さわやかな映画「ブータン 山の教室」

 去年の今日が緊急事態宣言発令の日だった。 

 きょうのコロナ新規感染者は、大阪が878人で過去最多。きょう「医療非常事態宣言」を出した。
 東京は2回目の「非常事態宣言」解除後最多の555人。収まる気配がない。
・・・・・・・・・

 

 ブータン 山の教室』という映画を観てきた。とてもよかった。おすすめです。
 

bhutanclassroom.com


 「若い教員ウゲンは、ある日教官に呼び出され、ブータンで最も僻地にあるルナナ村の学校に行くように伝えられる。
 「オーストラリアに行きミュージシャンになりたい」という夢を抱きながらも、渋々ルナナ村に行くことに。
 1週間以上かけ辿りついた村には、「勉強したい」と真っ直ぐな瞳で彼の到着を待つ子どもたちがいた。
 電気もトイレットペーパーもない土地での生活に不安を拭えなかったウゲンだが、村の人々と過ごすうちに自分の居場所を見つけていく。」(上映案内より)

 ウゲンは首都ティンプーに住むシティボーイで、教員を4年やって自分には向かないと連日夜遊びにうつつを抜かす。電気もない標高4800mの村に着くなり、ここではやっていけないと村長に泣きつく始末。そんな彼が、子どもたちの笑顔、美しい自然と素朴な人情にかこまれて生きるうち、大切な何かに気づいていく。

 ストーリーはしごく単純だ。それがかえって、「幸せって何ですか」というテーマを観るものにストレートに訴えてくる。子どもたちがとても可愛い。さわやかな感動を覚える作品だった。

f:id:takase22:20210408002732j:plain

クラス委員ペム・ザム。撮影当時9歳。はにかんだ笑顔にひきこまれる

 パオ・チョニン・ドルジ(Pawo Choyning Dorji)監督の長編デビュー作。

 この映画に独特のリアリティを与えているのが、村人たちが実際の立場のまま出演していることだ。クラス委員のペムザムは、映画では親は離婚していて父親が飲んだくれとして出てくるが、これも本当の家庭環境だという。

f:id:takase22:20210408003122j:plain

教室でヤクを飼うことに

 主役はじめほとんどが過去映画に出たことがない素人で、主役のウゲンを演じたシェラップ・ドルジは、彼自身、音楽の世界に進むためオーストラリア移住を考えたことがあったそうだ。

 ブータンは「世界で一番幸福な国」を標榜するが、近年は外国との交流が増え、いわゆる「近代化」の波が押し寄せる。若者たちは農村を離れ都会へ、都会の若者は外国へとあこがれを募らせる。
 英語教育が徹底していて、英会話に堪能な若者が多いことも、海外移住熱を高めることになっているのだろう。
 主人公のウゲンが、上司から僻地への赴任を命じられ、そんなところに行くのは無理です、高山病 altitude diseaseになっちゃいますと文句を言うと、その上司は、あなたは高山病じゃなくて態度の病気attitude diseaseだねと皮肉を返される。Altitude(標高)とattitude(態度)をかけたやり取りが、ポンポンと日常会話に出てくるのに驚く。

 映画のもとのタイトルは”Lunana  A YAK IN THE CLASSROOM” (ルナナ―教室のヤク)。
 ヤクはブータンの家畜で、雄大な自然を背景に歌われる「ヤクに捧げる歌」が映画のテーマソングになっている。
 村人とヤクの関係は密接で特別のものがあり、ウゲンが「自分の前世はヤク飼いだったかも」と冗談でいうと、村長は「先生はヤクでした」と真面目に返すシーンがある。ヤクはそれなくしては村が立ち行かないほど大事なものだと。
 ウゲンが村になじんだ最初のエピソードが、ヤクの糞を焚きつけにして火をおこせるようになったことだった。ウゲン自身ヤクを一頭与えられ、教室の中で飼うことにもなった。タイトルの「教室のヤク」とは、ウゲン自身のことでもあった。

 ある日、ティンプーの友人から手紙が届き、申請していたオーストラリアのビザがOKになったとの知らせ。子どもたちと村人全員に見送られて村を離れたウゲンだったが・・・というエンディングだ。

 ウゲンが村を去ることを村長に伝えるシーン。
 いつまた戻って来てくれますかと尋ねる村長に、外国に行くからもう戻れないとウゲン。すると村長が深いまなざしでこう言う。
 「この国は世界で一番幸せな国だと言われているそうです。それなのに、先生のように国の未来を担う人々が幸せを求めて外国に行くんですね」

 見る人一人ひとりに「幸せ」の意味を静かに問いかけてくる。
・・・・・・・・・
 入管法改悪に反対する集会が、きょう霞が関弁護士会館で開かれた。
 このブログでも紹介したクルド人のデニズさんも声をあげた。

