう。五輪中止を早く決めるべし。
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おととい、早稲田大学時代のサークル「中国研究会」の後輩のT君が亡くなったとの知らせを受けた。64歳で肺がんだった。彼とは大学を出てからも1~2年に一度くらい酒を飲みかわしていた。自分より若い人が亡くなるのはつらいものだ。
T君は光文社の『フラッシュ』、『週刊宝石』で記者をやったあとノンフィクション本の出版を担当して3年前に退職した。きょうお通夜に行ったら、彼が手掛けた本の何冊かが受付に展示されていた。話題の本もたくさん手掛けている。
たとえば、
辻新一監修『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』
三井環『告発!検察「裏ガネ作り」 口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」』
古賀茂明『官僚を国民のために働かせる法』
石井光太『絶対貧困 世界最貧民の目線』
日野原重明『百歳は次のスタートライン』
葛西紀明『家族で獲った銀メダル』
など硬軟取り混ぜた幅広いジャンルにわたる。
なかでも『ハチドリのひとしずく』はベストセラーになり、新聞やテレビでも取り上げられ、ブームを作った。ハチドリを名前に冠したNPOも登場した。
当時小学生だったT君のお子さんたちが、朝礼で校長先生がこの本の話をしてくださったと学校から帰って嬉しそうに報告したという。
小さなハチドリが主人公の南米の民話で、大火事になった森に、くちばしで懸命に一滴づつ水を落とすハチドリが、「そんなことをして何になるんだ」と他の動物たちに嘲笑され、「私は、私にできることをするだけ」と答える短い話だ。
これに、さまざまな人―坂本龍一、C.W.ニコル、関野義晴、石垣金星その他―が「いま、私にできること」は何かを寄せている。
私の『金正日「闇ドル帝国」の壊死』という本もT君の手で光文社から出してもらった。これは金融制裁が北朝鮮を体制崩壊寸前まで追いつめていることを書いた本なのだが、出版直後に当時のブッシュ政権が制裁を緩和してしまい肩透かしをくって全然売れなかった。申し訳なかった。
通夜では故人が好きだった歌「私の愛した街」が流れた。
1972年1月30日、北アイルランドのロンドンデリーでデモ行進に英国軍が発砲し、14人が殺された「血の日曜日事件」を背景に生まれた歌だ。
歌声喫茶「ともしび」の歌姫、清水正美さんののびやかな声が美しい。清水正美さんは東京学芸大学の中国研究会メンバーでたしか私の一学年下だ。
1996年から「ともしび」の社長だった大野幸則さんは早稲田中研のOBで、我々と「ともしび」は関係が深い。
T君はよく「ともしび」に通っていたそうで、訃報を聞いた清水正美さんがCDを贈ってくれたという。
今ではもう音楽もない
でも街の人は 絶望していない
忘れはしない この出来事を
まなざしが語っている
私にできることはひとつ
闘うことだけなのだ
青春をすごした デリーの街
私の愛した街
訳詞は横井久美子さんだ。横井さんといえば、この1月に亡くなったが、彼女ともご縁があって、コロンボで1984年10月に開催された「スリランカ世界平和音楽祭」で彼女が歌ったのを私がビデオ撮影した。
ご縁のある人たちが次々に亡くなっていく。これが歳をとるということなんだな。