石巻で「復興」に代わる言葉は?2

takase222012-03-14

白梅の周りの空間が、ぱあっと明るい。
空気は寒いが、日差しはすっかり春だ。
ふたたび番組から;
2年目の横井記者は、野球場のなかに作られた仮説アパートに住む。ここは、一昨年、情熱大陸で取材した建築家の坂茂(ばん・しげる)さんの設計だという。横井家は5回申込んで去年11月にやっと入居できた。2DKに、祖父と両親、弟の5人で暮らす。
取材スタッフが女川町の横井記者の自宅はどこかと車の中で聞く。
すると、道のそばを指して、

横井:ここですね。まさに、1メートル先です
車を運転しながら;
横井:毎朝、あそこの前を通ってんですよ。きついっすよね。
震災後から、津波の映像とか被災地の写真って、見たくないんですよ。記者なのに。

記者なのに・・
被災者を取材する側の石巻日日新聞の記者たちもまた、みな被災者なのだ。
大川小学校は49人の職員と児童がまだ行方不明だ。
遺体の捜索を主宰する水沼記者。

水沼:我々が被災者っていうか、被災者を通り抜けて、
おこがましいかもしれないけど、身内みたいな感じ。
例えば、身内の人が辛い目にあってるのに、無神経な取材できないなって・・

そして、武内報道部長。
武内;苦しいですね。地域が苦しめば、私らも苦しまなければならないですし、地域がもがけば、私たちももがきながら、でも、一歩先でも半歩でも、先に示すことが出来れば。指針を。
板倉ディレクターが突っ込む。
板倉:読者との距離が非常に近いことだと思います。
その近さゆえに、ペンのスピードなり、力なりが、緩むって言うことはないですか?
武内:これはあります。ただペンを曲げるってことはしてはならないと思います。

自分たちも被災者で、同じように苦しみながら、でもみんなと同じ目線ではなく、「一歩でも、半歩でも先に」出た視点でなくてはならない。これが武内さんたちのモットーだ。
それでも、筆は鈍りがちになる。
正面から「復興」を掲げれば被災者をますます疲弊させてしまうのではないか。
11日号のコラムの原稿は遅々として進まなかった。
(つづく)