 

takase.hatenablog.jp

 以下、ニュース記事を貼り付けます。

news.yahoo.co.jp

 政府が国会に提出している出入国管理法(入管法)の改正案は「改悪」だとして、弁護士などの有志が4月7日、東京・霞が関で記者会見を開いて、政府案の廃案をもとめるアピールをおこなった。

 日弁連入管法PTの駒井知会弁護士は「『難民鎖国』日本を頼ってきたばかりに地獄を見ている難民の人たち、本来救われるべきなのに救われていない人たちが、この政府案によってもっと苦しむことになることが目に見えている」とうったえた。

●「人間であることを忘れさせようとしているの?」

祖国で迫害を受けて、日本に逃れてきても、難民として認められることはほとんどない。

出入国在留管理庁などよると、2020年に国内で難民認定されたのは47人で、2019年の難民認定率はたった「0.4%」とされている。

こうした状況の中で、オーバーステイとなった難民申請者たちの長期収容が問題視されている。

「恐くて祖国に帰れない人たちを無期限収容して、あるいは在留資格を奪い、与えないでずっとそのまま放置している。心と体を極限まで追い込んで、彼らに人間であることを忘れさせようとしているのか」(駒井弁護士)

●「入管施設は、外国人のためにつくった刑務所ですよ」

 この日の会見には、トルコ国籍のクルド人、デニズさんも登壇した。

 デニズさんは迫害を逃れて、2007年に来日。これまで複数回の難民申請をおこなってきたが認められず、合計約5年も入管施設で収容された(現在は仮放免中)。

 現在、収容中に職員から暴力を受けたなどとして、国賠訴訟を起こしている。

 国連人権理事会の作業部会は2020年、デニズさんの申し立てを受けて、長期収容は「国際人権規約に反する」という見解をまとめている。

 デニズさんは、入管の収容施設について「外国人のためにつくった刑務所ですよ。わたしたちをいじめて、何でもやっています。(収容されている人たちは)みんな、あそこで苦しんでいます」と話した。

 デニズさんの代理人をつとめる大橋毅弁護士(クルド難民弁護団事務局長)によると、世界では、トルコ国籍の難民申請は高い認定率となっているが、日本ではこれまでクルド人難民認定は「ゼロ件」だという。

 大橋弁護士は「オーバーステイは犯罪ではない」と強調しつつ、「埼玉では2000人以上のクルド人たちが、コミュニティをつくって、複数の申請をおこなっているが、おそらく法律が改正されれば、トルコのふるさとを追われて埼玉にきた彼らが、もう一度、埼玉という土地を追われることになる」と述べた。

●改正案では「強制送還」されるおそれがある

 軍事クーデターが発生したミャンマー出身で、少数民族カチンのラパイさんも登壇した。

 クーデター前から、カチン族は迫害されており、ラパイさんの父は「カチン独立軍」(KIA)の将校だったという。10年以上前に来日して、難民申請をおこなってきたが、やはり認められていない。現在、3回目の申請中だ。

 難民申請をめぐっては、現行法では、「難民認定の手続き中は送還しない」とされている。ところが、改正案では、3回目の申請以降は強制送還されたり、送還を拒否すれば、刑事罰を科されるおそれがある。

 ラパイさんは「今、ミャンマーのことはテレビに出て、わかっていると思うが、今の状態は、わたしの民族にはずっと同じ、もっとひどいになってる。今の時点で、子どもでも殺されている。わたしはKIAの家族で、ぜったい帰れない」と話した。

 クーデター以降も、ミャンマー国軍が、少数民族の拠点を空爆したと報じられている。

 在日ビルマ人難民申請弁護団事務局長の渡邊彰悟弁護士は「あの爆撃は2010年代もずっと続いていたわけで、そういう中で、KIAの人たちが置かれている立場は極めて悪い状況だった。そういう家族を抱えている彼女が難民認定されてないのは異常だ」と述べた。

●「日本人の人権感覚が強く問われている」

 今回のプロジェクトの呼びかけ人で、お笑い芸人・YouTuberのせやろがいおじさん(榎森耕助さん)も、活動拠点としている沖縄から駆けつけた。会見前日、牛久入管に足を運んで、収容されている人たちと面会してきたという。

f:id:takase22:20210408003244j:plain

せやろがいおじさん(左)と小島慶子


 「そのうちの1人が、母国で銃撃を受けて、その生々しい傷跡が残っているのを見せてくれました。そんな状態でも難民として認められていません。その方は『母国の迫害から逃れてきた人を収容して、送還するのは虐待だ』と言っていました。

 この入管の長期収容問題に関して、当事者の中に日本人はいません。だから、なかなか声が広がっていきません。でも、日本人だから助けるのか、外国人だから助けないのか。日本人の人権感覚が強く問われています」(せやろがいおじさん)